ある事件がきっかけで刑事を辞職した<須賀原>は、レンタルビデオ店で働き、社会から身を隠すようにつつましい生活をしています。
<須賀原>はホラービデオのコーナーで、連日涙を流す少年<橋口明夫>を気にしていましたが、ある日横断歩道で<明夫>を見つけ赤信号に気づかずに渡りかけようとする彼の手を引き寄せた瞬間、交通事故にあった老婆の幽霊を見てしまいます。
<明夫>は子供の頃からこの世に留まっている幽霊を姿をみる能力があり、<明夫>は彼に触れているときにだけ幽霊を見ることができます。
本書には5篇の物語が納められており、自分が亡くなった交差点で孫と同じ年恰好の子供に注意し続ける老婆、人間に虐待されながらも人との生活が恋しい子犬、自ら7歳で死を選んだものの残された弟の将来に気をもんでいる少女、エゴイストで嘘つきの派遣社員の女性、そして<須賀原>自身の背負っている過去の事件等、<明夫>と二人でこの世に未練を残さないように問題を解決していきます。
どの物語も切なくて悲しい内容ですが、どの物語も、何らかの希望を感じさせてくれるほんのりとした余韻が心に残りました。
7話の短篇が収録されていますが、タイトル通り探偵役として登場するのは、「櫃洗(ひつあらい)市役所市民サービス課臨時出張所」と張り紙された場所に座る、両腕に黒い<腕貫>をした奇妙な男で、名前はありません。
大学内や病院、さびれた商店街の一角、警察署等、奇抜な場所に現れ、悩める市民たちの謎に助言を与え、時間がくれば「はい、次の方」と話しを途中で終わらせ、解決は相談者側にゆだねるという形で物語は進んでいきます。
みずから現場に出向くことなく、相談された内容だけで安楽椅子探偵よろしく謎を解明、ユーモアにあふれたミステリーが楽しめる一冊でした。
当初は新聞小説として発表された作品ですが、2007年第41回吉川英治文学賞を受賞しています。
主人公は 『誰か Somebody』 に登場した<杉村三郎>で、今多コンツェルンの会長の娘<菜穂子>との結婚の条件として小さな出版社から、今多グループの広報室勤務になり社内広報誌『あおぞら』の編集作業に携わっています。
冒頭の出だしは、67歳の<古屋明俊>が、コンビニで買ったウーロン茶のパックの中に青酸カリが入れられており、犬の散歩中に死亡する場面から物語が始まります。
広報室でアルバイトに雇った<原田いずみ>が原因のトラブルを主軸に、青酸カリの4件の連続殺人事件を織り込ませながら、<杉村>の人の好い性格を通して、人の心の陥穽の毒気を見事な構成で描き切った一冊でした。
サブタイトルに「耳袋秘話」と付く、殺人事件シリーズで、与力同心組屋敷がある八丁堀で、2人の同心が座頭らしき人物に切り殺されたところから物語は始まります。
南町奉行<根岸肥前守鎮衛>は、町奉行の威信にかかわる事件だと考え、側近の<坂巻弥三郎>と同心の<栗田次郎左衛門>の二人に命じて調査を始めますが、次々と同心殺しが行われ、<根岸>までもが狙われてしまいます。
本書は5章からなる連作短篇の形式をとり、それぞれの章で江戸市中で起こる事件を解決しながら、並行して同心殺しの真相に迫っていきます。
62歳の<根岸>ですが、5年ほど前に妻<おたか>を亡くし、いまは船宿「ちくりん」にて芸者<力丸>と楽しみながら事件を解いてゆく様は、興味の尽きない主人公として楽しめる一冊でした。
6話の短篇集が納められていますが、普通は収録作品の中からタイトルが決められていると思いますが、これはそうではありません。
作品を純文学やミステリーなどに分けるのはあまり好きではありませんが、この6話の短篇は、ジャンル分けができない内容で、また分ける必要もないほど完成された構成でした。
どの短篇にも主人公に対抗するようにキーワードとして<S>なる人物が登場、語り手は「私」もしくは「僕」で、心の葛藤や動きが作品の面白さを高めています。
わたしの文章力では、この驚くべき展開の凄さを伝えるのは至難の業で、ぜひ手にして読んでいただきたい<道尾>ワールドです。
東京の生活から離れ北海道有珠駅の近い場所「月浦」に移り住み、小さなオーベルジュ形式の「カフェ・マーニ」を<りえ>と<水縞尚>の夫婦が営んでおり、そこに訪れるわけありの客との心温まる交流が、連作短篇で描かれています。
沖縄でお誕生日を祝ってもらう旅行をトタキャンされた<香織>は、急きょ旅行先を北海道に変え、「カフェ・マーニ」を訪れ、<水縞>夫婦や、地元の青年<トキオ>や<地獄耳の陽子>たちとの交流を通して徐々に心を癒されていきます。
母親が出ていってあとに残された小学校4年生の<未久>は、仮病で授業を休んだりしていますが、母の想い出の「かぼちゃのポタージュスープ」を<りえ>が作り、<尚>の焼きたてのパンで父親との食事を通して心を開いていきます。
阪神・淡路大震災で一人娘を失くした<阪本史生>は、50年連れ添った癌に侵された妻と「カフェ・マーニ」の近くにある湖で自殺を企てていましたが、パン嫌いの妻が<尚>のパンを食べ、「あしたも食べたい」との一言で未来に目を向けて廃業していた風呂屋を再開させます。
最後の章はなぜ<りえ>と<尚>が、東京から「月浦」に移り住むことになったのかの事情が<尚>の日記形式で綴られ、<りえ>が子供の頃から大事にしていた絵本『月とマーニ』に重ね合わせるように、二人の関係が明らかに語られていきます。
巻末には著者自身の『月とマーニ』の絵本が、<ふじしまたえ>の装画で付けられており、2冊分の価値がある初の小説です。
多くの推理小説は、作者の書かれた文章中の手掛かりを探りながら、犯人を推理してゆく形をとるのが、一般的だと思います。
今回取り上げた『君の望む死に方』は、倒叙型の推理小説で、「刑事コロンボ」のようにあらかじめ犯人が分かっていてストリーが展開していきます。
冒頭、主人公が死んでいる描写から始まります。
癌告知を受けて余命6カ月しかない社長が、あえて自分の会社の社員に、自分を殺させる企みを考えます。
その社員の父親は社長と二人で会社を興した仲間でしたが、社長自身が過ちで殺した秘密があり、息子にかたき討ちをさせてやろうという設定です。
読み方を変えれば、一種の企業小説的な内容でもありますが、最後はどう終わらせるのかを先読みしながら、最後まであきることなく読めました。
江戸深川の菖蒲長屋で、医者である父<藍野松庵>の仕事を手伝っている<おいち>は16歳です。
<おいち>が他の娘と違うことは、この世に思いを残して死んだ人の姿が見える能力を持っていることで、自分が従事している医療の世界にこの能力を生かされないかと考えています。
そんなある日伯母の<おうた>が持ち込んできた見合い相手の<鵜野屋直助>の背後に、苦しそうな顔をした若い女の姿を見てしまいます。
父の義妹にあたる<おうた>、「剃刀の仙」と呼ばれる切れ者の岡っ引き<仙五郎>等の脇役人も人情味あふれ、複雑に絡み合う事件の謎解きに癒される一冊でした。
22歳の<工藤悠人>は、ある日「コエ」を耳にして惹かれるように廃車置き場に来てみると、一人の住職<筒井淨鑑>がおり、捨て置かれた冷蔵庫の中から5歳の少女<ミハル>を発見してしまいます。
生と死を扱う職業柄、<淨鑑>は<ミハル>と<悠人>を一緒にさせるとまずいと判断、遠くに養子に出したこととして、母<千賀子>と二人で<ミハル>を育てていましたが、村では次々と不可解な事件が発生していきます。
27歳になった<悠人>は、偶然に疎遠になっていた祖父<多摩雄>の「コエ」を聞き、彼が住むアパートの隣の部屋に住む<律子>と関係を持つことになり、彼と両親を取り巻く環境が祖父と<律子>の絡みの中で語られていきます。
<ミハル>を中心にして、<淨鑑>と<悠人>の物語が並行して描かれていきますが、思いもよらぬ結末で<生と愛>が見事に交錯するホラーサスペンスが楽しめました。
本書は、角川書店が発行する『小説 野生時代』に掲載されていた4篇と、描き下ろし2篇を加えた6編からなり、連作短篇の構成になっています。
高校時代の同級生、<柿崎美和>・<滝澤鈴音>・<八木浩一>は同じH大学の医学部を目指していましたが、<柿沢>は安楽死疑惑で離れ島の診療所に左遷、<滝澤>は離婚して、余命半年の肝臓がんを患い、医学部入学は諦めた<八木>は放射線技師に甘んじた過去があります。
人生におけるつまずきは後悔すべきことではなく、新たな出発点だということを、三人三様の人間関係を通して、人生の機微や男と女の関係が紡ぎだされていく短篇でまとめられています。
タイトルの『ワン・モア』の意味が、新たなる人生の希望の言葉として、読後に胸に響いてくる一冊でした。
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