吉田松陰と「天」
2月
9日
野山獄に繋がれている松陰はだいぶご機嫌らしい。
この若者にとっては、塞ぎこむということがないらしい。
天命の中にいるなら、
天が何時も自分を味方に着いてくれると楽観している。
それゆえ鎖国破りの国禁も屁のカッパ。
獄につながれていようとも、その魂は未知の世界をすでに逍遥している。
先達の囚人を捕まえてはそれぞれの得意分野を見つけ出し、
互いに教授となって授業を始めてしまった…
聖書の教えている「創造者」なる方は人格を持った生ける神であるが
それほどの認識までは進んでいないものの、
当時の志士たちも儒教的な「天」を論じる時、
信仰を抱いていたらしいことを司馬さんは次のように書いている。
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「この時代、読書人たちはみな天という概念の信者であった。
天とは絶対者というべきであろう。
さらにいえば、松陰らの教養である朱子学にあっては
宇宙のげんりそのものを天といい、
人生もまた天という大いなる原理の中につつみこまれていた。
松陰はようやく天の意思を感じた。」
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ペリー艦隊での密航が失敗に終わってしまったことが惜しまれてならない。
もし成功して外国の諸事情を吸収して帰国出来ていたら………
そのような「もし」があてがわれる惜しい人材が
次々に死を遂げて逝ってしまった革命期。
松陰は鎖国日本の閉ざされた情報管理社会の中で
「天」に対する信仰に生きたが、
もし聖書の真理に接する機会が与えられたなら
人格的な「天」に帰依していたと言っていいと考えます。