昨日は、兵庫区の住宅街の中の湧水路を紹介させていただきました。
震災以前からの住民達が多い下町の雰囲気が残る地域ですので、街に対しての連帯感が強いのか、皆さんきれいに世話をされ楽しい雰囲気が伝わってきませんでしたか。
この写真はJR新長田駅山側の通りに流れています湧水路です。やはり再開発された地域です。
古い住宅地と違って、お店が中心の街並みですので、殺風景ですね。住宅街のように24時間の生活形態と同調しませんので、周囲のお店の方々も何もしないんでしょう。
ただ、水が流れているだけで、手入れがまったくされていません。
当然、よからぬ輩のゴミ捨て場になりそうな雰囲気をもっています。湧水路自体はとてもいいことですが、周辺環境を考えて計画すべきだと感じました。
ところで、「高取山湧水路」と石碑に刻まれていますが、須磨区と長田区の境目あたりに位置する標高328メートル程の山があり、六甲山縦走登山ではお馴染みのコースの一部にあたります。
その昔、この辺りが大洪水になり山も浸かってしまいました。水が引いたあと山に登りますと、松の木にタコがからみついていたとか。
そのタコを持ち帰ったことにより、タコ取り山と呼ばれ、のちに高取山と変化したとかの逸話が残っています。
低い山ですので、あながち嘘でもなさそうな感じがしています。
きれいな湧水路が、街の中を流れています。
この地域は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けました兵庫区の松本地区です。
震災以前は、普通の道路幅でしたが、再開発に伴い、大幅に車線が増えた道路になりました。
ただ道路幅員を大きくしただけではなく、住民側の意見が生かされ、水の流れる湧水路が設けられています。
震災でお世話になったお返しということで山古志村との交流も生まれ、特産の緋鯉が何匹か送られて、この湧水路で道行く人を楽しませてくれていました。
心もとない事に、緋鯉を盗む輩が出たりして、情けなく思っておりましたが、再度山古志から鯉を頂けたみたいで、元気に泳いでいます。
近所の住民たちが季節の花々や菖蒲の鉢などを飾り、落ち着いた景観が出来上がりつつありますが、瓶や缶を投げ入れる人が多いようで、これまた情けない話です。
これから夏本番を迎える中、街中での水の流れは、心を和ませてくれますね。
山陽板宿駅の改札口に、千歳保育園児の七夕飾りが飾られています。
もともと旧暦の7月7日に行われていた星祭りですが、現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行われているようです。
いっぱいの笹飾りがぶら下がり、夢を描いた短冊もたくさんあるみたいです。
小さな子供がいない家庭では、笹飾りも見ることもなく七夕の夜を迎えるしかありません。
地域に根ざした、このような交流がもっとあればなと、足を止めて見ておりました。
今夜の神戸の空は、あいにくと曇り模様。
アルタイトもベガも見えそうにありませんが、園児たちの短冊の願いが、遠い夜空に届くことを念じております。
市内兵庫区の工場街で、見かけました雨水の再利用のドラム缶です。
トユを折り曲げて、ドラム缶に接続させています。
「天水尊」と書かれていますが、自然に感謝している命名だと感じました。
植込みの木々や植物には、この雨水利用で十分だと思います。
誰でも簡単に出来そうなことなのですが、ドラム缶を置く場所が問題になるのでしょうか、このようにされているのを見かけることはありません。
貴重な水資源、大事にしなければいけませんね。
いつも利用しています山陽東須磨駅に、新しいベンチが追加されていました。
右側の青いプラスチック製がいままでのベンチですが、今回のは木製のベンチです。
日本の工業製品は、数年も経つと廃番にされて同じものが手にないらない事が多く、このベンチもおそらくそうだったんでしょうね。
利用します多くの駅のベンチは、一人ひとりが分けられているタイプが多いように見受けますが、ベンチは少ないような印象をもっています。
椅子の高さも若干高く設定されているようで、基準寸法が昔とは変わって来ているんですね。
それにしても、木製が悪いとはいいませんが、似たような製品が見つからなかったのか、自然派志向の影響なのか、なんともちぐはぐな並び方です。
新開地の<中華そば「神戸っ子」>に行きましたら、なぜか壁に貼ってありました、映画『ジョーズ』の(本物)ポスターには、中華そば屋とのつながりが分からず苦笑してしまいましたが、懐かしい絵柄です。
<スティーブン・スピルバーグ>監督の1975(昭和50)年12月のロードショウ映画でしたが、映画自体というよりは、神戸っ子としては「聚楽(しゅうらく)館」という上映映画館の名前に愛着があるのです。
新開地が映画の町として全盛期の頃は、本通りだけでも20館はあったでしょうか。
1913(大正)年に建設された初代「聚楽館」は、さすがに見たことはありません。
2代目の1934(昭和9)年に建設され、1978(昭和53)年に閉館した2代目「聚楽館」には、足げ良く通いお世話になりました。鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て、4階にはアイススケート場がある建物でした。
閉館時の最後の上映映画は、松竹経営ということもあり、<野村芳太郎>監督・<松本清張>原作の『鬼畜』だったと記憶しています。
閉館後解体されて駐車場として跡地利用されていましたが、平成13年に「大京聚楽館ビル」を正式名称に開館し、ボーリング場を中心とした娯楽ビルに生まれ変わっています。今では「ラウンドワン」といった方が、分かりやす建物になっています。
真下にある新開地駅も、今年で開通40年目の節目年に当たります。
街は変化してゆくものですが、楽しみある方向に向かってもらいたいなと思いながら、中華そばを食べておりました。
犬や猫についで、といっていいぐらい身近な動物<豚>さんを探してきました。
イラストでの<豚>さんは、中華料理店が多い土地柄か、結構見かけるんですが、立体となりますと案外ありませんでした。
(P)某美容院さんの看板<豚>さんです。ドライヤーと櫛を持っていますので、美容院のイメージは浮かびますが、店名とも総合性がなく、単なるキャラクターなんでしょうかね。
(Q)某中華料理店のビルのバルコニーから覗いている<豚>さんです。JR兵庫駅を出て、神戸駅よりの方向を山側に見ていますと、この豚さんと顔合わせが出来ます。ビルの4階あたりから、恨めしそうにこちら側をみています。
もう、中華料理では<豚>は欠かせない素材ですね。
関東では肉といえば、豚肉のことだというのを知りましたが、関西で肉と言えば牛肉しか考えられません。
吉野家は関東が発祥ですので、牛丼といいますが、関西発祥であるならば、肉丼になっていたかもしれませんね。
北海道では、「焼き鳥」といえば、<豚>の串焼きを指すそうですが、所変われば意味合いがずいぶん違ってくるのに、驚かされます。
お膝元である、湊川神社の「茅の輪」くぐりをしてきました。
この半年の穢れを落とし、残りの半年も無事に過ごせるようにと、ひとつの節目ですね。
横の看板には、スサノウノミコトが諸国を巡られ、「世に疫病あらば、茅の輪をもって腰上に着けしめよ。着けしめば。即ち家なるものまさに免れむ」との仰せの故事のよると書かれておりました。
鰯の頭も信心から、取りあえずよさそうな事ではないかと、儀式に従い8の字に回ってお祈りしてきました。
新開地から、湊川のトンネルに向かう歩道の植え込みに、インドゴムの木を見つけました。
ほとんどの場合、ご近所の方が草花を植えられているか、タンポポやポピーなどの繁殖力の強い草花がおい茂っている所ですので、インドゴムの木とは驚きました。
家の中で育てるのが、厭になった方がおられたのでしょうか?
いらなくなった人が捨てていた鉢を、可哀そうだからと思い、植え込まれたのでしょうか?
インドゴムの木は、寒さにも比較的強いので、屋外でも大丈夫かなと思いますが、なんとも異様な雰囲気でした。
生家の山麓近くに、臨済宗妙心寺派の「祥福寺」があります。全国でも三十余ばかりしかないという禅道場を構えており、雲水たちが厳しい修行をされています。
月に一度程度でしょうか、朝方多くの雲水が列をなし、玄関に来ては、「ウオッ~~」と声を張り上げ、托鉢に来ていました。
「祥福寺」と書かれた箱にお金を入れると、またまた「ウオッ~~」の声で、子供心に面白がっておりました。
この梅雨時期、大丸神戸店の入り口で、一人の僧が托鉢をしておりました。托鉢笠をかぶっているとはいえ、黒い墨染の衣は雨が浸み込んでいるでしょうから、大変でしょう。
見ると鉢も、背負子も新しい感じで、行にでて間もない雰囲気でしたが、ちゃんとビニールでかぶせてある用心さに笑ってしまいました。
さて、どの程度のお布施が集まるものなのか、本当に修行僧なのか、なんて下世話な考えしか浮かばないわたしは、「喝!」ですね。
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