ご冥福を祈ります<弘田三枝子>さん
7月
27日
事務所は書面を通じ「7月20日(月)、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されましたが、翌21日(火)、午後10時31分に心不全のため、帰幽されました。73歳でした」と報告。「倒れる前日までは、変わりなく元気でした。なお、この度の世情を踏まえ26日(日)、親族関係者により密葬を執り行いましたことを合わせてご報告いたします」としています。
<弘田三枝子>さんは、1961年14歳で<ヘレン・シャピロ>の『子供ぢゃないの』のカバー曲でデビュー。その後、<コニー・フランシス>の『ヴァケーション』(1962年10月) ・ <ニール・セダカ>の『すてきな16歳』(1962年2月) ・ <ミーナ>の『砂に消えた涙』(1964年12月)などのカバー曲のヒットを連発、「パンチのミコちゃん」と称され、国民的な人気を博し、1965年7月には日本人歌手初の『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』出演も果たしています。
1969年にイメージチェンジを計りリリースした『人形の家』(作詞:なかにし礼・作曲・編曲:川口真)が大ヒット。また、ダイエットブームの先駆けとなった『ミコのカロリーブック』は150万部を超すベストセラーを記録しました。そのパフォーマンスは多くのミュージシャンに影響を与え、<桑田佳祐>は1983年に「サザンオールスターズ」のアルバム『綺麗』に、<弘田>さんをテーマにした『MICO』という作品を収録。アンサーソングとして同年に『オー!ケイスケ』をもじった『O-KAY』をリリースしています。
今年はレコードデビュー60周年を迎え、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していましたが、新型コロナウイルス感染拡大により延期となっていました。
投稿日 2020-07-27 16:11
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投稿日 2020-07-27 17:09
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投稿日 2020-07-28 06:17
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投稿日 2020-07-28 07:40
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