<河野太郎>」外相は21日の記者会見で、日本人の氏名のローマ字表記を「名・姓」の順から「姓・名」の順にするよう海外の報道機関に要請する考えを表明しています。早ければ6月の20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせて要請する方針です。
<河野>氏は、中国の<習近平>国家主席や韓国の、文在寅>(ムン・ジェイン)大統領を「姓・名」の順に表記する報道機関が多いとして、「安倍晋三首相も『Abe Shinzo』が望ましい」と述べています。
平成12年12月に国語審議会(文相の諮問機関)が、日本の文化的背景に従い「姓・名」の順に変更するよう答申していました。<柴山昌彦>文部科学相は21日の閣議後記者会見で、日本人の氏名をローマ字で表記する際、国内外で一般的とされる「名・姓」の順番ではなく、日本語表記と同様に「姓・名」の順にするよう、政府機関や都道府県などに改めて要請する考えを明らかにしました。文化庁が近く通知を出します。
文化庁によりますと、国語審議会が2000年、「言語や文化の多様性を意識し、生かしていくべきだ。ローマ字表記においても姓・名の順が望ましい」との答申を出しています。文化庁も当時、政府機関や都道府県、国公私立大、新聞放送出版業界に対応を要請しました。文科省のホームページでも、今後は姓・名の順に変更されます。
昨夜からの雨も朝方にはあがり、6時の気温は18.5℃、最高気温は24℃の神戸のお天気でした。
本日のお昼ご飯は、「鯖の塩焼き」+「京がんもの煮物」+「白菜のからし和え」+「豚汁」+「果物(オレンジ)」でした。
それこそいい塩梅の塩加減の<鯖>で、大根おろしと一緒に、おいしくいただきました。
本日、お茶菓子としていただいたのは、大きなタコ焼きみたいな「豆腐ドーナッツボール」です。
「豆腐ドーナッツ」といえば、地元で有名なお店として「はらドーナッツ神戸本店」(神戸市兵庫区荒田町2丁目20ー109)があります。本店以上に足の便の良い 「はらドーナッツ神戸元町店」 が人気かもしれません。
2008年5月、神戸市兵庫区に神戸本店をオープン。本店近くのマルシン市場で1968年から営業している「原とうふ店」から豆乳・おからなどの主な素材を仕入れ、また国産の天然素材を厳選して使用し、プレーンドーナツ「はらドーナッツ」を始め、チョコ、丹波黒豆きなこ、季節のフルーツを使ったものや日替わりドーナツなど多種のドーナツを販売しています。
「はらドーナッツ」は、豆乳やおからなどを材料に使用したドーナツを製造・販売する企業、およびそのチェーン店の名称です。また、同店のプレーンドーナツの名称でもあります。2017年1月の時点ではフジオフードシステムの子会社となっています。
商品としては、健康志向のブームにのった感がありますが、余分な甘さもなく、あっさりといただけました。
前回アップしました 「イチゴ」の白い花 ですが、どのような品種なのかが気になり、また、食事中だった 【ヒメシロモンドクガ】 の幼虫の成長も気になり、再訪問してみました。
色づいた実に成長していましたが、「実」の形状からは、やはり数ある品種の中からの同定は難しいようです。赤く色づいていますので、白色系の「あそのゆき」や「天使の実」・「パールホワイト」でないのは確実です。また、細長い形ではありませんので、「章姫」でないのも分かるのですが、そこまでです。
【ヒメシロモンドクガ】も、成長しているだろうと探してみたのですが、見つけられませんでした。終齢幼虫としての背中にできる毛束を見たかったのですが、これまた残念な結果に終わってしまいました。
ハーゲンダッツ ジャパンは「ハーゲンダッツ 35周年記念商品 翠(みどり)~濃茶~」(350円)を、7月9日から期間限定で発売します。
ハーゲンダッツアイスクリームが日本で販売開始されたのが1984年。本商品は、今年で35周年を迎えるにあたっての記念商品です。
「茶事」において振舞われる「濃茶」に着想を得て開発したとのこと。濃茶は、抹茶の飲み方の一種で、一般的に上級品の抹茶を多く使用するため、素材の味わいがダイレクトに感じられるのが特徴。
手摘みの初摘み茶葉のみをふんだんに使用。抹茶本来の甘味と渋味のバランスが取れた、「濃茶」のような濃厚な味わいが楽しめる抹茶アイスクリームに仕上げたそうです。
こだわりとして、茶葉は特別につくったという棚式被覆35日以上の茶葉を採用。一般的な玉露の被覆期間が20日程度なのに対し35日以上と長くすることで、うま味に寄与する成分(テアニン)の含有量が一般的な抹茶よりも多い茶葉に仕上がっているとか。
パッケージは濃茶の世界観をイメージしたデザインに水引を使った35周年のマークを加え、また、アイスクリームの濃い緑色が映えるように新開発した内側が黒色のカップ使用。フタは、意匠登録済みの技法でつくった屈折で光が美しく見える「クラウンリッド」を使用し、35周年にふさわしい特別なパッケージになっています。
阪神は20日、22日(水)のヤクルト戦(甲子園)で、「2019年度公式戦入場者100万人ありがとう企画」を、実施すると発表しています。
18日(土)の広島戦で、本年度の公式戦入場者が実数発表後、過去最速試合数で100万人に到達しています。これを記念して、監督・選手コラボグルメ(選手弁当を除く)を100円割り引きで販売します。
また、当日は球場内で販売する生ビールをすべてワンコイン500円で販売する「生ビールワンコインナイター」も開催。
球場内売店、レストラン、客席販売員(売り子)、外周店舗、すべてが対象になります。対象商品はアサヒスーパドライ、プレミム豊醸、隅田川ブルーイング(ゴールデンエール、琥珀の時間)、スーパードライエクストラゴールド、キリン一番搾り、一番搾りフローズン生、一番搾りプレミアム、タップマルシェ各クラフトビール他、全商品が対象です。
一目見て形態からは、ハエ目(双翅目)・糸角亜目・ガガンボ科「ガガンボ(大蚊)」だとわかるのですが、どの種なのかの同定にてこずらされる仲間です。翅を広げている、あるいは体調のもようがわかればいいのですが、そううまくは一瞬の撮影では難しい観察です。
世界中に分布する昆虫であり、日本でもかなりの数の種類を目にすることができ、昆虫記として、 「同定できない(41)」 や 「同定できない(7)」 ・ 「網戸に止まる(2)」 などをアップしていますが、同定できたのは、【キイロホソガガンボ】 だけです。
体調に比べて、かなり長い脚の持ち主という特徴があるのですが、手持ちの資料では、同定できませんでした。
将棋の<羽生善治九段>(48)が20日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた「第67期王座戦本戦1回戦」で<近藤誠也六段>(22)に勝ち、通算成績を1432勝(590敗2持将棋)としています。
次回の対局は23日、同所で行われる「第60期王位戦リーグ」で永世名人の資格を持つ<谷川浩司九段>(57)と対戦します。
勝てば、1985年の15歳でのデビューから33年、48歳での1433勝に到達となります。現役のまま亡くなった<大山康晴15世名人>はプロ入りから52年、69歳のこれまでの歴代1位記録1433勝(781敗2持将棋)記録に並ぶとともに、達成期間を大幅に塗り替えます。
第1管区海上保安本部(小樽)は20日、北海道猿払村の沖約500メートルにあるとされる「エサンベ鼻北小島」が波や流氷による浸食で消失した可能性があるとして、実地調査を始めています。24日までの予定で、結果によって領海が狭まる恐れも出てきます。
周辺の水深が浅く巡視船艇が使えないため、この日は海上保安官らが民間の小型船で同村の港を出発。水中音波探知機(ソナー)や衛星利用測位システム(GPS)を使い、島から比較的遠く、水深の深いエリアから海底の測量を始めました。
国連海洋法条約は、島を「自然に形成された陸地で、満潮時にも水面上にあるもの」と規定しています。満潮時は水没するが、干潮時に水面上にある場合は「低潮高地」と定義され、本土から12カイリ以内なら島と同様に領海の基準とみなされます。
本日の<グーグルロゴ>は、現在の「心電図(ECG/EKG)」を生み出したオランダの生理学者<ウィレム・アイントホーフェン>(1860年5月21日~1927年9月29日)の生誕159周年になります。その功績により、1924年に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しています。
家庭の経済状況の問題もあり、軍医になることを条件に「ユトレヒト大学」の医学部へと進学、眼科医<フランチェスコ・ドンデルス>さんの指導を受け、眼科の分野で学士号、博士号を取得。卒業後、軍医になる予定でしたが、「ライデン大学」の職に空きができたこと、また、<フランチェスコ・ドンデルス>の強い働きかけもあり、1886年、「ライデン大学」の教授となりました。教授となって、喘息などの気管や呼吸器について、そして、自身が専攻していた眼の働きについて研究を行い始めます。
1889年、呼吸器の研究に関する学会に出席した際に、<アウグストゥス・デジレ・ウォーラー>さんの心電図を記録技術に触れました。当時は、心臓から電気(信号)が発せられていることは知られており、それを「心電図」として確認できても、何かの役に立つものだとは思われておらず、<アウグストゥス・デジレ・ウォーラー>さんも、さほど有用なものでは無いと考えていました。
ところが、彼は、この「心電図」を記録することが医学に役に立つのではないかと考えました。<アウグストゥス・デジレ・ウォーラー>さんは、毛細管電流計を使って測定されたものでしたが、彼は独自に改良をし、1903年に、新たな電流計を生み出しました。「弦線電流計」を用いた心電計であり、この心電計を用いて現在の心電図に近い心電波形の写真撮影に成功、同時に現在の「心電図法(ECG/EKG)」を生み出しました。1906年には、様々な疾患により「心電図」に特徴的な違いが出ることを発見。この頃から、様々な学者の研究により、何の役に役に立つのか判らなかった「心電図」が、疾患の診断と治療に有効であることが判りはじめ、心電計の改良も進み、一気に小型化していきます。
1913年には、3つの電極を取りつけ測定する「アイントホーフェンの三角形」の記録法を提案。これらの功績により、1924年に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しました。彼の「心電図」の研究は、20世紀の心臓病学における最大の発見の1つとされています。
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