浅草「來々軒」が復活@新横浜ラーメン博物館
8月
13日
來々軒の創業者である<尾崎貫一>さんの孫にあたる<高橋邦夫>さんと玄孫にあたる<高橋雄作>さんの協力を得て、新横浜ラーメン博物館が調査を進める中で、当時使われていた小麦粉や調理方法などを解明したことで今回の復活にこぎつけました。
麺に使用する小麦は、明治までさかのぼり、当時の遺伝子を持つ後継品種を使用し青竹打ち製麺で再現。具材も当時使用していた食材を用い、当時の調理方法で再現する。スープに関しては時代と共に食材の品質や味の嗜好の変化があるため、当時使用していたしょうゆや食材の基本は変えずに、現代風にアレンジされています。
「來々軒」は、横浜の南京町から中国人コックを引き連れて<尾崎貫一>さんが浅草の新畑町3番地にオープン。当時は、ラーメン店という業態は存在せず、「來々軒」が「支那そば」「ワンタン」「シウマイ」という大衆的なメニューを安価に販売したことで、他業種にもラーメンを広めるきっかけとなりました。1944年に戦争により一時閉店するも、1954年に八重洲に場所を移し再開。1965年に内神田に移転するも、跡継ぎがいなかったこともあり1976年に閉店しました。
ラーメン屋の代名詞となった來々軒という屋号は、その後全国に広がり<太宰治>の『斜陽』(1947年)や<手塚治虫>の『三つ目がとおる』(1974年28号 - 1978年12号『週刊少年マガジン 』)などにも登場。現在は、同名の店舗は国内に171軒(2020年5月時点)、海外ではパリやニューヨークまで広がっています。