遥々と中国からシアトルを経由してポートランドに届いた荷物
先日、中国からの荷物を自宅で受け取り損なった。
家族でハイキングへ出掛けた後に配達されて、そのタイムラグは約20分。
DHLと言う運送会社で、そのHPを見ると転送をしてくれるらしい。
「米国内ならどこでも、無料」とある。
未経験のことで不安に感じたが、
HPでその転送手続きをやってみた。
ものの5分しか、掛からなかった。
それから二日後、見事に滞在先のホテルにまで届けてくれた。
ホテルは、南のオレゴン州ポートランドにある。
この国の物流システムを見直した。
アボガドはサラダにも良く合う
本日入った寿司屋・カウンター席には、
歌川広重のよる浮世絵『東海道五十三次』の戸塚宿がすぐ面前に飾ってあった。
横浜市戸塚区はわたしの郷里であり、郷愁の想いに誘われた。
江戸を出た旅人が最初の宿としてこの戸塚を利用したという。
旅籠数では、東海道の中で小田原に次ぐ多さで賑わっていたという。
左の旅籠兼茶屋にかかっている看板は「こめや」と読む。
軒先の講札は、講(共通の信仰を持つ集まり)の定宿である印で旅人たちの名札が見える。
中央に描かれている灯篭脇の石柱には「左りかまくら道」とあり、
ここは鎌倉へ抜ける鎌倉道と東海道の分岐点。
現在では元町付近であるらしい。
正月名物の大学駅伝では、戸塚は最長区間の2区に位置している。
死海
「メシアのエルサレム入京」
マタイ21章1~11節
~マタイ福音書連続講解説教58~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/111-58
この21章から、受難週として主イエスの地上生涯最後の一週間が始まる。
メシア(=主イエス)がエルサレムに入京する記事がその受難週の皮切りであり、
四福音書全てに共通して書かれている記事となっている。
これは歴史的出来事であり、
AD30年、ニサンの月、10日(日曜)であるのが分かっている。
①預言の成就としてのエルサレム入京
1.ゼカリヤ9:9 〜初臨のメシアが平和の王として行進される預言であり、
その日時に成就した。
2.ゼカリヤ14:4、9 〜再臨のメシアが世界を裁く王として行進される預言であり、 今後の将来に成就する。
②エルサレムを見て涙を流された主。ルカ19:41~44.
41 エルサレムに近くなったころ、
都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
42 言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。
しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、
回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、
おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、 やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
(ルカ19:41-45)
1.群集たちの短期的視点
~イエスに即刻、政治的解放者になってもらいたい強烈な願望を抱いていた。
2.主は長期的視点に立つ
〜AD70年のエルサレム崩壊とそこでの悲劇、ユダヤ人の世界離散を見ていた。
③神の時は確実にやってくる
1.私たちは常に神の訪れが遅いと感じるものである。
•物事が進展していないときや、
進展はしていたとしても自らの期待通りではないとき。
人のお心と神の御心の、乖離することの何と多いことか。
だが、人よりもさらに優れた計画を神は持っておられることを知ろう。
•バビロン定住を勧めたエレミヤの手紙:エレミヤ29:4~11.
「夢見る者たち」は愛国心を振りかざして
直ぐにも故国イスラエルに帰れるとしたが、
エレミヤはバビロンでの落ち着いた定住生活をせよと勧めた。
帰還までには70年を要するというのが神の計画であった。
それは当時の人々には、とても悠長に感じたであろう。
•AD30年にメシア王国を樹立させなかったこともしかり。
イスラエル人は身が焦がれる様な思いで期待したのだが、
イエスは十字架で死を遂げてしまい、
失望のどん底へ投げやられたのだ。
以来すでに約2千年も経つが、メシア王国はさらに将来へと伸ばされている。
•日本史上、戦国時代末期のキリスト教禁教とその後の鎖国政策が
現在の日本人の精神性を規定していると言っていい。
キリスト教に対する閉鎖性、拒絶性といった我々の国民性を蒸留したのが、
徳川時代を経ての300年であった。
「もし」織田信長の治世が継続していたら、
解放的で進取性に富んだ日本人気質が
キリスト教受容を容易にしていたであろう。
戦国時代に来日した何れの宣教師も、
日本人のことをどの民族よりも宗教熱心で改心しやすい民族であると認識した。
そのような報告文が随所に資料として保存されてある。
あの本能寺の変で
明智光秀が狂乱しなければ、、、
しかし、ここにも計り知れない神のお考えと計画とがあるはずである。
今の私たちにはそれが見えない。
2. 神の時は遅くなることなく、最善のときにやって来る
・「バビロンに70年の満ちるころ、、あなたがたをこの所に帰らせる」
(エレミヤ29:10)。
かつて、捕囚からの帰還を夢見た人たちに
すぐには実現しないと神は語られている。
しかし、バビロン捕囚からのタイミングは
長期的展望に立てば最善の時であったのだ。
•「異邦人の完成のなるとき」(ローマ11:25)に
世界宣教の終焉とメシア王国の樹立が起こる。
これも2千年前の当時のユダヤ人には待てないことであった。
彼らは即刻、世界の栄光をつかみたかったのだ。
神は今現在も、忍耐されておられる。
それが、全世界にとっては「富」(ローマ11:12)となったのである。
•数奇な日本歴史にはキリスト教禁教の忌まわしい事実が包含されている。
やがて徳川・鎖国政策の300年の呪縛が解ける時が到来して、
本来の日本人特質を回復する季節がやって来るのではないだろうか。
今回が初出演のキャストたち
長女は右から二人目
講演後の興奮冷めやらぬときに
長女がこれまで数ヶ月間練習してきたミュージカル劇
「Beauty and Beast」をEverettまで見に行きました。
キャストは全員、高校生以下の子供です。
それでも一人$14の入場料を徴収するだけあって
かなり完成度の高いものとなっていました。
観客席は300人ほどで、一つの空席もない程に満席。
全部で10回の公演がある中での2回目でした。
我が子を贔屓目に見ているんでしょうが、
役柄になり切って没頭している真剣さに、
今まで見たことのない成長した彼女を誇らしく感じました。
聖書会の後には、こうして心尽くしの愛餐会。
レギュラーの方々が半分ほど集われました。
タコマ南部での聖書家庭集会へ行ってきました。
ホストの家が改築中だったため、
この数ヶ月間お休みしていた家庭集会でしたが、
この1月から再開となります。
レギュラーの方々の元気そうにしておられる様子に安心しました。
今年の初会合となるグループでは
「明けましておめでとうございます」
との挨拶も交わされます。
再び正月気分を再浮上出来ました。
ヴァションへはウエストシアトルから10分ほどのフェリー
シアトルは朝から濃霧にスッポリ覆われていた。
たいていは9時頃には晴れ出すのだが
この日は一日中白い雲が低く垂れ込めていた。
ヴァション島まで行ってきたが、
晴れの日ばかりでなく、そんな濃霧の船旅も味わいがあって良かった。
パンフレット
長女は村人役
今日も長女の学校が午後3時に終わるにを待って迎えに行き、
そのままEverettにまで送る。
そこでミュージカルの練習が午後4じから9時まである。
週の4日はそのようなスケジュール。
昨年の12月から親も子も往復1時間半ほどのEverettまでの運転を2往復して来た。
そして今日はスポンサーとなってくれた方々を対象とした初めての本番ステージ。
彼女自身をはじめ、舞台の皆さんも上出来だったようだ。
そんなこともあって、この日に走行した距離は165マイル(265キロ)となっていた。
10時前の帰宅となり私も疲れを感じた。
朝の7時から登校している彼女は、15時間労働というところか。
だが自分自身を表現出来るその練習が気に入っているようで
生き生きとしている。
カイザリア
イスラエルとキリスト教会❺〜区別されるその聖書的論証
④教会が「新しいひとりの人」と呼ばれている。エペソ2:15
「15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。 」
(エペソ 2:15-16)
パウロはエペソ2:11-3:6において3つの共同体組織に言及している。
イスラエル、
異邦人、
そして「新しいひとりの人」である。
この「新しいひとりの人」とは、
イスラエルや異邦人とは明確に区別されながら
両者の信者達を構成メンバーとするものである。
この新しいひとりの人がすなわち教会なのである。エペソ2:16,3:6
イスラエルとキリスト教会❻〜区別されるその聖書的論証
⑤これら3つの共同体はそれぞれが互いに区別されるものである。
「32 ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、
つまずきを与えないようにしなさい。」
(1コリント 10:32)
イスラエルとキリスト教会❼〜区別されるその聖書的論証
⑥教会という用語は決してイスラエルに使われたことがない。
これは次章で詳しく学ぶ。
この年末に雪で覆われたエルサレム
イスラエルとキリスト教会❹〜区別されるその聖書的論証
③教会の奥義的な性格
聖書で「奥義」とは、
旧約聖書には啓示されずに新約聖書に至って初めて啓示された真理のことを示した専門用語である。
エペソ3:3-5
教会それ自体は奥義とは呼ばれていないのであるが、
教会に関する数ある性格が奥義と呼ばれているのである。
⑴教会のからだ概念が奥義。
ユダヤ人信者と異邦人信者とが結合して
一つのからだとしての教会を形成するというのは
旧約聖書に存在していない概念である。エペソ3:1-12
⑵信者の内にキリストが宿るという概念が奥義。
コロサイ1:24-27,2:10-19,3:4,11
⑶教会はキリストの花嫁である。エペソ5:22-32
⑷携挙。Ⅰコリント15:50-57
信者が復活して新しいからだを受け継いだ後に天に引き上げられて主と会うというのも奥義である。
これら4つ奥義は何れも教会と深く関わったものであり、
教会自体が奥義であるとも言えるし、
イスラエルとは明確に区別されるべき存在であるのが分かる。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ