今晩もサンマテオにお住いの
Yさんご夫妻を訪問。
90才近くになるというご主人。
彼は大のサンフランシスコ・ジャイアンツファンである。
3人で夕食を囲んでいても
ご自分の食事が終わると、食卓から立ち上がり、
TV観戦を続ける。
その甲斐もなく、其日は4-3でジャイアンツは負けてしまったが。
もう一つ驚いたこと。
帰り際にドライブウエイに止めてある車を見せてもらった。
ピカピカの新車である。
ホンダの新しいモデルの洒落たデザイン。
それはなんと、ご主人の買い物であるという。
友人に会うため、ロサンゼルスへ旅行するためにも必要だったようです。
普段は物静かな方なのに。
あと10年は運転しないと新車の元がとれないと思うのですが。。
3枚の駐車違反チケットはドネイションと心得るべし
見るのも嫌だった駐車違反の反則切符。
この日、まとめて処理しました。
先日、ロスで3枚もチケットを受け取ってしまったのです。
それぞれ、$60以上の出費。 痛い!
そのうちの2回は、
その場で取締官がターミナルを捜査しているときのもの。
つまり、1分もその差はなかった。
3枚目はホテル近くの路上で、16分差。
日曜日だった。教会へ行く際の悲劇。
これもロスアンゼルス市へのドネイション(献金)として
おささげしましょう。
現在のエルサレムの城壁
死海
「メシアの復活」
マタイ28章1~10節
~マタイ福音書連続講解説教 105~
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/8110105
イエス様が復活されました。
明け方早い時間に地震が起こり、墓石が転がされ、入り口が開きました。
天使たちが現れて、ローマの番兵たちはあまりの恐怖に腰を抜かし、
死人のようになって硬直したと記録されています。
❶ 4福音記事の調和について
4つの福音書にある復活物語を比べると、
一見して矛盾しているような場面があります。
朝早く墓に訪れに行ったのは、
マタイ28:1では、二人のマリヤの名が記されています。
マルコ16:1では、その二人にサロメ(ヨハネとヤコブの母親)が加わり、
ルカ24:10では、サロメがいない代わりにヨハンナの名前があります。
ヨハネ20:1では、マグダラのマリヤだけが墓に行ったことになっています。
聖書の霊感(神の霊によって書かれ、それゆえ誤りははい)を信じない人たちは、
これらの相違が矛盾であると指摘して、霊感を否定するのです。
それは「編集者の自由裁量の原則」
を見逃している短絡的な見解です。
福音書記者たちは、
それぞれの視点からそれぞれの印象に残ったことを選択しているのです。
そこには編集上の省略や総合的な記述など、
各人に任された記述手法があります。
4つの福音書を突き合わせてみると、
次のような順序で復活したイエスが女性たちにお会いしているのが分かります。
⊛先ず、マグダラのマリヤだけが一人で墓に向かっている
⊛墓石が動いているのを見て、弟子たちのところに走って戻って報告した
⊛ヨハネとペテロが確かめに墓まで走っている
⊛後から再び訪れたマグダラのマリヤは諦めきれずに墓の入り口で泣いている と、二人のみ使いに出会う。
⊛続いてイエスに出会う。その時はイエスにすがりつくことは許されていない。
ヨハネ20:17
⊛そのあとで、ほかのマリヤ、サロメ、ヨハンナの3人の女性たちが墓を訪れている。
⊛そこでみ使いとイエスに同様にして合っている。
⊛その時は彼女たちはイエスの足を抱き、礼拝をささげている。マタイ28:9
❷ 大祭司としてのイエス
初めに会ったマグダラのマリヤはイエスの体に触ることが許されなかったのに、
その後にお会いした他の女性たちに許されているのはどうしてでしょうか。
その時間に何があったと考えられるでしょうか。
レビ記の16章には、大祭司が贖罪の日(ヨム・キプール)に行う
年に一度の贖いの儀式規定が記されています。
その日、至聖所に入って民全体のために贖いの血を注ぎかけるのです。
その際、儀式が始まってから終わるまでは誰も大祭司に触れることは許されていません。
人から触れらると汚れたものとされ、
至聖所での清めの儀式が出来なくなるとされていました。
ここでイエスは天そのものにお入りになり、
私たちのために動物の血ではなく、ご自身の血を携えて
父なる神の御前に進み出られ、
私たちのために贖いを成し遂げてくださったのです。
Mマリヤからその他の女性たちにお会いするまでのその時間内に、
これらの贖いの務めを天において果たされたと考えられます。
地上生涯において主イエスは預言者としての働きをされました。
イスラエルの系譜に属する預言者として、
人々から拒否され、最後は十字架の死を遂げられたのです。
それ以後の主の働きは主に大祭司のそれとなります。
私たち信者のためにとりなしの祈りを神の右の座において
常時していてくださっています。
そして将来、地上に再臨される際には
全世界をエルサレムから統治される王として君臨されます。
❸ ガリラヤでお会いできる
復活の主イエスと弟子たちとはガリラヤで会うことになるとみ使いが告げています。復活の主もそこで弟子たちと会うと約束されています。マタイ28:7、10
どうしてわざわざ「ガリラヤで会う」ことが強調されたのでしょうか。
弟子たちも女性たちも全てガリラヤ出身の人たちです。
そして主イエスの働きのホームもガリラヤでした。
エルサレムでの宣教は、祭りのときに都上りをした場合でしかなく、
いわばハレの日の非日常体験です。
つまり彼らにとっての日常生活の場がガリラヤであったのです。
そこで主イエスにお会いする、と約束されています。
私たちのイエス様は
日曜日に教会に来ている時だけ神なのではありません。
月曜からの週日、あなたの仕事場や家庭生活、
そのありふれた日常生活の場においてあなたとお会いし、
あなたに語り掛け、
あなたと同行される神なるお方であられます。
エルサレムにて復活の主に初めてお会いし、
やがて聖霊降臨もそこで50日後に経験した弟子たちでした。
その特別な霊的祝福は、
ありふれた彼らのガリラヤでの生活において日常化されていくのです。
私たちも同様に、変哲のない日常生活の場に
主イエスをお迎えしようではありませんか。
池田小学校の無差別殺傷事件から14年。
TVでの特集を見る機会がありました。
当時小学2年生の娘を殺されたご婦人はしばらく生きる気力を失い、
「生きることも死ぬことも出来ない」脱力感と失望にありました。
事件のあった教室を訪ねた。
教室で刺された娘さんが廊下まで歩いた血痕が残っている。
68歩の血痕。
パパ、ママ、助けて !
そう叫びたかったかもしれない、娘さん。
血痕は明らかによろめきながら、壁にもたれそうになっているのが分かる形で続いている。
……娘は最後まで自分の命を、最後の一歩まで振り絞るようにして生き抜いた……
……どれほど生きたかったか、どれほど母親に会いたかったか………
それを知った時、無気力だった彼女に
我が子のためにも生きよう、との新たな力が備わってきた。
彼女は今、犯罪被害者の遺族や災害被害者の方々のために働いている。
彼らの「心に寄り添う」働きは
その痛みを知る彼女にこそ出来ることで、
希望の見えない人に光を灯している。
KAIが12歳になる。
この金曜、仲良しの友人らをわが家に招いてのスリープ・オーバー。
下校してから、
近所のコミュニティーセンターにあるプールでその仲良しと遊び
夕食はピザ。
プールが終われば我が家に戻ってのTVやゲーム。
彼らに居間が占領されているので
こうして書斎でのブログ執筆が進む。
もうしばらくすれば持参した寝袋を広げて
居間で雑魚寝となる。
こうして仲良しと時を共有するのが一番の楽しみのようだ。
10年来の友人、Jさん。
さて、シアトルに戻り
早速こちらの友人に会いに行く。
10年来の友人である彼に
ロスで撮った写真を見せると、
彼とチームを組んでいた人が映っていた。
彼はロスで長年仕事をしていて、その時のアシスタントが
これまた私の13年来の友人だった。
友達の友達は
また友達。
ウエスト・シアトルからフェリーに乗ること15分。
ヴァション島に接岸。
ロスアンゼルスから帰って来て気づいたこと。
シアトルにはまぶしいほどの緑が多く、空気もきれい。
何といっても空間が大きい。
入り江や湖に囲まれていて、水辺も多い。
そんな居住空間の余裕は、
人々の心の余裕にもつながっているらしい。
高速を走る車の運転を一つ取り上げても
無理な割り込みやクラクションによる威嚇がない。
コンクリで固められた街中で過ごしたロスでは
すっかり肩が張ってしまったらしい。
毎晩、同窓会などの旧交を深める機会には恵まれていたものの
緊張の続いた1週間だったようだ。
都に帰った今、深呼吸をして
リラックスを始めることにしよう。
教会敷地の隣は日系文化センターとなっていて、日系人戦没者の石碑がありました。
日曜の朝、9時からの礼拝に
リトル東京にあるロサンゼルス合同教会へ行ってきました。
「合同」と名付けられているのは、
長老教会と組合教会の二つの教会とが合併した由来からです。
100年を超える歴史を誇る教会ですから
2世や3世の日系人の皆様方、重鎮はもちろん健在です。
それとともに賛美リードや聖書研究を担当している
20代からの若い方々も活躍している姿に励まされました。
リトル東京は殷賑を極めている。すごい人だかり。
ロスでの同窓会第二弾は
イスラエル聖地旅行の仲間たち。
10年前、聖地旅行を共にして
ロスにお住いの方々に集まっていただきました。
数年振りに再会したり、
10年振りだったり、、
定年退職されて隠居ホーム?に滞在されていたり、
一念発起されてアジアの国へ宣教へ出て行かれたり、
転倒して入院された方、
ガンを克服された方、
皆さんそれぞれの試練をくぐり抜けながら
それでも、いやその時こそともに歩んでくださった主イエスを証ししてくださいました。
10年の月日は年齢を実感させるだけの変貌を遂げたお互いですが、
いよいよ主の恵みに生かされて、輝いていらっしゃる皆さんに励まされました。
「私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの内なる人は衰えても
内なる人は、日々新たにされています。」
(Ⅱコリント4章16節)
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