イベント会場に花の表彰されたものが並んでいます
その他、入賞を逃した花も沢山あります
最近はリリィ(百合)が品種改良され、沢山の品種が市場に
出回っています
鉢に植えられた、「豆柿」
一足早く色づいている
そろそろ、市場に多くの品種の柿が並ぶ
柿の色は秋の訪れを教えてくれる
当地の農家は出荷しないで、家族も食べないのでそのまま
放置している光景を良く見ます
話をして、頂くこともあります
園芸の販売店を訪れた
様々な盆栽や色づいた「豆柿」
紅葉の真っ盛りは「ニシキギ」であろうか
黄葉の始まった街路樹越しに、洋風の建築物が建っている
遠目に見ると、一瞬USAかヨーロッパの風景と見まごう景観である
和風の建物でも、景観を考えて建てられると日本の風景も捨てたもの
ではないと思うが、回りとマッチした風景には中々出合わない
大理石に覆われた階段状のファーサード
一番上にパネル状のオブジェが山の緑を借景にして設置されている
上に昇るには足の不自由な人には大変だが、裏側にエレベーターが
用意されている
色づき始めた樹木を背景に「日・独」の国旗が翻っている
バウハウス・デッサウ展を開催している美術館で
秋色が両国の国旗を際立たせていた
会期終了間近に、バウハウス・デッサウ展へ行ってきた
バウハウスの名前と概略は知ってはいるが、詳細は分からない
説明パネルを読んで、見た事のある名前は
イギリスの「ウイリアム・モリス」
この人の思想と啓蒙を受けてバウハウスは設立されたようだ
初期の教授に「ブルーノ・タウト」がいた。
教官に「パウル・クレー」「カンディン・スキー」が載っている
その他の名前は分からない
展示作品も試作や教室での製作物が多い
難しい展覧会であった
※ブルーノ・タウトは在日した事もあり、高崎に庇護されていた
時期がある。トルコで客死した
小さなこの町は、交通機関の発達していない江戸や明治には
川を使った交通の要衝でした
遠い親戚の話として、明治の初期に女学校の寄宿舎に生活を
していた女学生は船便で帰省したとのこと
恐らく、その女学校の一期生位のお話です
その実家は醤油・味噌の醸造を家業として今も続いています
表通りに面した間口の広い格子戸にその面影を残しています
相撲界が荒れています
世界の金融界も大荒れ
しっかりと四股を踏んで、踏ん張って貰いたいものです
トゲのある実
茎は赤く、葉は赤味を帯びた緑
高さは2Mを超えます
「ヒマ」
この実から採った種子を絞って採った油は「ヒマシ油」です
下剤として使われるようですが、使ったことはありません
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ