どんな依頼も引き受ける「何でも屋」を舞台に、それぞれの注文(ミッション)をこなしてゆく物語が、5話ばかり収められています。
著者には失礼な話なのですが、読みながら第135回(2006年)直木三十五賞を受賞された、<三浦しをん>さんの『まほろ駅前多田便利軒』を思い出してしまいました。
こちらも、駅前で「便利屋」を営む二人の男の顛末記です。
元警官の社長である<花田>を中心に、憎めないキャラクターの男3人に、事務担当の女性社員が、それぞれの依頼主の注文に合わせて活躍する姿が描かれています。
喜ばれる仕事もあれば、依頼通りの注文をこなせずに落ちこんだりと、波乱万丈の依頼話しが展開してゆきます。
<ミッション2>ということで、2冊目のようですが、面白い依頼仕事には事欠かないでしょうから、シリーズ化が続きそうです。
前作 『娼年(しょうねん)』 の続編としての作品ですが、本書だけ読みましても前回からの流れは理解できます。
二十歳の夏に「クラブ・パッション」のオーナー<御堂静香>に声をかけられ、「娼夫」の道に足を踏み入れた<リュウ>ですが、警察の手入れを受けオーナーは逮捕されてクラブは解散となります。
警察の手入れから落ち着いた一年後、<リュウ>は仲間と共にクラブを再開させます。
ほどなくオーナーも出所してきますが、エイズが発病、心の支えであるオーナーとの永遠の別れを目の前にして、<リュウ>は自分に何ができるのかと悩みます。
裏社会の性ビジネスを縦軸に、男と女の生理的な感性の違いを横軸に、そして<しょうねん>から<せいねん>に成長する男としての<リュウ>の感性が織り込まれた一冊でした。
有名広告店代理店に勤め、バブルで使い放題の接待費で毎日宴会、有名ブランドの服やバッグで身を飾っていた<ササカワキョウコ>(45歳)は、世間体を気にする価値観の母親と二人で、息詰まる生活を送っていました。
母親が70歳を超え、兄夫婦が母親と同居するのを機会に、会社も辞め仕事もせずに、月10万円だけで生活をしようと決心して、実家を飛び出します。
探しだしたのは、共同トイレと共同のシャワー室がある、月3万円の木造アパート「れんげ荘」です。
古いということで2階は空き家のまま、1階には60歳を超えた<クマガイ>さん、自称旅人と称する20歳過ぎの女性、割烹店にて板前修業中の<サトウ>くんが住んでいます。
引っ越した季節の良い春先から、梅雨時には押し入れにカビが生え、夏には蚊に悩まされ、冬には寒さに震え上がる不便な一年の生活を通して、お金では買えない心の贅沢さを感じてゆきます。
著者には『贅沢貧乏のマリア』という、『贅沢貧乏』を書かれた森茉莉さんの評伝がありますので、精神貴族としての森茉莉に触発された作品だと思います。
解説の中で岸葉子さんが、<生活のリズム化とは、削ぎ落としてゆくことだけではないのだ。だいじなの価値観の軸をシンプルにすること>と述べられていますが、まったく同感です。
自分自信の軸がぶれることなく、物質的な満足感など求めず、心の贅沢を感じる生き方で過ごしたいものです。
以前に、元NHK社会部記者でありながら、29歳で山口大学の医学部に入学して医者になった野田一成さんの 『医者の言い分』 を紹介したことがあります。
今回の本も、パチプロ、数社の会社勤務を経て、父親を「ホテルニュージャパン」の火災で亡くし、一年間の引きこもりの末に30歳で医学部を目指し、37歳で京都大学医学部を卒業された著者の研修医時代の体験談が軸です。
一般的な社会人として当たり前のことが、なぜ大学病院では通じないのか、著者の実体験を通して医療現場と研修医の実態を余すところなく書かれています。
カンファレンスや教授回診の準備に関してはやたらうるさい指導医たちの口から、「患者さんと多くの時間を過ごそう」といった指示もなくなく、多くの医師が患者の立場に立って考え、患者の身になって行動しようと心がけていないといぶかります。
大学病院としては、「診療」「教育」「研究」といった三つの使命がありますが、重きを置かれるのは「研究」で「診療」はどこの病院でもできるという考え方がある故、患者に対して人間的な触れ合いは重要視されていないのが現状でしょうか。
著者自ら不器用と言わしめていますが、医者と患者という対比での関係ではなく、医者として患者に対する暖かみのある目線を感じながら読み終えました。
文庫本にして、284ページですが、読みきるのに時間がかかりました。
おもに就寝前が読書時間ですが、もう少し読もうという意欲がわく内容の小説ではありませんでした。非常に重たい教育の問題として書かれています。
ニュータウンに新設された「房総学院大学付属城北中学校」の教諭・矢部が何者かに襲われ、車道に転がされるという殺人未遂事件が起こります。
厳しい校則で有名なこの中学校で、矢部は体罰を平然と行い生徒たちを制圧してきていました。
警察の捜査が進む中、体面を重んじる学校側の応対で捜査は進まず、矢部がいなくなることで安心する生徒たち、逆にいじめのリーダーたちは自分が疑われないかと、追いつめられてゆきます。
ショッキングな事件を背景として、現在の中学校という教育の現場に踏み込んだ内容ですが、教師の無力化や親としての無責任さも描き出しています。
読みながら、アメリカ映画の「暴力教室」を思い出しました。1955年の作品で、不良少年たちが集まるニューヨークの高校が舞台でした。
教師側の体罰を通しての今の教育現場の問題定義のこの作品とは、主旨がが違いますが、クラス担任となったリチャード・ダディエ(グレン・フォード)の苦悩した顔を思い出します。
これは小説ではなく、「戯曲」です。
精神科医になっていた高校時代の仲間が殺人事件で亡くなり、当時の映画研究会の同窓生男女5人が、葬式の帰りに集まります。
いまは映画監督として活躍している<タカハシ>の依頼で、エキストラの出演依頼で集まったメンバーでもあります。
久しぶりに集まった仲間ですが、誰かが席をはずすと、その人物のうわさ話に花が咲くというお決まりの流れの中で、高校時代の文化祭で起こった食中毒事件が話題となり、犯人捜しに興味は移るのですが・・・。
登場人物の5人を通して、人間の懐疑心と嫉妬の錯綜する構成ですが、読後感は「んん~」でした。
「戯曲」というのは、台詞とト書きの合間の「間」を想像する力が必要で、落語を文字で読んでも面白くないのと同様、台詞の意味合いを考えながらの読書は、疲れる作業でした。
おそらく著者の作品として初めての作品ですから、三島由紀夫や安部公房・井上ひさしのように、多くの作品を読んでいる延長として「戯曲」を読むと、著者のイメージに近付けたかもしれません。
表題作の『マザコン』を含む、8編からなる短篇集です。
大人になった娘たちや息子たちから見た、母親へのさまざまな感情が交差する心の動きを描き、切ないまでの親子関係をさらけ出してくれています。
同性であるが故の母と娘の人間関係は、身体的な同一化が深く関わってていることを感じ取りました。この「母ー娘」の関係は、女性にしか描ききれないのかもしれません。
著者は各短篇の中で、その主人公たちが持つ母親というイメージを、徹底的にさらけ出してゆきます。
・・・おれと兄貴のランドセルなど、卒業アルバムだの、七五三の衣装だの、八年前に死んだ父親のネクタイの束など、そんなのどうでもいいものばかりがゴロゴロ出てきて、次第に気が滅入ってきた。
・・・潔癖症なうえ排他的で、猜疑心強く、人を信用せず、執念深い母の性質を、母の寝静まった台所で私たちは具体的に言い合った。そういう人が、慣習も常識も環境も違う場所で暮らしてゆけるはずがなかった
・・・私が結婚をしないのは母を見ていたからだった。結婚というものがいかに人を不幸にするか母にくりかえし教えられたからだった。
・・・私の母は週に一度電話をしてきては、定年後の父の立ち居振る舞いについて、放っておけば一時間は愚痴り、さらに放っておけば私に子どもを産む意思がないことを嘆き、自分の育て方が間違ってのかと言い募る。
それぞれの短篇に出てくる文章の一部ですが、どれもありふれた会話だと読み流してしまうのは、男性側からの目線でしかないように感じさせてくれる一冊でした。
<乃南アサ>の作品は、32歳でバツイチ、バイク好きの女刑事「音道貴子シリーズ」は刑事物として読んでいます。その他の作品も数多くありますが、あまり馴染みがありません。
この本の主人公は、女性が二人です。<小森谷芭子(はこ)>29歳と、<江口綾香>41歳です。
二人にはそれぞれの事情で刑務所に入っていた前歴があり、それを隠しながら東京の下町谷中界隈で、新しい人生を歩み出します。
前歴を隠しながら仕事を覚え、ご近所の老夫婦たちの人情に触れ、娑場での生活に馴染んでゆく過程が、悲しいまでのユーモアで描かれています。
前科のある負い目を感じながら、二人は寄り添い励まし、お互いを思いやりながら、前向きに進んでゆく姿は、暗い内容とは正反対に、読み手側に生きることの意義を提示しているように思えます。
構成的には4篇の物語から成り立っていますが、この二人の今後の生き方が、気になるシリーズになりそうです。
2008年4月に刊行された『ブルーベリー』を、改題・加筆されて文庫化されています。
1981年3月、岡山から東京の大学(早稲田)の合格発表を彼女と見に来ていた僕の話から始まる、12篇の短篇で構成されています。
著者自身の青春の足跡であり、せつないノスタルジーがにじみ出た小作品集です。
歳を重ねるとともに、青春時代のあのときに「もしこうしていたら」という思いは、誰もが経験することでもあり、青春時代を共に過ごした仲間のその後の人生も気にかかるところです。
阪神・淡路大震災で二人の子供を亡くされた、神戸在住の同級生の母親などの逸話もあり、それぞれの人生の歩みを考えさせられました。
<十九歳の僕は、四十歳の僕が胸ぐらをつかみたくなるぐらい冷たくて、自分勝手で、無神経で、優しさに欠けていた・・・・だから、十九歳、だったのだろう>
短い一文の中に、著者の優しさを感じながら、読み終えました。
副題に「天命探偵 真田省吾2」と付いていて、文庫本としては 『タイム・ラッシュ』 に次ぐシリーズ2冊目です。
元刑事の<山縣>所長が主催する探偵事務所<ファミリー調査サービス>のスタッフとして、施設育ちの<真田省吾>、予知能力を持った<志乃>、男勝りの<公香>が中心メンバーとして活躍します。
銃器密売組織の男が逮捕護送中にライフルで暗殺され、調べてゆくうちに、5年前に起きた病院立てこもり事件で、犯人狙撃の命令が出なかったために、犯人の自爆で妻子を亡くした元SAT狙撃班の<鳥居>が浮かんできます。
殺人犯であろうとも狙撃の命令を出さない日本の警察に対して、考え方を改めさせる為に、<鳥居>は警視総監を拉致監禁してまで復讐に走るのですが・・・。
結末は、読まれる方の楽しみにしておきます。
テレビドラを見ているような感覚で、スピード感と映像感を感じさせてくれる小説でした。
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