受難週です。
ゲッセマネ の園で苦しまれた主。
あまりの精神的なショックと苦悩は
発汗器官の毛細細胞を破壊し
血が汗となって滴り落ちるほどであったと
医者のルカは記録している。
現在、ホサナ教会ではマタイ連続講解が99回まで進み、
ゲッセマネの園とその後の主の逮捕まで辿り着いている。
「この杯をわたしから取り去ってください」
と主は祈られたが、
その「杯」について新しい洞察が与えられた。
それは十字架上で遂げられる磔刑ゆえの
肉体的くるしみばかりでなく、
その際の辱めと屈辱、
弟子らに背かれ逃げられてしまう精神的な苦しみばかりではない。
これらはすでに主は遥か以前からご存知で
覚悟はできていたはず。
そのゲッセマネの園で祈る段階になって
初めて主に啓示された苦悩があったのではなかったか?
罪そのものとなって父なる神からの刑罰を受けるということ、
呪われたものとなって断罪されるということの意味は、
父なる神からの断絶を意味したのだった。
それまで、歴史の始まる以前、永遠の昔から
一度として分かたれたことのない
父と子の間の
親密で愛おしい関係がプッツリと切られるのだった。
子なる主にとっては未体験の事柄であり、
その痛みと悲しみとは極限に達した。
私たちは経験しようのない領域である。
主にだけしか実際には分かりようがない痛みだった。
こうして言葉で説明を試みても
表面的にしか描写出来ないもどかしさを感じている。
主の断末魔の苦悩は十字架上で
「我が神、我が神、
どうしてわたしをお見捨てになられたのですか」
と絞り出すような魂からの問いとなり、
太陽までも姿を消した3時間が続いた。
私の罪を赦し、神の家族として迎えるためには
そこまでの犠牲が必要だったとは!
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