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豆腐(私)は食べる人^^;作る人は豆腐嫁です!➡
会うは別れの始めと言いますが
学校にいればクラス替えや卒業
企業にいれば人事異動があります。
3月はお別れの季節です。
4年前には送られる立場で福岡に転勤しました。
いろいろな場所で
たくさんの方に送別会をしていただきました。
尊敬する先輩に送別会をしていただいたのは
2006年3月14日でした。
超ご多忙の中で時間を割いて
人形町の焼鳥屋さんでご馳走していただきました。
私は社会人1年目から11年の間を仙台で過ごしました。
その間もずっと、
そして会社を移り勤務地を変えてからも
ずっと、ずっとお世話になった先輩です。
仕事も遊びも先輩に教わりました。
優しくて、誠実で、面倒見がよく、
先輩を中心にみんなが集まり、まとまっていました。
先輩は仕事も遊びも常に全力投球
一生懸命で何事にも手を抜くということはありませんでした。
自分の人生で、最も尊敬し師と仰ぐ先輩です。
先輩はほどなくして東北の責任者になり
2004年からは東日本の責任者として
東京に単身赴任していました。
3時まで勤務、6時起床。週末は仙台の家に帰る。
食生活もさぞ不規則であったかろうと思います。
先輩が体調不調を訴えたのは2006年の11月初めでした。
処置が出来ないほど癌が浸潤し身体をむしばんでいました。
ずっと無理を重ねていたのだと思います。
我慢して我慢して我慢して仕事を続けていたのだと思います。
誰よりもタフで頑丈な体を持った先輩でした。
必ず良くなる。そう信じて疑いませんでした。
回復を祈り続けました。
しかし、3月になって容態が急変し
たくさんの人の思いもかなわず
2007年3月15日ついに帰らぬ人になりました。
52歳でした。
もっと早期に発見して治療していれば
悔しく、とても残念な思いでした。
もちろん単身赴任をして激務をこなしているいる人皆さんが癌が大きくなるわけではありません。
私の周りにも何年も何十年も単身赴任で頑張っている方が何人にもいます。
ですが、二重生活のストレスと食生活の偏りが
健康にとってよいことだとは思えません。
昨年、福岡の単身赴任から東京の自宅に戻ってきました。
食事に感謝の毎日です。
(その思いが『豆腐日記』の起源です)
ストレスのない規則正しい生活を送っていても癌が大きくなることだってあるのでしょう。
その時は仕方がないのだと思いますが、、、
持ちこたえられないほど大きなストレスを背負い込んで
命の期限を短くすることはしてはいけないと思っています。
先輩はいつも言っていました。
「仕事は誠実に一生懸命にやれば結果は自然とついてくるものだ。
仕事はほどほどにがんばれ。地位やお金は関係ない。
『人生で最も大切なものは家族と健康だ』」と。
二男一女、下の男のお子さんはまだ10歳でした。
不条理だと思います。
さぞかし無念だったろうと思います。
でも、お兄ちゃんもお姉ちゃんもとても立派に育っています。
生かされてる私たちは
先輩の思いをひと時も忘れることなく生きていきます。
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投稿日 2010-03-14 19:14
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2010-03-15 07:34
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投稿日 2010-03-16 08:33
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投稿日 2010-03-17 06:47
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