神戸残像(7)【福原遷都】@兵庫区雪御所町2-1
6月
3日
1168年2月、大病を患らい出家入道していた平清盛は、政権の強化を図るために孫の安徳天皇を奉じて、現在の神戸市兵庫区平野の地に都造りを計りました。1180年の出来事です。
途中から、反平家勢の挙兵が始まり、また遷都の反対も根強く、未完のまま約170日で頓挫してしまいます。
この石碑は、平家軍勢が住んでいたであろう邸宅跡地の「湊山小学校」の外壁の一角に建立されています。実際の平清盛の屋敷は、この石碑よりは北側であったとの研究報告が出ています。
わたしは、この「湊山小学校」より東にあります「平野小学校」の卒業生ですが、「平」家の本拠があった「野」ということで、この近辺を平野と呼ぶようです。
この石碑は子供の頃には、「湊山小学校」の校庭にありました。歴史ブームやテレビドラマでの影響でしょうか、余りにも見学客が多いということで、近年敷地の歩道側に移設され、道行く人は自由に見学できるようになっています。
石碑は、学校建設工事の明治39年、造成時に掘り出されたもので、全盛期の御所の庭作りに使用されていたと考えられています。
「湊山小学校」も100周年を超え、「平野小学校」との統廃合も考えられるのですが、どちらも由緒ある小学校ということで存続しております。
もし福原遷都が実行されていたら、神戸は今頃どんな街になっていたかと、石碑を見ながら考えてしまいます。