もう、7月となりました
この紀行のスタートが6月の3日一寸月遅れの感は否めませんが、旧暦の6月5日は端午の節句
旧暦で一般に行なわれるのは「お盆」ですが、地方により
雛の節句や端午の節句も旧暦で祝いますこの画像は6月5日よもぎと菖蒲を束ねて軒に飾ります
由来は
菖蒲(しょうぶ)蓬(よもぎ)
中国においては邪気(じゃき)を払い健康を祈願する日とされ
野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を飾ったり
菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習がありました。 蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)は邪気を払う作用があると
考えられていました。
現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯
(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っています。
朝食を済ませ、「家財道具」一式を収納し出発した
これから3回程登り下りを繰り返し素浜海岸を過ぎて
本日の宿泊予定地へ向かう程なく立て看板があったので、観察をしてみた柱状溶岩と書いてあるが、門外漢のためにその価値が
どのようなものかは判断できない
この旅の二泊目は沢崎鼻燈台の東屋を借りての泊りである
手すりを樹木の代わりをするが、低い為に床に身体を横たえて
休む
勿論、エァーマットがあるので眠るには支障はない標高38m程の燈台から北方向を眺めると、明日向かう
大佐渡の一番西の端の山並がうっすらと見える
沢崎鼻燈台
この燈台は佐渡の西端に位置する
北緯 37度49分20秒
東経138度12分21秒燈台脇の大きなコンクリート製の東屋は天井が剥離し落下
使用不可能となっていたこの燈台を
与謝野晶子は
「沢崎の
燈臺に身をなぞらえて
はし鷹立てり
一つ岩に」
と詠っています
二日目の宿泊予定地、沢崎に到着
沢崎鼻燈台へ向かう橋の上から沢崎の漁港と集落が俯瞰できる
小木の町を散策した
商店街の店々にはおしゃれな看板が統一された形で軒に付いている絵も楽しい一番上の左の看板には「小木の秋
海と越路の山ならぶ
方より白く明け初めけり」
与謝野晶子の句が書かれていた
一寸開けた土地には人家や田圃、畑、工場などがある佐渡にも八十八ケ寺の札所があると聞いている佐渡西国四番札所
海潮山観音寺四国八十八ケ寺は余りに遠すぎて挑戦不可能と諦めているが
この島なら可能である
右手に山裾が迫り、日の良く当たる斜面に白い花が群生していますウノハナ (ウツギ【空木】)旧暦の卯月に咲くので「ウノハナ」と付いたとあります有名な「夏は来ぬ」の歌詞と説明をとあるサイトから引用しました卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬさみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ橘(たちばな)の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ楝(おうち)ちる、川べの宿の
門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して
夕月すずしき、夏は来ぬ五月(さつき)やみ、蛍飛びかい
水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす、夏は来ぬ「卯(う)の花の、匂う垣根に」は、やはり、ウノハナが香るのではなく、白い花が美しく映える状態をいっているのでしょう。
「『にほふ』」は、『美しく色づく、美しく 映える』という意味で、元々、目で見て美しいことを表す言葉でした。平安時代に、においに 関する意味が加わって、現代では、視覚の意味が消えて、嗅覚(きゅうかく)の意味だけが残りました」(インターネットサイト「のぞきみ 日本語・日本文化」)
佐々木信綱さんは、ここに古語を使ったのだと思います。 ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木です。
確かに鼻を近づけても匂いはありません
常に左手に海を見ながら歩く
右手に山が迫り、小さな沢が幾つも現れる
藪の中に紫の模様を付けた花があったシャガ アヤメ科アヤメ属名前の由来はヒオウギの漢名「射干」(しゃかん)からとある
第一日目の宿泊を終え、赤泊方向(西へ)足を進めた
2Kほど歩くと若い男女の銅像が建っている銅版に説明が書かれ、土佐と加賀の男女と書いてある
地名は最初「逢田」から「大田」となり現在は「多田」となり
発音は『オオダ』となっている時代は天智天皇(西暦668-671)となっているので
相当古い時代である
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