ベルビューの我が家に戻り
緑の中に包まれる。
ニューヨークでは、どこを振り向いても
コンクリート・ジャングルの世界だった。
私に限ってのことであろうが、
ストレスにさらされて息抜きも出来ない。
手入れをしていない伸び放題の植木であるが、
それらをボッと眺めているだけで、数秒人間味を取り戻していく気がした。
マンハッタンのメトロ地下鉄は
週末と午前0時以降の深夜になると特別な運行スケジュールとなります。
その「特別」ぶりも予め予定されているのなら覚悟は出来ますが
予告なしでイレギュラーに変更されるところがすごいです。
これまで何度もそのおかげ様で
飛行機に乗り遅れそうになったことがありました。
カーネギーホールでの公演後、
長女のホテルに戻ってリセプション。
それが終わると深夜の12時を回ってました。
私ども夫婦のホテルはコスト削減のため
マンハッタンを出た河向こうにあるLong Island Cityにある安手のところ。
通常ならそこまでは15分で行ける場所です。
それが、1時間半もかかってしまいました*\(^o^)/*
ホーム入り口の電光掲示板に従って電車に乗ったはずなのですが
逆の方角へ電車が走りだしたのには驚きました。
それから乗り換えて本来の方向に走り出したは良いものの
その列車は数駅走った後で運行中止に。
乗り換えのために、その時間帯のための
正しいプラットホームを探し出すのに難儀。
日本なら駅員さんがいて、彼ら聞けばことは済むのだが、
ここには誰もその駅員さんがいない。
ようやく乗った列車であったが、
その走行速度の遅さは笑ってしまうほど。。
ジョッギングするほどのスピードしか
出していなかった。
しかもその列車、突然
「特急列車です」との場内放送。
ホテル最寄の駅は特急は停車しないため
その一つ手前の駅で下車して雨の中を歩くことに。
そんなこんなで慌てふためいているのは私たちぐらいのものです。
他の人々は実に落ち着いていて
全てを受け入れているように見えます。
そんな悟りの境地に
私もいつか達する日があるのでしょうか?
ニューヨークのホテルを朝7時頃に出立。
シアトルまでの飛行時間は6時間ほどある。
離陸は午前9時半頃。
ここで、クイズ。
シアトル到着は何時となるでしょうか?
午後3時半?
ブー、
正解はお昼の12時半頃。
なぜなら3時間の時差があり、
西へ向かう飛行では常に時間を儲けることになる。
おかげで日曜夕刻からの
教会のための準備も余裕で進められる。
長女のフライトは数時間遅れたため
真夜中頃となるらしい。
そこまでは起きていられずに
午後10時に家内に悪いと思いつつも先に休ませてもらう。
ニューヨーク時間では
すでに午前1時なのだから。
カーネギーホールで指定席を探し出し
そこでカメラを構えていると後方から声がしました。
「Daddy!!」
2列目の真後ろに長女が座っていました。
ニューヨークで初めての再開。
早速嫌がる彼女をなだめて写真をパチリ。
開幕は、ステージは彼女の属しているコーラス。
数十人の他の中学生らとともに歌ったその声は、
この世のものと思えない
天使が歌うかのようで、
「美しい」
「綺麗」
「透き通っている」
「上手だ」
なんていうありきたりの表現の範疇には
到底納まらないものでした。
会場の音響効果が生かされていることももちろんあるでしょうが、
さすがに世界各国から選び抜かれた子供達です。
その後のブラスバンドの演奏も
音の質感、その調和、コンダクターの統率ぶり、、、
どれも超一流のもので、中学生の演奏とは
目撃しない限り誰も解らないでしょう。
ビデオ撮影は禁止されていますので
写真でしかお届けできないのが残念です。
この時期にマンハッタンを歩いていて
出くわす通行人は観光客がほとんどです。
欧州の各言語や中国語が飛び交っているのですが
一体彼らは何が面白くてこのコンクリートジャングルに来ているのでしょうか?
家内共々に首をかしげています。
この日の深夜過ぎに到着予定だった
家内のフライトがキャンセル。
彼女は早朝5時半にニューヨークに降り立ち
6時半過ぎ、私が寝ているホテルの部屋に無事にやってきました。
その晩の8時が長女のカーネギーホール公演で
翌日の早朝6時半過ぎに私とともにホテルを出立して帰宅の路に着きます。
彼女の初めてのニューヨーク。
滞在時間の26時間をどう生かすか?
著名な観光地を当初は考えていようです。
自由の女神像、グランド・セントラル、公立図書館、、、、
しかしてその実際は…???
半日はホテルでRed Eye行軍の疲労回復に努め
後の半日は、なでしこに捧げました。
ホテルで長女と会ってから
向かえにある喫茶店の大型スクリーンで
なでしこ対オーストラリア戦を観戦。
その甲斐あって?日本の勝利。
私は試合が全て終了してからその喫茶店に駆けつけ、
家内とカーネギーホールに向かいました。
友人と二人でニューヨークまでフライト。
長女のホテル・ロビー
長女がこの日、ニューヨーク入りしました。
この土曜のカーネギーホールでの公演のためです。
彼女と同様に2回のオーディション審査を潜り抜けた中学生ら100名ほどが
3泊しながら公演のための曲を合同練習します。
彼女らの滞在ホテルはペン・ステイションと言われるマンハッタンでも
目抜き通りに位置している老舗の高級ホテル。
そのホテルの1ブルック近くまで来るたびに
テキストメッセージを送ったんです。
「今、近くにいるんだけど、
少しでも会える?」
帰って来た返事は
「忙しいので無理」
ランチや夕食時はどうかと聞いてみても
そのチャンスはない、とのつれない返事のみ。
ニューヨーク滞在中は常に5人グループでの行動が義務付けられて
そのグループを監督・監視する人が割り当てられています。
就寝時ですら彼らを監督する目は
緩められることはありません。
彼ら生徒らの宿泊する階の廊下には椅子に腰かけた監視官が
夜通しで寝ずの番をするのだそうです。
不審者対策であると同時に
部屋を抜け出す脱走者を見張る役割です。
ここまで来ると、囚人扱い?
実際、長女はその様に感じているらしく
「アイスクリームも買いに行かせてくれない」とぼやいていました。
ビッシリした練習スケジュールをこなす練習会場と
ホテルを往復するだけの毎日。
日本の中学生の修学旅行並みの管理体制のようです。
Lower East Sideにある日本レストランにて
ここは釜飯で有名。私の注文したサーモンいくら丼。
この日はのんちゃんの誕生日。
そのお祝いを兼ねての夕食をマンハッタンの日本レストランでしました。
ニューヨークに来るたびにお会いしている
錦織先生とも一緒に。
FBで当地に駐在していることは昨年から知っていましので
のんちゃんとはお会いしたいとかねがね考えていました。
私が川崎教会にいた時の彼女は中学生、
その後私が渡米して間もなく、
大学生となったのんちゃんは
シアトルに短期留学生として来られたときにお会いしています。
現在は大手銀行の駐在マンの主婦として立派に成長され
ニューヨークライフを満喫されておられる様子。
それでも中学生頃のみずみずさを失なうことなく、
変わらずに屈託のない笑顔と優しさを届けてくれる
のんちゃんを頼もしく感じました。
ニューヨークの空港からバスでマンハッタンまで。
下車した近くにはタイムズスクエアがある。
今週から詰まったスケジュールが始まる。
先ずはニューヨーク行き。
ニューヨークでは渡辺謙さんの
ブロードウェイ・ミュージカルは逃してしまったが、
毎晩、人とお会いするアポが入っている。
Red Eye フライトを利用して
シアトル発が夜の9時で、ニューヨーク着は翌朝の5時。
離陸時間は1時間遅れたが、
たった今、搭乗案内がアナウンスされた。
それで行ってきます。
イスラエルにある城壁を洗う地中海の荒波
「メシアの宣教大命令」
マタイ28章16~20節
~マタイ福音書連続講解説教 107~
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/81620107
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいた全てのことを守るように、
彼らを教えなさい。」
マタイ福音書に記されてある最後の主イエスのことばです。
復活前までの主イエスの宣教地域はイスラエル国内に限られていたものでした。
ここでは「全世界」が宣教対象となっています。
この違いを見抜くためには、
新しい時代が到来(ディスペンセイション)
したことを理解しなくてはなりません。
①モーセ律法の時代は神の直接啓示(神の顕現やみことばの付与)が
イスラエルのみに与えられていた
弟子たちを派遣するときは、イスラエル国内での宣教命令。
「イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい」マタイ10:5~8
その際の「天の国」(7)とは
メシア的王国のことである。
メシアは先ず、イスラエルの救いのために遣わされた。
「イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません」
マタイ15:21~24
②メシアの十字架、復活、聖霊降臨により新しい時代が到来した
新しい契約が締結された故に、神が人を統治される原則が変化した
福音宣教=神の国の到来宣の対象が、異邦人にも拡大した。
「全世界に出て行って」
ただし、聖霊降臨までの50日間、エルサレムにとどまる必要があった。
新しい契約は使徒2章にある聖霊降臨によって完結するためである。
次に、
この宣教大命令と言われているみことばに焦点を当てて見ましょう。
まず、文書の構造からわかることは、
この大命令にある動詞は一つだけである。~「弟子としなさい」
他の動詞は現在分詞形であり、弟子づくりのための方法を示している
この文法構造から
キリスト教会の最終的な目標がどこにあるかが見えてきます。
ある教会は国外宣教を優先し、
または洗礼者が起こされ、集会出席人数に重きを置きます。
また教育事業にかかわっている教会や団体があります。
これらは大切なキリスト教事業には相違ないですが、
それら一つ一つは目標に至る手段であって、
キリストの弟子作りのための前段階であることを
確認しなくてはなりません。
1) 「行って」
全世界を対象にした伝道のこと
行くためには遣わされなくてはならない:教会が宣教師を派遣する使命がある
2) 「バプテスマを授け」
父、御子、聖霊の三位一体の神秘が教えられている
「御名」は単数形
「よって」into:三位の神との一体を示す
救いを得たのちに、救いのしるしとしてのバプテスマを教えるものであり、
初代教会において両者は不可分の関係であった
3) 「教えなさい」
「命じておいた全てのことを」=NY、さらにOTのことであるといえる。
霊感による記述されたゆえに、神(メシア)の教えがもれなく、
誤りなく伝えられている。ヨハネ14:26
「全てここと」を網羅するために教育の使命がある
「守るように」:信仰と行為との連続性・関連性
「神を愛するとは、神の命令を守ること」 Ⅰヨハネ5:3
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です」
ヨハネ14:21
聖書の教えに反している行動や生活習慣の中にあって
「クリスチャンです」との告白はあり得ない。
ここで霊的指導者が
気を付けなくてはならない罠があります。
「弟子を作る」とは、イエス様の弟子を作ることであって
自分自身の弟子を作ることではないということです。
その罠に陥るとき、教会がカルト化してしまいます。
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