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久方ぶりのロサンゼルス

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飛び立って最初に見えて来たのが... 飛び立って最初に見えて来たのがレニア山の巨峰 富士山よりも高いワシントン州最... 富士山よりも高いワシントン州最高峰です。 久方ぶりのロサンゼルス 次に見えてきたのはオレゴン州と... 次に見えてきたのはオレゴン州との境界近くにあるアダムス山 久方ぶりのロサンゼルス 久方ぶりのロサンゼルス 久方ぶりのロサンゼルス 久方ぶりのロサンゼルス 通り越してから、つまり南側から... 通り越してから、つまり南側から遠望 ロスのダウンタウン。 ロスのダウンタウン。 ロスアンゼルス市内には2時間と... ロスアンゼルス市内には2時間と15分ほどで到達
今週からロサンゼルスにお出かけです。

うーん、最後にロスを訪れたのはいつのことだったか思い出せません。

確か、2009年に南カリフォルニア教会連合合同のキャンプに参加させていただいたのが最後だったように記憶しています。
#旅行

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「タラントのたとえ」

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「タラントのたとえ」
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/1143093

「タラントのたとえ」
マタイ 25 章 14~30 節
~マタイ福音書連続講解説教 93~

マタイ 24章は、終末時代に関する主イエスの教説 であり、
世界の終り、携挙、再臨、千年王国についての預言が満載されていました。

続く25章では、3つのたとえ話が主によって語られていますが、
それを理解するためには、

24章との関連の中で
終末時代に限定されている時代設定であることを抑えねばなりません。

聖書文脈を無視してある特定箇所取り上げ、
私的に解釈してはなりません。

本日の箇所では、「忠実なしもべ」とは誰かを教えています。
それは、

①主人の帰りを待っているものである
②与えられた仕事に励んでいるものである
③主人の心を知っていたものである

文脈から旅に出た主人とは、地上から天へと帰っていかれる主イエスであり、
その主人が帰って来る時とは、主が地上に再臨される時であるのがわかります。

3人のしもべたちにそれぞれ異なるタラント授け、
帰還した主人はどれだけ商売で儲けたかの報告を受けます。

最大の5タラントを儲けたしもべを最大評価し、
何も儲けなかったしもべからは元金の1タラントをも取り上げています。

一見すると、どれだけ収益を上げているかが
主人の評価基準のように見受けられるのです。

伝道や宣教の成果でやがて評価され、改心者を一人も得なかった者は
「外の暗闇に追い出しなさい」(30節)と捨てられてしまう……恐ろしい話です。

それが本当であるなら私など天国へ入れる希望はありません!

しかし、嬉しいことに天国への入国審査は
どれだけの働きをしたかによらないで、

信仰の有る無しというのが聖書の一貫したメッセージです。
そう、唯一の救いのための条件は、信仰です。

それならここのたとえ話はどの様に解釈するのでしょう?
主が結論として言われた29節に注目です。

「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、
持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。」

神の国の原則(29)

「持っているものは、さらに与えられて豊かになる 」というのは、
神の国の原則です。

現在経済界で流行っている
「資本主義が進むと貧者と富者の二分化が進み、格差が広がって行く」
というのと似ているかもしれません。

それならそんな原則を保つ神は不公平ではないか、
何ていう声も聞こえて来そうです。

そこで注意深く学んでみましょう。

①「持っている者」とは、忠実なしもべたちのことです。
②「さらに与えられるもの」とは、将来受け継ぐ千年王国です。
③さらに現在においては、聖霊が結ばせてくださる実であると言えます。
(ガラテヤ 5:22~23)

ここで「持っている者」とは
果たして何を持っているのかを解明せねばなりません。それは、

①主の言葉に対する信頼です。
主人が帰って来るという言葉を信じ、
たといその時期が分からずとも、帰還を期待して待ちました。

②主との愛の関係 です。
主人不在の間、どうして忠実に働いて
期待されていた成果を上げることが出来たのでしょうか。

主人が恐かったのですか?
3人目の働きもしなかったしもべの言葉はこうです。

「ご主人様。あなたは、蒔かないところから刈り取り、
散らさない所から集めるひどい方だと分かっていました」(24節)。

この人には正しい主人理解がないばかりか、
信頼関係がないことが分かります。

働いて成果を上げた1番目、2番目との対照的な相違です。
つまり「持っていた」とは、信仰を持っていたと言えます。

③一方、持たない者は、
「持っているものまでも取り上げられる」 とありましたが、
これは

@現世での天与の賜物 がやがての審判で取り上げられる。
@千年王国での相続地はなく、火の池に投げ込まれる(30)
@つまり「持たないもの」とは、不信者のことです。
主の言葉を聞いてもそれを受け入れようとはしないで、
己が道を突き進もうとする人たちの厳粛な最期の姿が描かれています。

結論 として「信仰」と「行為」の関係について 考察しましょう。

救いについて=千年王国を相続するための条件は何か
それは、忠実な働きぶりであるとたとえ話から教えられることがありますが、見事な誤解 です。

主人の心を知り、これに応えたいとする愛の動機が
しもべをして5タラント、2タラントを稼ぐ働きにつながったのです。
=そこは、信仰が先にあったゆえの働きであったのを見落としてはなりません。

「主人の喜びをともに喜んでくれ」(21,23)。
主人はリターンを喜んでいるのではなく、
信頼と愛とを失わなかったしもべたちを喜んでいると言えます。

それなら救いを一旦得たのなら、
良い行為はなおざりにしても構わないのか?

清算時に行為に応じた報酬があることを教えています。

救い自体は失われないが、
与えられている賜物をどのように生かしてきたかは、

メシアの審判の前で問われる時が来ることも教えています。
#救済

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吉田松陰と「天」

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野山獄跡 野山獄跡


野山獄に繋がれている松陰はだいぶご機嫌らしい。
この若者にとっては、塞ぎこむということがないらしい。

天命の中にいるなら、
天が何時も自分を味方に着いてくれると楽観している。

それゆえ鎖国破りの国禁も屁のカッパ。
獄につながれていようとも、その魂は未知の世界をすでに逍遥している。

先達の囚人を捕まえてはそれぞれの得意分野を見つけ出し、
互いに教授となって授業を始めてしまった…

聖書の教えている「創造者」なる方は人格を持った生ける神であるが
それほどの認識までは進んでいないものの、

当時の志士たちも儒教的な「天」を論じる時、
信仰を抱いていたらしいことを司馬さんは次のように書いている。

……………………………………

「この時代、読書人たちはみな天という概念の信者であった。
天とは絶対者というべきであろう。

さらにいえば、松陰らの教養である朱子学にあっては
宇宙のげんりそのものを天といい、

人生もまた天という大いなる原理の中につつみこまれていた。
松陰はようやく天の意思を感じた。」

……………………………………………


ペリー艦隊での密航が失敗に終わってしまったことが惜しまれてならない。
もし成功して外国の諸事情を吸収して帰国出来ていたら………

そのような「もし」があてがわれる惜しい人材が
次々に死を遂げて逝ってしまった革命期。

松陰は鎖国日本の閉ざされた情報管理社会の中で
「天」に対する信仰に生きたが、

もし聖書の真理に接する機会が与えられたなら
人格的な「天」に帰依していたと言っていいと考えます。







#TV #ドラマ #ビデオ #映画 #音楽

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シアトルに帰還

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昨日の嵐がウソのようにおさまっ... 昨日の嵐がウソのようにおさまって穏やかなサンフランシスコ。 アラメダのツインタワー教会。 アラメダのツインタワー教会。 シアトル途上の機内から見下ろし... シアトル途上の機内から見下ろしたサンフランシスコ。
中央の明るい通りがマーケットストリート。
雲海の彼方に夕陽が沈むところは... 雲海の彼方に夕陽が沈むところは太平洋。
昨日午後からのサンフランシスコ市内は激しい雨を伴う嵐に見舞われた。

穏やかな気候に慣れている人々には試練となったようです。

市内には至る所で渋滞が発生。
主な交差点には消防車や警察車両が陣取っている。

そこを通り過ごして見ても
何のための交通整理か分からなかった。

Van Ness という幹線道路での事ですが
黄色いテープで非常線が張られていましたが、人身事故でもあったのでしょうか?

渋滞中に目の前のファーストフードの看板が強風にあおられて外れた。
畳にして10畳ほどの大きさであったが、
歩行者が直撃されたら致命傷となったはず。

至近距離であっても宿舎までなかなかたどり着けない。
路上駐車のスペースを探していると身動きの取れない渋滞にハマってしまった。

今回だけは観念してホテル駐車場を利用することにした。
$20であるが、事故のリスクを背負うよりもましでした。

#バイク #ボート #車 #鉄道 #飛行機

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サンフランシスコへ

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サンフランシスコ、中華街の入り... サンフランシスコ、中華街の入り口に至るGrant ストリート サンフランシスコのMarket... サンフランシスコのMarket streetにそびえ立つ三角形ビルディング サンフランシスコへ

サクラメントからサンフランシスコへ移動
ハイウエイを幾つか乗り継ぎ、途中の中継点ベニシャにも寄る。

先週から依頼を頂いていた方の所にスレスレで間に合う。
サクラメントからは1時間の距離。

全てのアポを終えると夜の7時を超えていた。
最近見つけたタイレストラン・Mai Taiにて一人で打ち上げをした。

そこのレストランは、調理人もサーバーも生粋のタイ人らしく
オリジナルな風味を味わわせてくれる。

ベニシャの中心部の1st.Streetには日本食料理店がもちろんあるが
生粋の日本人が運営していないので試すこともないのです。

そこからサンフランシスコダウンタウンの宿舎まで丁度1時間であった。
#バイク #ボート #車 #鉄道 #飛行機

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後藤健二さんの死は無駄でなかった⑵

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後藤健二さんの死は無駄でなかっ... 後藤健二さんの死は無駄でなかっ... 後藤健二さんの死は無駄でなかっ... 後藤健二さんの死は無駄でなかっ...


ナイフで斬首するとは残忍で卑劣極まりない蛮行だ。

「人間のすることとはおもえない」との某大臣がコメントしたが、
どんな言葉をもってしても十分に糾弾出来そうにないほどの残虐非道さに怒りを覚えます。

だが、その凶行を「イスラム国が常軌を逸したテロ集団だから出来るんだ」
と帰着させるのには無理がある。

人間は宗教による洗脳理由以外にも、
殺人鬼となり得る恐ろしい生き物であるらしい。

ルワンダで、斧を振るって数十万人が虐殺されたのは10年程前だった。

殺人者は普通の人達であり、
それまで顔見知りの村人を所属民族が違うというだけで
レイプ、手足切断、斬首、、、悪鬼になったのだった。

我々日本人も同様で、悪鬼に変貌して来た歴史を持つ。

先の大戦で捕虜を日本刀で斬首したり、
槍で刺し殺したりした。

この2月5日は
長崎の西の丘にて26人のキリシタンが磔刑にされた記念日であった。

秀吉は、両耳と鼻を削げと命じたが
奉行の石田三成は片耳だけを削いで京都市中を引き回して見世物にした。

真冬の厳寒期に彼らを長崎まである歩かせた上で処刑。
その一行には、12歳、13歳の少年がいたという。

徳川期入って鎖国が完成すると
キリシタン迫害は組織的に、熾烈さを増していく。

雲仙の熱湯を生身の人間に注ぐとは、、、
これこそ人間の出来ることではなかろう。

日本人だけが常識を備えた、
平和と調和を重んじる民だと自惚れることは出来ない。

…………………………………………………

人権意識が広く行き渡っている現代に
イスラム国の非道さが驚愕をもって非難されている。

その信奉しているところのものは中世にあった価値観であるようだ。

欧州社会が幾たびの戦乱を超えて培ってきた原理
ー政教分離の原則ーこれが通用しないのである。

西欧型民主主義とイスラム原理主義との戦いとは、
現代型人権主義と中世にあった政教一致主義との
相克であると言えるのではなかろうか?
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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サクラメントで良い心地

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東海岸のニュージャージー 東海岸のニュージャージー サクラメントのパフォーマンスセ... サクラメントのパフォーマンスセンター

ここのところ、米国東海岸では大寒波の襲来。
ドライブウエイの雪かきを朝の6時半から励んで出勤しているFB友人がいます。

西海岸のワシントン州とオレゴン州では豪雨と強風の嵐が吹き荒れています。

自宅に張り出している隣の敷地の大木は
その強風で枝払いが進んで半分ほどの大きさになったらしいです。

そんな嵐の中、家内はサッカーの試合があり、
もちろんずぶ濡れで帰ってきました。夜の9時過ぎに。
ご苦労様でございます。

カリフォルニアのサクラメントでは、申し訳ないことに快晴が続いています。
気温も穏やかで、春のような陽気です。

冬季のシアトルは毎日が雨模様ですから、
ここでは良い具合に息抜きとなります。
#自然

ワオ!と言っているユーザー

Mikuniで降ってきたもの

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毎年ベストレストランに選ばれて... 毎年ベストレストランに選ばれているMikuni 脇目もふらずに寿司を握るナオミ... 脇目もふらずに寿司を握るナオミチさん この日の夕食、ジャパニーズ・マ... この日の夕食、ジャパニーズ・マフィア・ロール Mikuniで降ってきたもの Mikuniで降ってきたもの 降って来た生牡蠣 降って来た生牡蠣 Mikuniで降ってきたもの 店内はいつも満席 店内はいつも満席 Mikuniで降ってきたもの

サクラメントに行ったなら日本人として決して逃してはならないレストランがある。
Mikuniレストラン。

市内に7店舗ほどあるからどの場所にいても間近にある感覚。

この日はミッドタウン店へ。
ダウンタウンのほぼ中央、16thとCapital St. 辺りに位置している。

週日というのに、玄関先にはすでに10名弱の待機客。
私は一人なのでカウンター席に案内される。

カウンターの向こうでは
創業者の御曹司のひとり、ナオミチさんが忙しそうに寿司を握っていた。

私のことを覚えていて日本語で話しかけてくれるところがうれしい。
毎日数十人を接待しているのに、大した記憶力。
私には到底及ばない芸当である。

話が弾んだあまりに、生牡蠣が天から降りてきた。
ウーン、絶品!
#グルメ #バー #レストラン

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後藤健二さんの死は無駄でない⑴

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後藤健二さんの死は無駄でない⑴ 後藤健二さんの死は無駄でない⑴
先ず、後藤さんをよく知るあるメディア関係者の投稿を紹介します。

「昨年10月末にシリアに渡航したとされる後藤さんからは、ちょうどその時期、毎月1回の掲載を予定していた連載コラムの最初の寄稿「戦争に行くという意味」を頂きました。これが最初で最後のコラムになってしまうとは、想像すらしていませんでした。
後藤さんの霊は、今、神様の御許(みもと)にあります。数カ月にわたる恐怖、不安から解放され、安らぎを得ていることでしょう。
「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(黙示録21:3〜4)
聖書は、天国についてこのように語っています。後藤さんは、たくさん流した涙がぬぐい去られ、悲しみも嘆きもない場所にいるのだと思います。
しかし、この世に残された私たちには、それを知りつつも、後藤さんを失った悲しみが残ります。もう後藤さんにこの地上で会うことができないのか、彼の口から話を聞くことはできないのか、もう二度と別れの握手を交わすこともできないのか・・・。
後藤さん、どんなに苦しかったでしょう、どんなに寂しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなに無念だったでしょう・・・。
昨年5月のインタビュー記事を何度も読み返しました。あの時もシリアに向かう前日でした。「今回は、今までで一番危険かもしれない」。そう言って、少し緊張した横顔を見せた彼を今も忘れません。それでも、数週間後に帰国した後藤さんは、いつものように時折SNSやメールを通して連絡をくれました。テレビでの出演も多く、元気で活躍している姿に安堵したものです。
別れ際はいつも「気をつけてくださいね。またお会いしましょうね」と声を掛けました。後藤さんは決まって「大丈夫。無理はしないから。またお会いしましょう」と笑顔を見せてくれました。そう、あのシリア入国前に見せた「必ず生きて帰りますけどね」と語ったあの笑顔です。誰にでも安心感を与えるような温かなあの笑顔に、もう会うこともできないと思うと、寂しさで胸が張り裂ける思いです。
インタビュー記事の中で、「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と語っていた後藤さんを思い出します。この言葉を話し終えた後、少しだけ寂しそうな顔をして、クスッと笑ったように見えました。昔のことを思い出して恥ずかしかったのか、それとも「そんなこと、起こるわけないだろう」と自答したのか・・・。
荒い岩砂漠の土の上にひざまずき、ナイフをかざされ、死を前に何を祈り、何を思ったのか・・・。今は、推測しかできませんが、少なくとも彼が最期に遺した「この内戦が早く終わってシリアに平和を・・・」という言葉に嘘はないと思います。
「関心を持ち続けてほしい。シリアで起こっていることは、『遠い国で起きていることで、われわれ日本人に関係ないこと』ではないということを忘れないでほしい。なぜ僕がカメラを向けたときに、シリアの人々は話をしてくれるのか? それは、彼らがその映像を通して、日本にいる人たちに訴えたいことがたくさんあるからなのです」と、多くの講演会で後藤さんは語っていました。
彼が命を懸けて伝えたかったのは、イスラム国の恐ろしさでも、政府への不満でもなく、「なぜ、こんなことが世界で起きてしまっているのかを真剣に考えてほしい」ということではないかと思うのです。「分かち合い・奉仕・愛」の気持ちが世界中の人にあれば、あんな残忍な事件は起きないはずです。われわれ一人ひとりにできること、それはあらゆる状況下で暮らす人々のことに「関心」を持ち続けること。そして、隣人を思い、祈ることだと思います。
「後藤さんはキリスト者ですか?」と、初めて聞いた時のことを思い出します。「そうです。不敬虔極まりないキリスト者ですが・・・」と、照れたように笑った顔。
 後藤さん、あなたは不敬虔なキリスト者なんかじゃありません。立派なジャーナリストであり、立派なキリスト者でした。私たちは、あなたを誇りに思います。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)
後藤さんと天国で再会する日を期待して。新聖歌508番「神共に在(いま)して」を心静かに賛美します。
また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝身(ながみ)を離れざれ」


以上はクリスチャニティトディの記事からの引用でした。
……………………………………………………………………………………

後藤健二さんが人質となって身代金を要求されて以来、
この件に関するニュースがどの日本メディアでもトップとなっているようです。

処刑されて以降は主な関心先が、国内外の邦人保護であるようです。
テロリストらが日本人一般を標的にするような表現があったため

いかに未然にテロや誘拐を防ぐか、
安部さんは「指一本も触れさせない」なんて勇ましくもおっしゃいました。

世間の関心が平和と安全構築に向かう中で確認したいことを
上の記事はついているように思いました。

それは後藤さんの視線の行き先です。
その優しい眼差しは
最大の戦争被害者である子どもたちに向けられていたようです。

彼らが直面している現実の困難さとはどういうものか…
その中にあって、どんな生活をしてどんな顔をして生きているのか…

大人たちが始めた紛争に平和な国に暮らす我々はどう向き合い、
どう行動を起こすのか…

そんな問いかけを彼は報道を通じて
我々に投げかけてくれているように思えるのです。

この問いかけに我々が真摯向き合うとき、
彼の死は無駄ではなかったと言えるような気がしています。

#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

ワオ!と言っているユーザー

奇妙な若者

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奇妙な若者
ついに松陰は野山獄での囚人生活を送ることになる。
同僚の金子が死に瀕していること以外、この若者を気落ちさせるものはなかった。

天性の楽天家か?
人の善性を疑わなかった分だけ、
他人の懐に飛び込んでは幽閉生活を快活なものに創り上げてしまう。

そんな稀に見る気質は母親譲りかも知れない。
ドラマでも、事あるごとに「世話ない」と決まり文句を放つ彼女の屈託なさが目立つ。

松陰の身を案じてオロオロする家族の中にあって
母親だけは笑顔を崩さず悲観しないのは、
痴呆かと思える程である。

司馬遼太郎は天真爛漫な松陰をこんな風に描いている。

「この若者のほとんど生まれつきといえる奇妙さは、事態が悪化し、豪雨の前の空のように陰々として暗くなればなるほど、その密雲の上の固有の蒼天をおもうらしい。
むろんたれの目にも見えないが、松陰の目には網膜が青く染まるほどのあざやかさでおもうようであった。」
〜「世に棲む日日」の「空の青」から〜
#TV #ドラマ #ビデオ #映画 #音楽

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