かっては「ウサギ小屋」だと海外から揶揄された時代がありましたが、最近は耳にすることもなくなりました。
現在では「ネットカフェ難民」などという言葉が、一人歩きしているようです。
人間が生活をしてゆく上で、住宅の広さの適正規模が存在するものかは、住宅の設計を生業としていながら難しい問題のひとつです。
著者は、内田百閒の二畳の生活空間や高村光太郎の三畳の山小屋、被爆地長崎で活躍した医師永井隆の<如己堂>と呼ばれたやはり二畳の家等を取り上げ、住空間の意味を検証しています。
それぞれの人たちは、<自分の意思で住みこなそうとしていること>、<狭い中に閉じこもる生活ではなく、友人や地域の人たちとの精神的なつながりがあること>、<狭いけれども精神的な豊かさがあること>を指摘しながら、充実した濃密な空間であったことを確認してゆきます。
わたしの学生時代は、四畳半一間の下宿生活で風呂もトイレも共用でしたが、狭いながらも密度の濃い空間であったことを、思い出しながら読み終えました。
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投稿日 2012-12-08 07:22
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2012-12-08 16:35
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投稿日 2012-12-08 18:53
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投稿日 2012-12-08 18:57
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