ピーマンの花です。白なんですね。知りませんでした。小さくてかわいいですね。
上の写真は、清朝、康熙(1662−1722)時代に作られた中国の青花である。そして下の写真はマイセンの1765−1774年に作られた花麦藁菊文様のブルー&ホワイトである。この文様が、後にロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドとして世界的に有名になる元のデザインで、マイセンでは1740年前後に作られたとされている。
ここで問題なのは、この花麦藁菊文様はマイセンのオリジナルかそれとも、中国の青花がオリジナルかということである。ロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドの専門書には上の写真の中国の青花がオリジナルだろうとしている。私もそう思う。ただし、マイセンのブルー&ホワイトに関する専門書には載っていない。載っているのは、ブルーオニオン文様の元と考えられる中国の青花の写真だけであり、花麦藁菊やロック&バードの文様の元は掲載されていないのである。
5月にロムドシンという西洋骨董店が主催するマイセンの「藍色の世界」という講演会を聞いてきた。某美術館の学芸員が講師であった。内容は染付の歴史が主でマイセンの専門書に掲載されているブルーオニオンの元としている青花の写真も出てきた。
講演が終わり、質問タイムでロムドシンのオーナーから指名されたので質問をした。
ブルーオニオン文様の元は中国だが、花麦藁菊やロック&バード文様のオリジナルも中国かと。答えは、ロック&バードの元は中国である。理由は太古岩や飛んでいる鳥の柄はいっぱい中国にあるからだという。でも、同じような柄は見たことがないというとマイセンの専門書に載っているブルーオニオン文様もまったく同じではないという答え。では、なぜマイセンの専門書にはブルーオニオンだけしかオリジナルが載っていないのか。と突っ込みたかったが、やめた。
さらに、花麦藁菊文様のオリジナルはマイセンかもしれないという。理由は、花麦藁菊のような幾何学的なパターン化された文様は中国にはないという。そんなことはないだろう。中国オリジナルの芙蓉手文様だって幾何学的なパターン化された文様である。ばかばかしくなって、質問を続ける気がしなくなり、やめた。
まあ、この講演会での収穫は、オリジナルとはそれほど似てなくても良いということだ。陶磁器を専門にしている美術館の学芸員の先生が言うのであるから、そうなのであろう。
ということで、マイセンの花麦藁菊文様もオリジナルは中国である。理由は、上の写真の皿の文様は、じゅうぶん下の写真の皿に似ているからである。
やっと、ブログルのサーバーが立ち上がりましたね。どうやら、データーセンタービル内の電気故障だったようです。まあ、たまにはいいか。
気を取り直して、ぜんぜん関係ありませんが、フォルクスワーゲン社のカルマンギアです。買い物に行ったら、スーパーの駐車場に止まっていました。20年前には良く見かけたのですが、最近はあまり見ませんね。実は、私が最初に買った車は1974年製のフォルクスワーゲン、ビートル1300sでした。たぶん22年前のことです。この頃、ちょうどカルマンギアがアメリカから日本に沢山入ってきて、いつかカルマンギアのオーナーになりたいなと思っていました。今はもう買わないかな。
でも、やはりレトロな感じでいいですね。結局、いまもフォルクスワーゲン、BORAに乗っていますからね。いつか買っちゃうかな。いや、いけない...。
カマキリが羽化する季節のようです。一匹はうちの外壁に、もう一匹は茄子の葉にいました。茶と緑。種類が違うのでしょうかね。あるいは擬態化しているのか。
カマキリもメスの方が身体が大きく強いですよね。確か交尾したあと、オスはメスに食べられてしまいます。残酷というか、ちょっと悲しいですね。
不夜城というアロエの花が今ベランダで咲いています。年に1回咲きます。素朴ですが、なかなかきれいです。
なんと、まだオオクワガタのメスが生きていました。もう羽化してから3年は経っています。孵化してから4年。オスはゴールデンウイーク明けに、胴体が3つに分かれ、あの世に旅立ちました。そのとき、メスはもぐっていて良くわからなく、片付けようか悩んだのですが、とりあえず、もう一月様子をみようと、ゼリーを二ついれておきました。この前の日曜日に蓋を開けたらぜりーはきれいになくなっており、お腹がすいていたのか、表に出てきていました。
メスは強いですね。どのくらい生きるのでしょうか。見守って生きたいと思います。
いよいよ来週水曜日に桜田素子さんが率いる日本女性によるガムラングループTerang Bulan*fがバリ島の芸術祭で演奏する。昨日午前中に、一番若いメンバー(といっても20代後半だが)から、「今日バリ島に経ちます。」と携帯にメールが入った。
バリ舞踊は女性がいるが、ガムラン演奏は本来男性だけで行われる。もちろん近年バリ島でも女性のガムラングループもあるが、おそらく、日本をはじめ、外国人の女性がガムランを習いに来はじめてからのことであろう。日本の女性だけのグループがバリ島の芸術祭で演奏することは、バリ島の女性にとっても大きな刺激になるに違いない。
今回は、女性というだけでなく、メンバーはみな桜田さんより年下で構成されている。日本のガムラン界も世代交代の時期かな? それにしても、20代、30代の男性が少ない。私が知る限り、30代は2人、20代は0である。
話は変わるが、帰国後凱旋公演がある。7月25日(日)ラゾーナ川崎プラザソルで行われる。時間がある方は是非見に行きましょう。
チケットの予約、問い合わせは、桜田さんのHPに記載されています。 桜田素子HP
また、画像をクリックすると大きくなります。
1990年、マドンナのワールドツアーのパンフレットである。中身は、ほとんどマドンナの写真集といっても良い。私は千葉の幕張にあるマリンスタジアムで見た。パンフレットに日本公演の日がいつだったか書いてなく、何月だったか覚えていないが、夏だったような気がする。とにかく大雨の中でのコンサートだった。
実は昨日の朝、マイケルジャクソンの追悼番組を見ていたときに、マイケルジャクソンのライブを1987年後楽園と1988年東京ドームで見たことを思い出し、パンフレットがないか探したのである。が、見つからなかった。それほど、思い入れがなかったので、購入しなかったのだろう。そこで、同時代のスーパースターであったマドンナのパンフレットがあったので、アップした次第である。
1987年の後楽園はスタンド席だったので、マイケルジャクソンは豆粒にしか見えなかったが、1988年はアリーナの前から5列目だったので、目の前でムーンウォークを見た記憶がある。そして、後ろの席に南こうせつの家族が見に来ていた。ものすごい爆音で、終わった後、一時的に難聴になった。場内アナウンスの声が何を言っているのか全然わからないのである。初めての経験だった。もちろん、翌日まで、耳鳴りがして辛かった。これしか、記憶がない。
いずれも、うちの奥さんと行った。ということは、後楽園はデートで、東京ドームは結婚してから行ったことになる。いま思うと、当時はふたりでアクティブに活動していた。
まあ、とりあえず、ご冥福をお祈りします。
ということで、遅くなりましたが、犬小屋を家の北側、夏の避暑地に移動しました。
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