崎陽軒のシュウマイ弁当である。土曜日に、うちの奥さんの帰りが遅く、夕食の準備ができなかったので、急遽お弁当になったのである。なんと包装に開国博150のマークが付いている。
ひさしぶりに、うまかった。やはり、シュウマイ弁当は崎陽軒。最高!
今朝は、窓を開けたら、すでにダレていました。でも、カメラ目線。
先週の日曜日、御茶ノ水のジャニスで購入したDVDである。1996年6月1日、パコデルシア、アルディメオラ、ジョンマクラフィンの3名によるギタートリオのオーストリア、ウィーンにおけるライブである。プライベートDVDであったが、画質はよかったし、演奏内容も充実していて良い。
曲目は、
1.FREVO
2.MEDITERRANEAN SUNDANCE/RIO ANCHO
3.BEYOND THE MIRAGE
4.SICHIA
5.SPAIN
以上、5曲である。
1996年にこの3名でThe Guitar TRIOというCDを出しているが、このCDからは3曲目のBEYOND THE MIRAGEしか演奏していない。このときの3名の演奏をおそらく1996年に私はオーチャードホールで聴いた。ジョンマクラフィンの演奏があちらの世界へ行きそうな雰囲気があるのに対して、アルディメオラの演奏が他の二人の演奏を冷静に聴きながら、とても正確で機械のような演奏だったのが印象的だった。もちろん、パコデルシアの演奏も情熱的ですばらしかった。
1981年に発売された1980年12月5日に行われたこの3名の名演奏CD「Friday Night in San Francisco」のときの映像は、1981年夏夜、ドイツで行われたプライベートDVDがある。こちらは2枚組みである。とりあえず、CD2枚をコメント欄にアップしておきます。
一昨日、梅雨入りしてから晴れの日が続いていますが、晴れてもじめじめしてますね。
昨日は青砥で乗り換えるはずが、寝過ごして日暮里まで行ってしまい、久しぶりに午前様になってしまいました。いけない、いけない。
今朝のんびりと起きて、窓を開けたら番犬をしていたカイがこちらに気づき、カメラ目線。
「早く散歩に連れて行けよ!」と訴えていました。尻尾が垂れ下がって狸みたい。
さて、今日もこもって仕事です。がんばろうっと!
切り戻したマーガレットが咲きました。今年は2回目もピンクですね。昨年は白でした。手前の花はちょっと白いですね。
来月7月18日(土)にギターの発表会がある。独奏はLLOBETが編曲したカタロニア民謡10曲の最後2曲「商人の娘」と「聖夜(凍える12月)」に決まっていたが、弾き語りの曲が決まっていなかった。先日プログラムを作るので、そろそろ決めてほしいと師匠から催促があった。
昨年の発表会ではサイモン&ガーファンクルの「America」を歌った。クリスマス会ではビートルズの「IN MY LIFE」。そのとき、どちらにしようか悩んでいた「The Long and Winding Road」にしようかな。と思ったが、キャロルキングの「You've Got a Friend」を急に歌いたくなった。そこで、CD「つづれ織り」を探したが見つからない。
そして、数日前に写真のパウチっこに挟まったピンクフロイドの「Wish you were here」の歌詞が偶然出てきた。これはもう25年以上前(まだ、PC98が100万円していた時代)に、高校の友人がわざわざワープロで打ち、パウチっこに挟んで作ってくれたものである。よく学生時代にギターを弾きながらみなで歌った。懐かしいな〜。
ということで、「Wish you were here」に決まったのである。しかし、今見てもシュールな歌詞で良くわからんが、いい曲だ。
ピンクフロイドといえば、高校2年生のとき、同級生4人と軽井沢と小諸へ旅行した。旅行先で音楽が聴きたかったので、重たい幅50cm近くあるラジカセと大きいヘッドフォンを持って出かけた。当時、まだウォークマンなどなかった。上野の最終列車に乗って3時半に軽井沢に着いた。何もすることがないので、中軽井沢まで重たい荷物とラジカセを持って歩くことになった。いい加減疲れて、途中、屋根付き小屋風のバス停にあった椅子に座ってしばらく休んだ。5月か6月ごろだったと思う。まだ朝方の軽井沢は寒かったが、寝てなかったのでみな睡魔に襲われ仮眠した。私はどうも寝付けなく、ラジカセにカセットを入れてヘッドフォンで音楽を聴いていた。そのときに聴いたのが、ピンクフロイドの「狂気」である。
なぜか、いまでもときどき「US AND THEM」のメロディと共に、そのときの情景、薄暗い車が走っていないガランとした広い道路と街灯の明かりを思い出す。先ほども、風呂の中で「Wish you were here」を歌っていたら、思い出したのである。
米国テキサス州で開かれた「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で全盲のピアニスト、辻井伸行さん(20)が優勝しましたね。
おめでとうございます!
実は、辻井さんのお父さんは、次男がうちの奥さんのお腹から出てくるのを手伝ってくれた産婦人科医です。私は良く知らなかったのですが、昨日テレビでお父さんがインタビューに答えていたときに、うちの奥さんが確認しました。
いや、身近にこういう人がいるとうれしくなりますね。これから応援しようっと。
ということで、特に何という写真もないので、カイの写真をアップしておきます。緑をバックになかなかいいでしょう。
実は、先週ヴォーリズ展に行ってきました。NHKの日曜美術館でも取り上げていましたね。
私は15年前に近江八幡でヴォーリズの建築をいくつか見ています。そして、4年前にも見れなかったヴォーリズの建築を見に再び近江八幡を訪ねました。ただ、個人宅が多いので内部まで入れたのは、ひとつだけだったと思います。軽井沢のユニオンチャーチは内部に入れますし、以前にも書きましたように、タリアセンに移築された朝吹山荘も今は中に入れます。ということで、特に汐留へ行こうとは思っていなかったのですが、新橋の近くへ行く機会がありましたので寄ってみました。
図録「ヴォーリズ建築の百年」の中で、評論家海野弘さんが「ヴォーリズのデザインの起源を、アーツ・アンド・クラフツ運動の中においてみると、フランクロイドライトの建築から、日本の民芸運動にいたる広いパースペクティブが見えてくるのではないだろうか。」と、書いています。
これって、前回同じ汐留ミュージアムと東京都美術館で行われたアーツ&クラフツ展のテーマと同じですね。いままで、建築史では折衷様式として片付けられて忘れられていたものが、最近になって、ルーツ探しの研究として注目を浴びてきたということでしょうか。フランクロイドライトも近代建築の巨匠と呼ばれていますが、他の二人と異なり、異端児扱いされていましたからね。評価されていなかったアールヌーヴォーにいち早く注目した海野さんですから、もしかしたら、前回2つのアーツ&クラフツ展の仕掛け人は海野さんでしょうか。ちょっと、深読みすぎかな?
今回、ヴォーリズが音楽ホールを造っていたという事を初めて知りました。もう現存していませんが、南葵(なんき)楽堂と呼ばれる音楽ホールで、開設者は紀州徳川家16 代、徳川頼貞侯爵(1892〜1954)、1918年に東京の港区に建てられたようです。どんなホールだったのでしょう。ヴォーリズが設計した美しい響きを聴いてみたかったですね。関東大震災のために閉鎖されて、中にあったパイプオルガンは1928年に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)に寄贈され、現在も旧奏楽堂にあります。
写真は、私が撮った軽井沢タリアセンにある朝吹山荘の居間です。ユニオンチャーチの内部もコメント欄にアップしておきます。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ