著者のシリーズとして、『ST警視庁化学捜査班』があり、「ST」は「Scientific Taskforce」の略称です。
それぞれに化学の分野に秀でたメンバー6名が<百合根>警部のもと、得意の知識や分野で活躍する物語りです。
この『心霊特捜』も神奈川県警本部の組織ですが、鎌倉署の一室に受注している「R特捜班」という架空の組織が活躍する6話からなる短篇集で、「R」は「霊(れい)」の頭文字です。
<番匠>係長をトップに、3人の特殊能力を持った刑事たちが、霊に絡む事件を解決してゆきます。
本部との連絡係という役目で<岩切大悟>巡査が、なぜか成り行きで捜査に加わり、事件ははこの<岩切>の目線で語られてゆきます。
<天野頌子>に <警視庁幽霊係>シリーズ がありますが、幽霊や霊魂などと警察組織とは相容れない設定だけに、息抜きできる一冊でした。
著者は、 『京都と闇社会』 と同じ<一ノ宮美成 + グループ・K21>です。
「日本維新の会」共同代表の<橋下徹>は、タレント弁護士としてテレビ番組で活躍していた影響でしょうか、かなり以前から政治の世界でも活動している感じですが、大阪府議に当選したのはわずか5年ほど前ということに改めて気付かされました。
いい意味でも悪い意味でも、短期間に名を馳せる行動力には驚かざるを得ません。
著者たちは「日本維新の会」が、安倍政権に接近する目論見は何なのかという視点に立ち、『週刊朝日』の出自問題を掘り下げ、府議・市議としての行動を分析し、「日本維新の会」の金脈・人脈に鋭い分析を試みています。
今年7月に行われる参議院選挙に向けて、<橋下>の従軍慰安婦発言で揺れる「日本維新の会」ですが、この先の動向から目が離せない政党であることは否定できません。
少年野球の頃から目立ちながら、プロの世界に入っても野球賭博の噂が絶えない投手を主人公に据えた 『嗤うエース』 の著者が、今回はプロ野球のスカウトを主人公に据えています。
大卒でプロ球団「ギャラクシー」に入団した<久米純哉>は、肩の故障で戦力外通告を受けた際、自分を引っ張ってくれたスカウトの<堂神恭介>から「スカウトになれ」と言われ、<堂神>グループに引き込まれます。
<堂神>は、「堂神マジック」と称されるほど、数々の新人を発掘する手腕を持ち、<久米>は<堂神>のきわどく冷徹な駆け引きを通して、スカウトとは何かを体験してゆく姿が描かれてゆきます。
新人を手土産に他の球団に移籍するという<堂神>の特ダネを書いた記者<島岡>は、特ダネを察知した<堂神>の動きで誤報に終わり、地方に左遷になります。3年後にまたスポーツ部に戻り、裏がありそうな<堂神>の動きを追い続けていきます。
新人を獲得するためのスカウトの裏世界が細かく描かれ、一人の選手を他球団に引き抜かれることなくドラフト会議までのスカウトたちの熱き戦いが、スリリングな一冊でした。
『告白』にて、2008年に「週刊文春08年ミステリー」で第1位、2009年には「第6回本屋大賞」を受賞している著者で、デビュー作でのノミネート・受賞は共に史上初でした。
空気のきれいな静かな田舎町に、東京から新工場の責任者という形で引っ越してきた10歳の女の子<エミリ>が、小学校で殺害されてしまいます。
それまで校庭で一緒に遊んでいた4人の女の子たち<紗英・真紀・由佳・晶子>たちは、<エミリ>を誘いだした犯人の顔を覚えておらず、また事件後3年経ち東京の戻ることになった母親<麻子>から、「あなたたちを絶対にゆるさない。犯人を見つけられなければ私に対して償いをしなさい」と言われ、それぞれの心に重い十字架を背負わされてしまいます。
物語りは、この重い事件を心の隅に抱えながら、その後の4人のそれぞれの人生に起こる出来事が、各人の懺悔を含めたことばで語り継がれ、伏線を散りばめながら、意外な結末へと突入してゆきます。
個性ある4人の人生譚でもあり、母親<麻子>の執念を感じさせる心理サスペンスとの印象もあり、緻密な構成が生きている読み応えのある一冊でした。
物語りは、駿河国庵原郡小島、甲州往還と並行して流れる興津川が流れ、一万石の大名となった滝脇松平家七代目の信孝が陣屋を構えて小藩を立藩した地であり、青い空と澄んだ川だけがある鄙びた村を舞台としています。
立藩の時から貧窮化している藩財政を背景に、村では駿河半紙を製造することが奨励され、村人たちは紙の原料となる三椏(みつまた)を育てています。
そんな村の岩場に、美しく色づいて渦がまく場所があり、収められている七話の短篇の重要な位置を占め、人間が巻きこまれる喜怒哀楽の象徴として登場しています。
過ぎ去る時間と登場人物たちの数奇な人生が、各短篇が絡みながら描かれてゆき、最後の短篇で移ろいゆく感情のはかなさの集大成として締めくくられています。
現代社会とは違い、与えられた環境の中で精いっぱいに生きてゆく、武士や商人や農民の心意気とでもいいますか、自らの「規」をわきまえながら生きてゆく妙が味わえる一冊でした。
タイトルに惹かれて手にしましたが、当初期待した歴史物(史実物)ではありませんでした。
それでも、たまの息抜きにはいいかなと読んでみました。
廐戸皇子は、夜半の空に突然出現した「赤気」なる赤い布状のモノがたなびいたことにより人々が、吉兆か不吉の印かとおそれおののき流言飛語が飛び交うの按じ、娘<珠光王女>に対して海のかなたの他国に出向けば、「赤気」なる現象の答えが見つかるだろう旅立たせます。
王女は王子と偽り、お伴するのは、知恵に優れた白猫「北斗」、機転の利く三毛猫「オリオン」、腕自慢の虎猫「スバル」、そして龍が姿を変えている愛馬「菁龍」たちです。
「天の鳥舟」に乗り込んだ密使たちは異国へと旅立ち、それぞれ訪れた国での様々な危機や災難を、<珠光王女>とお伴が乗り越えてゆく冒険ファンタジーが楽しめました。
導入部は、主人公<秋月孝介>が勤務している旅行代理店・大角観光にて、リストラ担当者として首を切った先輩一家が、前途を悲観して飛び込み自殺をしたところから始まります。
自殺した一家の娘と<秋月>の娘とが中学校の友人同士であり、父親の非業な仕事に対し、娘も飛び降り自殺をしてしまい、<秋月>は離婚、会社も退職することになります。
かたや、日韓条約を締結するために、韓国大統領が来日するために警察は水も漏らさない体制で警備に当たる中、現職総理大臣<佐山>の孫娘が誘拐される事件が発生しますが、韓国大統領の警備に人手を割いている関係上、捜査班としては数少ない人員で対処せざるを得ません。
導入部の<秋月>の過去が、どう物語りに絡んでくるのかが見えてこないまま、誘拐犯としての緻密な計画が進み、「なるほど」と納得する場面から、一気にクライマックスのどんでん返しへと展開してゆきます。
<佐山>の「金で何でも買える」という心情の変化、<秋月>を手助けする<関口順子>や、ノンキャリア刑事<星野>の脇役が光り、どんでん返し(書けませんが)の結末とともに、人間的な味わいが残る作品でした。
一条天皇中宮・藤原彰子に女房として仕えていた<紫式部>の原作だと言われています『源氏物語』は、通常54帖の構成です。
登場人物は500名を超し、70年余りのできごとが書かれた長編で、800種の和歌を織り交ぜた典型的な王朝物語りで、日本文学史上最高傑作と評されています。
その『源氏物語』の各帖を原典として、9人の作家たちがそれぞれの解釈や思い入れで書き直したアンソロジーとして組まれています。
谷崎潤一郎や円地文子、瀬戸内寂聴たちが現代語訳を出していますが、桐野夏生(1951年生まれ)を除くと、みな1958(昭和33)年以降に生まれた人たちばかりの構成です。
どの作家たちも読み慣れていますので、書かれている文章は「やはりねぇ」と感じさせ、各自の個性が良く出た文体と解釈が楽しめました。
9編中8編までが光源氏(17歳~48歳)が主人公ですが、最後の『浮船』だけが薫(27歳)を主に据えた物語りでした。
これまたいい作品に出会えました。
6話の短篇からなる一冊ですが、一篇一篇の話しがつながってゆく連作集です。
主人公の<江波淳史>は、警視庁捜査一課に所属していた刑事ですが、上司の<加倉井>管理官の捜査方針に従って容疑者を取り調べ中に、青酸カリで自殺されてしまいます。
上司の責任を取る形で、花形刑事から、山里にある青梅警察署水根駐在所の所長として左遷されて赴任してきます。
奥多摩の駐在所として、登山に絡む事件や、ひっそりと暮らす住民を巻きこむ事件に対して、元刑事の経験を生かした捜査方針で事件を解決してゆく姿が描かれています。
あいかわらず<加倉井>が顔を出してきますが、部下の<南村>がいい脇役として、また実家に戻ってきた<内田遼子>との出会いもあり、今後シリーズ化になることを期待したい一冊でした。
明日15日は、瀬戸内寂聴さんのお誕生日(1922年・大正11年生まれ)で、91歳になられます。
老いてますます盛んという言葉がありますが、「あおぞら説法」も大人気で、ご活躍されています。
そう言えば最近、お聖さんこと田辺聖子や佐藤愛子等の女流作家たちともご無沙汰のような気がしており、何気なく手にしたのが、『老兵の消燈ラッパ』です。
佐藤愛子は(1923年・大正12年生まれ)で、現在89歳になられています。
1969(昭和44)年に『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞していますが、なんだか対応する意味ありげなタイトルとして、気になりました。
帯にあります86歳は、単行本が刊行された年(2010年)に当たります。
大正生まれの戦前派として、単刀直入に切り込むエッセイー集ですが、現在の世相を見事に反映しての文章はユーモアがあり、それぞれに考えさせられる内容でした。
文中の言葉として、<あれがいけない、これがいいなどと力んでもしょうがない。人は好むと好まざるとにかかわらず時代の流れの中で生きる。人が時代を作る。そしてその時代に流される。生きるとはそういうものであろう。>が、心に残りました。
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