スーパーボウルは全米の最大の祭典。
年間で最もTV視聴率が上がり、人々の関心をさらう。
特に今年もシアトルのシーホークスが出場するとあっては
地元での盛り上がりも半端ではない。
この日、妻も子供達も弟の家にある大型スクリーンでの応援に出かけて行った。
親戚中が集まってTV観戦をするのだという。
三人称で書いたのは私が一人で留守番するから。
付き合い悪いのねぇ、私って男は、、、
大男たちのおしくらまんじゅうとボールの取り合いだけのことに
数時間のTVなんて耐えられない。
数秒ごとにプレイが中断されることにも耐えられない。
プレイヤーのフォーメイションが複雑でその戦術が分からないため、
見ていても少しも面白さを感じない。
つまるところ私って、
協調性なくセッカチで、その上分からず屋なんですねぇ^ - ^
親戚の皆さんにもそんな私を受け入れて(あきらめて?)もらっているようで
助かっているんです。
間違っても、「非国民だ」なんてジャッジされないので生きていけるんです。
この日、息子のサッカーチームがその親達を相手に試合をするという。
もちろん、私も意気揚々と馳せ参じた。
まだまだ子どもらに負けるわけには行かない。
相手は小学校の6年生ほどの子どもである。
子どもといえども、そのボールさばきは大人達を完全に凌駕している。
長い足や空中戦でのヘディングが有利である分、
ようやく釣り合いが取れた試合内容であった。
もう1年でも彼らが成長した段階なら
親達は歯が立たないに違いない。
子供らの成長を嬉しく感じるとともに
衰え行く現実に一抹の寂しさも感じざるを得なかった。
クイーンアンからエリオットベイを見下ろして
本日は霧が一日中街を覆っていた。
大抵の場合、午後あたりから晴れて来るのに今日ばかりは暮れても晴れず。
特に湖や海岸などの上空は厚い雲でスッポリ包まれた感じの世界。
外気は普段よりも冷たいのでそのことと関連があるらしいのだが、、
ロンドンやサンフランシスコと同じ気象条件や地形が作り出している濃霧なのだろうか?
どなたか教えてください。
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驚き‼️
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ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/192792
「永遠の秩序」
黙示録21章1~27節
~マタイ福音書連続講解説教92~
新しい天と新しい地の創造: 黙示録21:1~8
メシアの地上再臨後、千年続いた王国にも終焉を迎える時がやってきます。
その時、
私たちが現在住んでいる地と天とは消滅して、新しく創造された世界が出現します。
現在の天地とは、
サタンの堕落による地上が荒廃された闇に覆われた世界(創世記1:2)を
神が七日間かけて再創造されたものと考えられます。
歴史の最終章に出現する究極的な永遠の世界は、
新天新地であり、創世記1:1にて神が創造された原初の世界に対応する(近似した)ものであると類推できます。
すると、聖書の最初にある創世記記述から最後の黙示録世界が
一つの輪のように繋がっているのが解ります。
神は、罪と悪の力ゆえに汚され堕落した世界を再び原初に存在していた
完璧な神の栄光あふれる世界へと回復される、
そこに聖書の一貫した救済プログラムを見出せるのです。
その新天新地の特徴について
①海がない~海とは、裁きの結果生じたもので(創世記1:2)、
原初の世界にも存在していいなかったものです。
②「新しいエルサレム」
第3の天に、現在すでに存在している
花嫁の装いをして将来、天から降りてくる
「自由の街」と呼ばれる(ガラテヤ4:26)
「アブラハムが望んだ故郷」とも呼ばれている(へブル11:9~10)
「全て購われた者たちの永遠の住まい」(へブル12:22~24)であり、
そこに存在するものとは、
*三位の神
*全ての天使
*教会時代の聖徒・「長子たちの教会」
*旧約時代の聖徒・「全うされた義人たちの霊」
spirits of justmen made perfect
*ここに言及のない大艱難時代聖徒らと千年王国時代の聖徒らが含まれる
③「神の住まいが人とともにある」
dwell = to tabernade(ギリシア原語において同じ語幹)
かつて荒野に宿ったシャカイナ・グローリーが永久に存在することを意味する
④創世記3:16~19の全ての呪いが除去されている
古い地の消滅は、その地に連なっていた呪いも消滅したことを示す
ゆえに涙、死、嘆き、苦しみ、痛みは消え去る
⑤天の御座からの宣言(5~8)
永遠の秩序は確かなものである:約束されたお方が真実である故
いのちの水の泉の流れ
信者の群れの存在
不信者の永遠の住まいは、火と硫黄との池である
「新しいエルサレム」にあっては、
太陽も月もないと書かれています。
にもかかわらず、「夜がない」(黙示22:5)
この黙示録22:5は、ヨハネに啓示されたメッセージの最終節であり、
それ以後の節はヨハネ自身と御使いとの会話となります。
「神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。
彼らは永遠に王である」(黙示録22:5)
新しいエルサレムを常時照らすものは、神からの栄光の光、
それは専門的にシャカイナグローリーと言われるものです。
これは新しい概念ではなく、旧約聖書の昔から限定された時と場所、
機会においてイスラエルの歴史の中で現われてきたものでした。
•アブラハム契約の締結時に(創世記15:17)
•イスラエルの幕屋と神殿の至聖所に(出エジプト40:34)
•主イエスの誕生の時に(ルカ2:9)
•新天新地において完成される(黙示録22:5)
世界で最初に輝いたシャカイナグローリーは、
アブラハムよりはるか以前のことで、
天地の7日間での創造の最初の日の時のものです。
神が「光よ。あれ」と仰せられた。すると光ができた。
(創世記1:3)
「百に一つも成功せぬ。
必ず獄門首になる。君はわかっているのか」
「わかっている」
松陰は明るすぎるほどの顔色で言った。
「私はむしろ、鈴ヶ森の獄門台に首をさらされることを望んでいる」
……
「武士の本願は、獄門首ではあるまいか」
…………………………………………………………………
ペリー艦隊に乗り込み密航を企てた松陰がその決行前夜、
長州藩や熊本藩の同志らに集まってもらい、
これから彼が行おうとしている暴挙を打ち明けて意見を求める場面。
これはドラマには出てこない。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」に出て来る場面である。
松陰は本気でそのように考えていたらしい。
己の死を通して強烈にメッセージを世に発信しようとしていた。
同志の一人であった宮部鼎蔵は彼の話を聞きながらたまりかねて大声を発し、
「狂ったのか」
と反論している。
が、松陰の人柄とその決行計画に変更がないことを知るようになると
呆れ果てるほかなくなる。
「君には、そういうところがある。
自分の死をもって詩を作ろうとしているところが」
…吉田松陰は、時代の生んだ狂人である。
密航が失敗したからといって何も番所に自ら自首せずとも良いのに。。
未だ20代の前半。
今なら大卒で社会人入り口に差し掛かったばかりの年齢だった。
再起を図って異国を知るという志を後日に遂げれば良いではないか。
死んだら、何もかもが終わりではないか!
常識人ならそう考えるはず。
松陰してそうは考えらせなかったのは、
当時の時代が煮詰まるため触媒を必要としていたことと関係するらしい。
その実直さ、真摯さに惹かれた若者らがやがて囚人の松陰の元に馳せ参じて松下村塾を形成し
維新の原動力になっていく。
使徒パウロの晩年がオーバーラップしてくる。
パウロもまた地中海伝道の志半ばで幽囚の身となり、
暴君ネロによって処刑されてしまう。
その幽閉中に著した各教会への書簡が新約聖書の内の数巻を形成している。
彼の幽閉と死は、より大きな影響と遺産をキリスト教会に遺すことになる。
I pad よりも小さいんです
クリスマス商戦のとき、Dellのラップトップを買った。
カーソルがフローズしてしまうことが多くて返却。
コスコにてこの日に買ったのがACERブランド。
とにかく安い。300ドル代で1年間のオフィスが搭載されている。
メモリーがわずか2MBしかないのが気にかかるところだが、
私のPC作業なんてたかがしれたもの。
まあいいか〜
小さければ機内持ち運びにも便利だし〜
その使い勝手のほどは、後日レポートしますね。
West Portal Ave.
この通りもアジア系の経営するお店が多く立ち並ぶ。
本日最初にお会いし方は、忘れ難い。
「まさこ」というお名前は私の実姉の名と同じである。
さらには一人息子が「かい」というが、私の息子と同じ。
さらに驚いたのは、二人のカイくんは同じ年の同じ日に生まれている。
そんなことって、あるんだ〜(^.^)
そんなこともあり、結びつきを感じた私は
マサコさんが引越しをされた新しい街を訪問。
West Portal というサンフランシスコでは未踏の場所であった。
ダウンタウンは何度も訪れていて詳しいが、
私が知らない街にも人々の暮らしがあり、ビジネスが回っている。
当たり前のことだけれど。。。
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