< 名古屋電気鉄道1形(画像56kumaの趣味日記より) >
名古屋電気鉄道は1894年(明治27年)に設立され、1898年(明治31年)5月6日に日本国内2番目の電気鉄道(路面電車)を名古屋市内「笹島(名古屋駅前)~県庁前(久屋町)」に開通させています。
以降、名古屋市内のみならず市の郊外へも路線を拡大し、愛知県西部に路線網を築き上げた。大正時代になって市内線(路面電車線)市営化の機運が高まり、市内線の市営化が実行されることになったため、名古屋電気鉄道は1921年(大正10年)に郊外路線を名古屋鉄道(初代・後の名岐鉄道、名古屋鉄道の前身)へ譲渡、翌1922年(大正11年)に市内線を名古屋市電気局(名古屋市交通局の前身)へ譲渡し、解散しました。
名古屋電気鉄道が敷設した郊外路線は一部区間が名古屋鉄道の路線として現在も運行が継続されているが、名古屋市電となった市内線は1974年(昭和49年)に全線が廃止されています。
赤桃色の花弁の花「ギタゴ」という品種が一般的な【ムギセンノウ(麦仙翁)】ですが、本種は、少し桃色が買った色合いで。違う品種のようです。以前にも、白色の品種 「オーシャンパール」 を取り上げています。
性質は丈夫で、日本各地では半野生化しています。露地やコンテナで群植させると美しいです。
日本には1877年に渡来しています。学名の「アグロステンマ」は、ギリシア語の畑を意味する「アグロ」と王冠という意味の「ステンマ」から来ており、「畑に美しく咲く」という意味です。ヨーロッパにおいて畑に生える雑草だったことに由来します。
和名の【ムギセンノウ】は麦畑に生える「センノウ」、葉がムギに似たセンノウなど由来は諸説あります。「センノウ」はナデシコ科リクニス属の植物で、花の姿が似ているから付けられたようです。
< (画像:アールキュリアル) >
フランスの競売会社アールキュリアルは5月5日、原画やフィギュアなど漫画をテーマにした競売をパリで行い、<手塚治虫>(1928年11月3日~1989年2月9日)が50年代後半に制作した「鉄腕アトム」(1951年(昭和26年)4月から翌年3月に連載された『アトム大使』の登場人物であったアトムを主人公として、1952年(昭和27年)4月から1968年(昭和43年)にかけて、「少年」(光文社)に連載され、1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけてフジテレビ系で日本初の30分テレビアニメシリーズとしてアニメ化されました)の原画が26万9400ユーロ(約3500万円)と予想を大幅に上回る高値で落札されたと発表しています。
同社によると、<手塚>作品の原画が競売に出品される機会は極めて少なく、<手塚>さんの原画の競売による落札額としては史上最高額とみられます。同社の推定落札額は4万~6万ユーロでした。
56~57年ごろに日本の少年漫画誌に掲載された作品1ページ分の原画で、欧州在住の個人収集家が落札したとされています。
オフィス北野所属の漫才コンビ・浅草キッドの <水道橋博士> が5月5日、都内(杉並区高円寺南2-20-9)に雑貨ショップ「はかせのみせ」をオープンしています。
同店は<博士>プロデュースによるもので、たけし軍団グッズや数々のお宝を扱かっています。店の入り口付近の一番目立つところにオフィス北野<森昌行>社長からのお祝いの花が飾られているようです。
<博士>は、師匠の<ビートたけし>がオフィス北野から独立したことに発端した一連の騒動で4月1日、他のたけし軍団メンバーと一斉に、ブログなどで<森>社長の経営手法への疑問などを公表。対立が深まっていました。
しかしその後は双方が話し合いを行い、4月24日のイベントでは「将来的に再建案を<森>社長と軍団と話し合った。すごい前向きだった」(博士)と建設的に話を進めていることを明かしていました。
本州最北端の田舎町で、無気力に生きていた金髪の高校生<蒼>は17歳の春、気まぐれに立ち寄った心霊スポットの廃病院で、凜という地縛霊の少女と出会う。凜は、30年前に病死した永遠の16歳。儚げな容姿と芯の強さを併せ持つ。
将来の夢もなく、生きることが面倒だと言う<蒼>に、「バカッ!!」と本気で怒る<凜>。その瞬間、<蒼>の中で何かがスパークし、あっという間に心を奪われ、<凜>に告白する。<蒼>は<凜>の中に、本気になれる何かを見つけようとする。一方の<凜>は、生きることに投げやりな蒼の態度に不快感を抱く。しかし、ストレートに「好き」をぶつけてくる<蒼>に対して、<凜>の心はしだいに惹かれていく。
<凜>が住む廃病院には、水死したフランス人の<ボビー>、自殺した元女優の<明日香>、スーツ姿で元高校教師の<高田>さん、事故死した元大学生の<吉澤>君という、個性的な幽霊仲間がいる。彼らの間では、生きている人間さながらのやりとりが繰り広げられる。
<蒼>の右手首には、<蒼>が霊感体質になる原因となった、祖母の形見の黒数珠がはめられている。何度外そうとしても、外せない。<蒼>と<凜>をめぐり会わせたその数珠には、2人の絆に関わる秘密がありました。
無気力に生きる少年と、真面目に、でも死んでいる幽霊少女が、互いに心を揺さぶられ、鼓動を感じ合う恋をする。大切な人とともに生きていること、触れられることは、生きていると、つい当たり前に思ってしまう。その前提がない2人の恋のゆくえは。
本日は端午の節句ですが、デイケアに出向きましたら、壁に<こいのぼり>が貼られていました。
この4月からの介護保険の改定により、機能回復訓練としての折り紙やちぎり絵の作業がなくなり、毎月の 『カレンダーの図案作成」 がなくなっています。
ボランティアで訪問された<ゆるりな>さんたちとの共同制作の作品だと職員の方から教えていただきました。
平面での作品ではなく、台紙を丸めているようで、立体感のある「鯉」の体形をしており、短時間で仕上げた割には、なかなかの力作でした。
世の中はゴールデンウイーク真っ最中の土曜日ですが、リハビリに出向いてまいりました。
本日のお昼ご飯は、「豆ご飯」+「チキンカツ」+「胡瓜と穴子のうざく風」+「茶碗蒸し(かぼちゃあん)」+「果物(みかん)」でした。
茶碗蒸しは、かぼちゃの餡がかかっているだけで具材としては何もなく暖かい「玉子豆腐」といった感じでいただいておりました。
本日は端午の節句ということで、お茶菓子に「柏餅」をいただきました。「柏餅」は、平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡をはさんで「カシワ」又は近畿圏以西では「サルトリイバラ」の葉などで包んだ和菓子です。
「カシワ」の葉を用いた柏餅は江戸で生まれています。「カシワ」の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、武家として「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされています。江戸で生まれた端午の節句に柏餅を供えるという文化は、参勤交代で日本全国に行き渡ったと考えられていますが、1930年代ごろまでは「カシワ」の葉を用いた柏餅は関東が中心でした。
餡の種類は、つぶあん、こしあんが一般的ですが「みそあん」も用いられています。京都では、白味噌餡を用いているところもあります。
最近では「カシワ」の葉に似せたビニール製の葉も出回っているようですが、縁起物としては、「桜餅」 同様に、本物の葉を用いてほしいものです。
<東野圭吾>の作家デビュー30周年を記念して書かれた小説を、「明日の記憶」(2006年5月13日公開)・「天空の蜂」(2015年9月12日公開)の<堤幸彦>監督が実写映画化し、<篠原涼子>と<西島秀俊>が映画初共演で夫婦役に挑むヒューマンミステリー『人魚の眠る家』が11月に公開されます。このたび、初公開となる本編映像を含むカットが解禁となっています。
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」そう約束した仮面夫婦のもとに、ある日突然、娘がプールで溺れたという悲報が届く。愛するわが子は意識不明のまま、医師から回復の見込みはないといわれる。深く眠り続ける娘を前に究極の選択を迫られた夫婦が下した決断、そのことが過酷な運命の歯車を動かしていきます。
今回初公開となった本篇映像は3カット。物語の舞台となる家の俯瞰、庭先で眠る少女の姿、そして「答えてください。娘を殺したのは、私でしょうか?」という衝撃的な問いかけとともに複雑な表情でカメラを見つめる母親・薫子(篠原涼子)の姿がおさめられています。
原作者である<東野>が「こんな小説を自分が書いていいのか?今も悩み続けています」と語ったほどの衝撃作である本作。その感涙の結末に期待したい。
単行本は幻冬舎からすでに刊行(2015年11月18日)されていますが、今月末に文庫本が刊行される予定です。
ネギボウズは、ネギ科の植物によく見られる聚繖花序(小さな花が集まって、ひとつの花を形成する花)のことです。小さな6弁花が数十輪から場合によっては千輪以上がほぼ球形に集まって咲きます。
花が咲いたあとのネギは、花に栄養をもっていかれて、おいしくはありません。
ネギそのものの花自体は、あまり観賞価値はありませんが、ネギ属(アリウム属)の中には、【アリウム・ビガンチウム】 などのように観賞用に栽培され、「生け花」 や「フラワーアレンジメント」などに利用されるものがあります。
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