ホテル近所の主要な交差点に毎朝たむろしている警官たち。
朝8時半に通りかかったときも、9時半の時もお目にかかれた。
彼らは互いで世間話しをしているだけで、
警戒や監視といった仕事をしているようには見受けられない。
3ブロック先にあるホテルも、そこに面している道路名を伝えても
不詳で道案内できる人もいなかった。
「税金の無駄使い」だなんて意地の悪い言い方はしたくない。
でも、毎日一体何のために集まっているのだろう?
蛇口からお好みのシャンプーが出てくるしくみ。
「これはビールのタンクですか」
目の前に聳えているカラフルな液体の入ったタンクを見ながら聞いてみた。
「ホームメイドで作っているシャンプーです。
お客様の好みの合わせて使い分けているのです。」
店内は古い構造物であっても、
サーヴィスは粋でカスタムメイドなんですね。
写真に見えているグラスは
私にも差し出されたアイスウオーターでした。
今回のニューヨーク行き、
Red Eye(赤目)を利用した。
それは深夜に離陸して睡眠時間帯に飛行、
翌朝目的地に到着する飛行時間のフライトを指す業界用語。
機内では眠れずに、赤目で機内から降りてくることからそんな名が付けられた。
そんなこともない、眠れるよ、、、、
と高をくくっていたのでしたが、、、、
エコノミークラスに、コンファタブルのグレイドアップして足元の広さを確保。
厚手のジャケットや首周りのクッションを用意して熟睡準備完了。
しかし、計画通りに行かないもの、、、、
(´Д⊂グスン。
夜11時にシアトルを離陸し、
3時ころまでは寝付かれないまま
7時にJFK・ニューヨークに到着。
3時間の時差があるので、眠れたのは数時間となる。
ホテルに到着が9時前。
朝食をそこで駆け込み、洗面や着替えを済ませる。
9時半には、SさんとJ氏がお出でになられる。
ロビーにお迎えし顔を拝見した時は、7年ほどの時間差が嘘のように縮まってしまう。
ミーティングはあっという間に2時間。
その後、地下鉄でマンハッタンまで移動。
歩いているときは平気だが、いすに座ると途端に睡魔が襲ってくる。
夜も8時過ぎにホテルに戻るがさすがに長い日となった。
確認はしていないが、私の眼は赤目だったのだろうか?
現在宿泊のホテル、
WIFI コネクッションに問題がありまして。。
手元のPCはつながるのですが、
i phone や i padにつながらないのです。
そこで、i phone で撮った写真がこのページに掲載できないでいます。
帰宅してからUPしますので、しばらくお待ちくださいませ。
日本行きチケットの格安ディール案内がE-MAILにて来た。
夏でもクリスマス直前期でも一人、
$1076であるという!!
これは今までにないお得なもの。
早速、家内に連絡して夏の出発日を調整。
決定してから、I旅行店に連絡。
お姉さまが電話口に出られて、のたもうた。
「そのチケットはもうとっくにありません。
昨年の秋ごろから売り出されていて、すでに売れきれ状態です。」
ええっ、、
なのにど~して、昨日案内が来たんだ~
宝くじに当たったようなウキウキの1日にを過ごせたのは
ラッキーだったというべきか。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージノートはこちらから:
http://hosannamin.org/whatsnew/view/6143097
「ゲッセマネの祈り」
マタイ26章36~46節
~マタイ福音書連続講解説教97~
ゲッセマネとは「油絞り」の意味をもつ、
ケデロンの谷、オリーブ山の西側の麓にある場所です。
そこにオリーブの木が群生し、
オリーブ油を圧搾機で抽出するところからその名がつけられました。
イエスが通常、弟子らと祈りをともにしていた場所でしたが、
その日、史上最大の決戦の場となりました。
と言うのは、翌朝の十字架を回避させようとする
全ての悪の勢力との熾烈な戦いの場となったからです。
もしその戦いに主が負けていたとしたなら、
今日のキリスト教会は一つとして誕生せず、私たちの救いもありませんでした。
しかし主は、脂汗どころか、血の汗を滴らせるほどの精神的圧迫・葛藤を経験し、
その戦いに勝利されたのです。
「汗が血のしずくのように地に落ちた」(ルカ22:44)
主がここで祈られた姿勢から、祈りの本質について学んでみたいと思います。
「祈りの本質について」
⑴神とのコミュニケーション
8人の弟子たちには
「ここにすわっていなさい」(36)と園の入り口で言い渡され、
内弟子であるぺテロ、ヨハネ、ヤコブには
ご自分の苦悩が見える至近距離にまで伴われています(37)。
ご自身はさらに進んで、一人になられて
「ひれ伏して」(39)祈られました。
ここに神とのコミュニケーション・レベルの段階が見て取れます。
主が最も濃厚で親密な神との交流を交わされているとき、
私たちはどこにいるのでしょうか。
そのゲッセマネの祈りがあったことすら知らない当時の群衆たち。
それは、祈りの世界に全く無頓着で門外漢の段階です。
8人の弟子たちは、
祈り自体は知っているし実践もしてきているが、まだ初期の段階です。
彼らは、そこに神との人格的で双方向の交流があることを経験していません。
3人の内弟子たちは、主が格闘しているすぐ近くにいました。
主の祈りの言葉やその苦悩まで見聞していますが、
それが意味している霊的な意味までは悟れないままです。
⑵ 神へのコミットメント
主はお一人で「この杯を取り去らしてください」と祈られました。
では、「この杯」とはいったい何でしょうか。
①肉体の死のことではありません。
主は十字架上での死を以前から覚悟されています。
②霊的な死のことです。
未体験の底知れない恐怖と暗黒に襲われました。
永遠の昔から瞬時たりとも絶やされなかった父なる神との親密な交流関係が
断絶され、敵とみなされ、呪いの的とされるという
十字架の霊的な意味がこのときに至って新しく啓示された故と言えるでしょう。
「悲しみのあまり死ぬほどです」とその苦悩のほどを吐露されました。
人間イエスは「杯を取り去ってください」とご自分の本音の願いをささげましたが、
同時に「わたしの願いではなく、あなたのみこころの通りにしてください」
と父なる神にコミットメント(委譲・献身)をしておられます。
私たちも同様にどんな自己的と思える願いでも本音で神様に迫って良いのです。
その中で、神のみこころに従う献身に導かれていきます。
⑶ 神へのコレスポンデンス(調和)
「キリストは、人としてこの世におられたとき、
自分を死から救うことの出来る方に向かって、
大きな叫びと声と涙とをもって祈りと願いをささげ、
そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(へブル5:7)
主のゲッセマネの祈りは聞き届けられたと、
ここのへブル書の聖句は教えています。
人間イエスの願いはかなわなかったが祈りはかなえられ、
杯を受け取るだけの力と確信とを得たのです。
十字架の霊的な暗黒に立ち向かう決意が確立されたのでした。
主の孤独の戦いに期待した弟子たちは皆、眠りこけてしまっていました。
「心は燃えていても、肉体は弱いのです」(41)
そんな中で父なる神は、天使を送り助けておられます。(ルカ22:43)
危機的な状況においてなおも神との調和(correspondence)を保てるのは
平常での祈りの歩みがあるからです。
かつてハガルは、
家を追い出され孤独な逃避行を続けているときに新しい神観に到達しています。
創世記16:13
それは彼女自身は気が付かなかったが、
「ご覧になる方」を発見したというものでした。
彼女が困窮の中で祈るより先に、
彼女自身とその境遇の全てをご存知であった主を知ったのでした。
私たちにおいて祈りとは、
神が私の全てをご存知の上でなおも受け入れてくださっていることを
発見し続ける営みと言えるのではないでしょうか。
タコマ・ダウンタウンの駅舎
古いレンガ造りに趣がある
タコマ在中のAさんに約半年ぶりにお会いして来ました。
ご主人は陸軍に長年勤められましたが、数年前に引退。
現在はIT関連のお仕事。
イラクにも従軍され、爆発に巻き込まれて背中を負傷。
幸い歩けるまでに回復しましたが、精神的なトラウマは癒し難く
事あるたびにフラッシュバックに悩まされているとのこと。
普段はTVかネットを通じての情報でしかないものが
こうして友人のご家庭が実際に遭遇したお話にはリアリティーがあって
そのイラク戦争是非について考えらされました。
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