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「ここに愛がある」

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「ここに愛がある」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
「ここに愛がある」
 
 
ヨハネの手紙 第一 4章7~10節
 
 
"愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
 
 
(序論)
 

①私たちは普段、何を最優先としているか? 意識している時もしていない時も。
 
②もし優先事項が明白なら、心と生活はそれに向かって統合されたものとなる。
 

(1)  世に遣わされたひとり子
 

 ①「かけがえのない」「代わりが効かないもの」の意味
 世継ぎの長男は、当時の社会になってはとてつもなく大切な存在だった

②神とっての最大の優先事項がここに示された
 
 
(2)  ここに愛が示された
 

①「Agape」の訳語として、16世紀来日ポルトガル人宣教師は「大切」と翻訳
 「極めて重要で尊敬するもの」として使われていた日本語が「大切」だった
 

②Agapeは犠牲によってその質量がはかられる~日本社会にその文化には存在しない概念であり、行動原理。
 
 

(3) いのちを得させるため
 

 ①日本社会とこの私を変貌させてきたのが、このいのちだった
 
②そのいのちが注ぎ出されたのがキリストの十字架であり、そのいのちが芽を出し、躍動を始めたのが彼の復活だった
 
 
(結論)
 

①神の最優先事項愛すること
 
②その愛を今、私たちは受けている
主イエスは今もいのちを注いでおられる
 
 
 
 
 
 
 
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「仕えられるためではなく、仕えるために」

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「仕えられるためではなく、仕え...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 

「仕えられるためではなく、仕えるために」
 

マルコの福音書 10章35~45節
 

"ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちが願うことをかなえていただきたいのです。」
イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
彼らは言った。「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。」
しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」
彼らは「できます」と言った。そこで、イエスは言われた。「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。
しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです。」
ほかの十人はこれを聞いて、ヤコブとヨハネに腹を立て始めた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」"
 

(序論)
 
 
①イエスはエルサレムに登る途上にあり、そこで待ち受けている運命を覚悟していた(33-
 
②弟子たちの目論見(37)
 
③両者の間には、大きな隔たりがある~神の国の進展に対して自己拡大
 
 
(1) ヤコブとヨハネの頼み事~自己拡大の例
 
 
① イエスの栄光の座で、右大臣と左大臣に。血縁関係を利用した昇進を期待
 
②他の弟子らの立腹~同様な競争意識があった。出し抜かれた想い

③他者を信じることができず、策略を巡らす関係性の中では疑いと緊張が蔓延る
 

(2)  主イエスの飲む杯とバプテスマ
 
 
①「杯」~従来持っている人としての肉性を捨てて、神の意思に生きること(14:36)

②「バプテスマ」~十字架の死に同一化されること

③やがて変えられる弟子たちは皆、その杯を飲み、バプテスマを受けることになる。
 神の国の地位については、人間の思いによらない父なる神ご自身による聖定がある
 

(3)  仕えられるものと仕えるものとの対比
 
 
① 仕えられる者~支配者や偉い人たちはヒエラルキー構造の中で下々を支配し、思いのままに権力を振るう。そこでは疑惑と恐れ、孤独に支配される。ヘロデ大王の例。
 
②仕える者~他者を愛し、生かすことを目的としているのかによって人との関わり方が決まる     
 

(結論)
 
 
①何を目指しているかで、どこを歩むかも決められる
一体自己実現と自己勢力拡大がゴールなのか、神の国の拡大ゆえに自らの杯受け取るのか
 
②主イエスは既に私に仕えてくださった
この私の祈りに耳を傾け、この私を信じ、悟りを与えて生かし続けてくださってきた
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