「マタイ福音書は教えの書」
マタイ福音書・総集編⑴
~マタイ福音書連続講解説教 108~
メッセージノートはこちらから
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/2015-06-26
マタイは、カペナウムにて
通行税を徴収する取税人であった(マタイ9:9)。
よって編集・記述能力に長けた官吏であり、
彼の書いた福音書は題目的記事の展開でとなり、
時間順に書かれたものではない。
マタイ福音書がNTの最初の書であるという位置は、
OTとの関連性を想起させる。
実にマタイ福音書の内容が、
両者の橋渡しの役割を果たしているのである。
本書には、65回もOTからの引用がある。
「成就するためであった」という用語は13回も出ている。
他の福音書と比べて突出していて、
主イエスがOT預言の成就として来られたという点が、マタイの中心主題である。
OTからの聖句をNT記者が引用する際には、4種類の類型がある。
これはユダヤ教教師のラビが文献を引用する際の典型的な用法であるが、
現代のそれとは大きく異なるものである。
現代私たちが文献を引用する際には、
省略や統合などの編集は認められないのが常識となっている。
聖書をそのつもりでみる限り
「OT聖句がNTに引用される際には正確さに欠けている」という壁に突き当たる。
聖書が書かれた際の文法や様式、文学形態を理解し、
それに沿った解釈をしなくては本意を見逃してしまう罠がここにある。
そのOT引用例の4種類の類型の全てがマタイ2章に出現している。
OT引用の4類型:マタイ2章から
1) 字義通り型:(5~6節)
OT記述とこれを引用しているNT文書はほぼ同一である
ほとんどの引用はこの類型
私たちの現在の常識と合致する
2) タイプとしての成就(15 節)
ホセア11:1は、預言ではなく出エジプトの歴史的出来事を回顧している
神の子・イスラエルが、神のひとり子のイエスのタイプとして引用され、
双方ともに出エジプトを果たした点が共通項である
クリスチャンも神の子とされたものである。
同様にサタンからの攻撃と神の守りを経験する
「タイプ成就」の例
•イザヤ29:13 ~ マタイ15:7~9
•イザヤ6:10 ~ ヨハネ12:39~40
•詩篇118:22~23 ~ マタイ21:42
3) 適用としての成就(17~18節)
エレミヤ31:15、近未来に起こるバビロン捕囚が背景となっている
捕囚に引かれてゆく男子はラマに集合させられ
母親たちが我が子と涙の別れをするとの預言
ラケルはイスラエルの母の代表
「ラケルがその子ら(捕囚民)のために泣いている」とエレミヤは描写
字義とおりでもなく、フルスケイルのタイプとしてではなく、
たった一つの類似点を取り上 げて、その部分をのみ適用したものである
•母親が失った子供たちのために泣いている、という点
•それ以外のどの点にも引用文からの類似点は見出せない
「適用タイプ」の例: ヨエル2:28~32と使徒2:16~21
•「字義とおりの預言成就」と解釈することから起こる混乱と挫折があった。
全ての人の預言者的活動や天変地異は今も成就されていない。
•類似点はたった一つ、それは「聖霊の激しい傾注があった」点のみ。
4) まとめとしての成就(23節)
OT のどこの箇所にも引用元は見出されない。
「ナザレ」という言葉さえOTに言及なし
「預言者たち」複数形であることに注目 :4つの類型でこのタイプのみ
これは OT の預言書群がメシアについて教えていることの
総体でありまとめである
「ナザレ」とは、「さげすまれ、軽蔑され、拒絶されたもの」の呼称
~ヨハネ1:45~46
これはメシアの地上生涯の性格をまとめたものである~イザヤ 53 章
「まとめ成就」の例
•メシアご自身のことばから~ルカ18:31~33、マタイ26:54~56
•これらのことばのどれにも OT からの引用元は見出せないが、
総合するとメシアの受難と拒絶 を教えていることになる
~イザヤ 53 章の成就
*聖書はユダヤ的な読み物なので、その視点から読まない限り正しく解釈・理解することは不可能である
ベルビューの我が家に戻り
緑の中に包まれる。
ニューヨークでは、どこを振り向いても
コンクリート・ジャングルの世界だった。
私に限ってのことであろうが、
ストレスにさらされて息抜きも出来ない。
手入れをしていない伸び放題の植木であるが、
それらをボッと眺めているだけで、数秒人間味を取り戻していく気がした。
マンハッタンのメトロ地下鉄は
週末と午前0時以降の深夜になると特別な運行スケジュールとなります。
その「特別」ぶりも予め予定されているのなら覚悟は出来ますが
予告なしでイレギュラーに変更されるところがすごいです。
これまで何度もそのおかげ様で
飛行機に乗り遅れそうになったことがありました。
カーネギーホールでの公演後、
長女のホテルに戻ってリセプション。
それが終わると深夜の12時を回ってました。
私ども夫婦のホテルはコスト削減のため
マンハッタンを出た河向こうにあるLong Island Cityにある安手のところ。
通常ならそこまでは15分で行ける場所です。
それが、1時間半もかかってしまいました*\(^o^)/*
ホーム入り口の電光掲示板に従って電車に乗ったはずなのですが
逆の方角へ電車が走りだしたのには驚きました。
それから乗り換えて本来の方向に走り出したは良いものの
その列車は数駅走った後で運行中止に。
乗り換えのために、その時間帯のための
正しいプラットホームを探し出すのに難儀。
日本なら駅員さんがいて、彼ら聞けばことは済むのだが、
ここには誰もその駅員さんがいない。
ようやく乗った列車であったが、
その走行速度の遅さは笑ってしまうほど。。
ジョッギングするほどのスピードしか
出していなかった。
しかもその列車、突然
「特急列車です」との場内放送。
ホテル最寄の駅は特急は停車しないため
その一つ手前の駅で下車して雨の中を歩くことに。
そんなこんなで慌てふためいているのは私たちぐらいのものです。
他の人々は実に落ち着いていて
全てを受け入れているように見えます。
そんな悟りの境地に
私もいつか達する日があるのでしょうか?
ニューヨークのホテルを朝7時頃に出立。
シアトルまでの飛行時間は6時間ほどある。
離陸は午前9時半頃。
ここで、クイズ。
シアトル到着は何時となるでしょうか?
午後3時半?
ブー、
正解はお昼の12時半頃。
なぜなら3時間の時差があり、
西へ向かう飛行では常に時間を儲けることになる。
おかげで日曜夕刻からの
教会のための準備も余裕で進められる。
長女のフライトは数時間遅れたため
真夜中頃となるらしい。
そこまでは起きていられずに
午後10時に家内に悪いと思いつつも先に休ませてもらう。
ニューヨーク時間では
すでに午前1時なのだから。
カーネギーホールで指定席を探し出し
そこでカメラを構えていると後方から声がしました。
「Daddy!!」
2列目の真後ろに長女が座っていました。
ニューヨークで初めての再開。
早速嫌がる彼女をなだめて写真をパチリ。
開幕は、ステージは彼女の属しているコーラス。
数十人の他の中学生らとともに歌ったその声は、
この世のものと思えない
天使が歌うかのようで、
「美しい」
「綺麗」
「透き通っている」
「上手だ」
なんていうありきたりの表現の範疇には
到底納まらないものでした。
会場の音響効果が生かされていることももちろんあるでしょうが、
さすがに世界各国から選び抜かれた子供達です。
その後のブラスバンドの演奏も
音の質感、その調和、コンダクターの統率ぶり、、、
どれも超一流のもので、中学生の演奏とは
目撃しない限り誰も解らないでしょう。
ビデオ撮影は禁止されていますので
写真でしかお届けできないのが残念です。
この時期にマンハッタンを歩いていて
出くわす通行人は観光客がほとんどです。
欧州の各言語や中国語が飛び交っているのですが
一体彼らは何が面白くてこのコンクリートジャングルに来ているのでしょうか?
家内共々に首をかしげています。
この日の深夜過ぎに到着予定だった
家内のフライトがキャンセル。
彼女は早朝5時半にニューヨークに降り立ち
6時半過ぎ、私が寝ているホテルの部屋に無事にやってきました。
その晩の8時が長女のカーネギーホール公演で
翌日の早朝6時半過ぎに私とともにホテルを出立して帰宅の路に着きます。
彼女の初めてのニューヨーク。
滞在時間の26時間をどう生かすか?
著名な観光地を当初は考えていようです。
自由の女神像、グランド・セントラル、公立図書館、、、、
しかしてその実際は…???
半日はホテルでRed Eye行軍の疲労回復に努め
後の半日は、なでしこに捧げました。
ホテルで長女と会ってから
向かえにある喫茶店の大型スクリーンで
なでしこ対オーストラリア戦を観戦。
その甲斐あって?日本の勝利。
私は試合が全て終了してからその喫茶店に駆けつけ、
家内とカーネギーホールに向かいました。
友人と二人でニューヨークまでフライト。
長女のホテル・ロビー
長女がこの日、ニューヨーク入りしました。
この土曜のカーネギーホールでの公演のためです。
彼女と同様に2回のオーディション審査を潜り抜けた中学生ら100名ほどが
3泊しながら公演のための曲を合同練習します。
彼女らの滞在ホテルはペン・ステイションと言われるマンハッタンでも
目抜き通りに位置している老舗の高級ホテル。
そのホテルの1ブルック近くまで来るたびに
テキストメッセージを送ったんです。
「今、近くにいるんだけど、
少しでも会える?」
帰って来た返事は
「忙しいので無理」
ランチや夕食時はどうかと聞いてみても
そのチャンスはない、とのつれない返事のみ。
ニューヨーク滞在中は常に5人グループでの行動が義務付けられて
そのグループを監督・監視する人が割り当てられています。
就寝時ですら彼らを監督する目は
緩められることはありません。
彼ら生徒らの宿泊する階の廊下には椅子に腰かけた監視官が
夜通しで寝ずの番をするのだそうです。
不審者対策であると同時に
部屋を抜け出す脱走者を見張る役割です。
ここまで来ると、囚人扱い?
実際、長女はその様に感じているらしく
「アイスクリームも買いに行かせてくれない」とぼやいていました。
ビッシリした練習スケジュールをこなす練習会場と
ホテルを往復するだけの毎日。
日本の中学生の修学旅行並みの管理体制のようです。
Lower East Sideにある日本レストランにて
ここは釜飯で有名。私の注文したサーモンいくら丼。
この日はのんちゃんの誕生日。
そのお祝いを兼ねての夕食をマンハッタンの日本レストランでしました。
ニューヨークに来るたびにお会いしている
錦織先生とも一緒に。
FBで当地に駐在していることは昨年から知っていましので
のんちゃんとはお会いしたいとかねがね考えていました。
私が川崎教会にいた時の彼女は中学生、
その後私が渡米して間もなく、
大学生となったのんちゃんは
シアトルに短期留学生として来られたときにお会いしています。
現在は大手銀行の駐在マンの主婦として立派に成長され
ニューヨークライフを満喫されておられる様子。
それでも中学生頃のみずみずさを失なうことなく、
変わらずに屈託のない笑顔と優しさを届けてくれる
のんちゃんを頼もしく感じました。
ニューヨークの空港からバスでマンハッタンまで。
下車した近くにはタイムズスクエアがある。
今週から詰まったスケジュールが始まる。
先ずはニューヨーク行き。
ニューヨークでは渡辺謙さんの
ブロードウェイ・ミュージカルは逃してしまったが、
毎晩、人とお会いするアポが入っている。
Red Eye フライトを利用して
シアトル発が夜の9時で、ニューヨーク着は翌朝の5時。
離陸時間は1時間遅れたが、
たった今、搭乗案内がアナウンスされた。
それで行ってきます。
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