ソルトレイクシティ・ダウンタウン
十字架で死なれた主は
「よみ」にまで降られた。
死者の魂が集められているところで
その場で勝利を「宣言」されたと聖書は教える。
不信者や反抗者、それに悪霊たちの死の場所へ行って
ご自身が神の国を建設するにあたっての勝利宣言であった。
今日、聖書の教えを掲げながら
それにプラスアルファ、教祖の独自の教理を加える宗教組織がある。
キリスト教の「異端」と呼ばれているもの。
一般の人には見分けがつかないほどに似ているが、
本質の部分で異なっている。
似て非なるものである。
エホバの証人や
モルモン教徒(末日教徒)が代表的な異端であろう。
米国のモルモン教徒の大本山は、
ユタ州の州都、ソルトレイクシティである。
モルモン教徒らが移住し、開拓し、建設、発展させてきた街。
犯罪も少なく、綺麗に整い、高額所得者の街として名を馳せている。
彼らの寺院の尖塔のように
その宗教的な実践力も際立っている。
近所の国立公園や町には、
彼ら初期の移住者らが名付けた聖書の地名がふんだんに登場する。
……………………………………
ところで
善良そうな人達を「異端者」と呼ぶのは
器量が狭いと、感じる向きもおられよう。
全能の神の啓示の書としては「聖書のみ」
がプロテスタント信仰の根幹であり、
聖書以外のものを権威とするなら
異端であるとするのがプロテスタントの立場である。
これは、一般の人々にとり見分けがつかない。
現在は真偽がともに併存する「キリスト教世界」時代である。
しかし、真偽の違いが誰の目にも明らかとなる時がやがてやって来る。
終末時代が進むほど明瞭化すると聖書は告げている。
受難週です。
ゲッセマネ の園で苦しまれた主。
あまりの精神的なショックと苦悩は
発汗器官の毛細細胞を破壊し
血が汗となって滴り落ちるほどであったと
医者のルカは記録している。
現在、ホサナ教会ではマタイ連続講解が99回まで進み、
ゲッセマネの園とその後の主の逮捕まで辿り着いている。
「この杯をわたしから取り去ってください」
と主は祈られたが、
その「杯」について新しい洞察が与えられた。
それは十字架上で遂げられる磔刑ゆえの
肉体的くるしみばかりでなく、
その際の辱めと屈辱、
弟子らに背かれ逃げられてしまう精神的な苦しみばかりではない。
これらはすでに主は遥か以前からご存知で
覚悟はできていたはず。
そのゲッセマネの園で祈る段階になって
初めて主に啓示された苦悩があったのではなかったか?
罪そのものとなって父なる神からの刑罰を受けるということ、
呪われたものとなって断罪されるということの意味は、
父なる神からの断絶を意味したのだった。
それまで、歴史の始まる以前、永遠の昔から
一度として分かたれたことのない
父と子の間の
親密で愛おしい関係がプッツリと切られるのだった。
子なる主にとっては未体験の事柄であり、
その痛みと悲しみとは極限に達した。
私たちは経験しようのない領域である。
主にだけしか実際には分かりようがない痛みだった。
こうして言葉で説明を試みても
表面的にしか描写出来ないもどかしさを感じている。
主の断末魔の苦悩は十字架上で
「我が神、我が神、
どうしてわたしをお見捨てになられたのですか」
と絞り出すような魂からの問いとなり、
太陽までも姿を消した3時間が続いた。
私の罪を赦し、神の家族として迎えるためには
そこまでの犠牲が必要だったとは!
昨日の夕食の席上でおもむろに家内に切り出した。
「日本の旅行店が出していた特別なチケットは
日時制約があって僕と子供らの日程ではOKなんだけれど、
貴女の日程には適用外だったんだ。」
「………………………………」
「何と値段が倍もちがうんだから、、、
悪いけど貴女の日本訪問は諦めてもらうしかないね。。」
「えっ、そ、そんなぁ ( ̄▽ ̄) 」
(1時間ほど日程を計画したのちに)
「…まてよ、今日は何の日だったけ?」
(長女が真っ先に悟って)
「エイプリルフール!!!」
そういうわけで、
晴れて家族4人で
この夏の日本訪問が叶うことになりました。
日本のおじいちゃん、おばあちゃんを始め家族の皆さん
そして横浜、川崎、山形の皆さん
今年もお会いできることになりました。
私たち4人は楽しみで我慢できないほどです。
それにしても、
奈落の失望の底に落としたのちに、
喜びの絶頂に引き上げてあげれるだなんて
私は何とも愛に溢れた夫なのか!!
とつくづくと思った次第です。
今夏のお得な日本往復航空券が
日経旅行代理店によって発売された。
通常は$1400ほど。
私の友人は有利な早期チケットを数ヶ月前に$1200ほどで購入していた。
6月下旬の出発で、今回の割引では$900台となっている。
日程によって若干の変化はあるが、かなりお得!
これはシアトル・羽田間のみのディール。
それに羽田でのホテル滞在1泊がパッケージされたディール!
4月15日までが購入有効期限となっています。
3月末日の今日は
年度末の最終日である。
日本のほとんどの企業では会計年度が4月から始まる。
学校の新年度も4月からである。
ここ米国では新学年度は夏休み後の9月からだし、
会計年度としては12月31日が締めの日となっている。
そこで年度の移行を意識することはない。
日本のニュースで気付くくらいのもの。
丁度その時にかけて
桜前線が列島を北上していく。
卒業、入学、就職にふさわしく桜が彩り
深みある情緒を醸し出してきた。
米国では別れや出会いの季節でないためか、
市内の随所に見るソメイヨシノの下で弁当を広げる光景はこちらには見られない。
我が家の近所の軒先に広がるソメイヨシノの大枝は
花びらが降り終わり、すでに葉桜となっている。
来週から子供達の春休みが始まる。
これに合わせ、国立公園へのハイキングや登山を計画している。
すでに数年前のハイキング・ブーツは子供達には使えない。
カリフォルニアから帰宅してみると新調されたブーツが光っていた。
これを履いて
今年はどんなドラマが開かれていくのか。
神が創られた世界を探検することで
新しいインスピレーションに触れてほしい。
今週は受難週。
エルサレムのヴィアドロローサでは巡礼が始まります。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/6697599
「イエスを否定するペテロ」
マタイ26章69~75節
~マタイ福音書連続講解説教 99~
ペテロは3度も主イエスを否認してしまう。
それは主が預言された通り、
鶏が鳴く前に3度も主を否認したのでした。
その数時間前に
「たとい死ななければならないとしても、
私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」
(マタイ26:35)
と豪語したばかりであったのに…
使途集団トップであった彼にも手痛いばかりの失敗があった。
今回は失敗から何を学ぶかについて考察してみよう。
そこからでも益を引き出すことがあり得るのだろうか?
❶失敗の原因
そこにはぺテロの自負心とや自分へのこだわりというものがあった。
「自分だけは大丈夫。ここまで先頭を走って来たんだ…
これからだって…他者と比べたら私の実績や献身は優れているはず……」
そこに潜んでいるのは自己義認(自分は正しい)という態度だった。
そのような彼は
「誘惑に陥らないように祈っていなさい」との
主の言葉を素直に受け入れることは出来なかった。
謙遜になれなかったのである。
真の自己…それは神の視点から客観的に評価されるものであるが…
を知らないままであった。
❷回復の保証
主はペテロが否認するのをご存知の上で
「あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました」(ルカ22:32) と語られた。
主は在命中ゆえにペテロのためにだけ祈れたのでしょうか。
現在の私たちのためにも祈っておられると聖書は教えています。
大祭司であられる主イエスは、
天においてとりなしておられるのです(へブル7:25) 。
私のために、
貴方のために。
そればかりではありません。
聖霊様がうめきをもって私たちのためにとりなしていてくださっています(ローマ8:26)。
それゆえ、自ら愕然とするような失敗をしでかしたとしても、
回復への保証が約束されていると言えるでしょう。
❸成長への変貌
ペテロは最も大きな失敗をしましたが、
後に最も大きな責任をゆだねられています。
初代教会のリーダーとして立たされるのです。
そこまでの大変貌をとげるために、主の視線は彼に常に注がれ続けました。
鶏が泣いた瞬間、
振り向いた主とペテロは目を合わせました(ルカ22:61)。
その時の主の視線はどの様なものだったでしょうか。
赦しと慈しみに富んだ主の眼差しにいたたまれなくなって
ペテロはその場を去り、
激しく泣いたのでした。
さらに、復活の知らせをペテロに先ず告げよ、
と御使いは墓場で会った女性たちに命じています(マルコ16:7)。
そして復活の主は、
ペテロに個人的に顕現されています(Ⅰコリント15:5)。
あの時の主の、
全てを包み込むような優しい視線はペテロをして悔い改めへと導きました。
それでは現在の私たちには、
主はどこで眼差しを向けてくださっておられるでしょう?
神の言葉、啓示の書である聖書からです。
そのお言葉に実存的に触れるとき、主と出会うのです。
その時同時に真の自己を客観視できるのです。
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