バンクーバー島での最終日はヴィクトリアに
フリーを終えて自己最高点。満足の涙を見せる真央選手。
旅行中、宿舎のTVで家族そろって浅田真央選手を応援する。
SPで思わぬ転倒、そして16位という厳しい結果。
その後の彼女が良かった。
諦めずに残りの演技を続けた。
思い返せば4年前、近所のバンクーバー五輪で銀メダルを取った真央選手。
MAOロールと名付けられた巻き寿司が常連の日本食レストランのメニューに登場したのもその時だった。
そのリベンジとして望んだ今回のオリンピック。
「うれしかったです。うれし泣きと笑顔と、同じ意味だと思います」
とのコメントはフリー演技を終えて、自己ベストの得点を得たときのもの。
悔しくて泣いた前回バンクーバー五輪とは、涙の理由が違ったようだった。
ナナイモ(7つの芋)という町でランチ
ここヴァンクーバー島は、
米国ノースウエストとは明らかに異なる景観が広がっている。
ハイウエイの路肩は雪で覆われており、
そこよりも視線を遠くへ向ければ針葉樹林が散在してる。
ノースウエストでは針葉樹よりもブナなどの広葉樹が密集しているし、
その密集林をくもの巣のようにネット接続するオバケ苔ももちろんない。
結果、視界が広く開かれ空の広さまでもが
異界に来たことを印象付けるものとなっている。
ケッペン気候区分によっても、両者は異なる区域に分けられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B0%97%E5%80%99%E5%8C%BA%E5%88%86
シアトル圏のノースウエスト地区はCSB(地中海性気候)という気候区域。
温帯に属し、夏季乾燥、月平均気温10℃以上が年に4ヶ月以上となる。
一方、南端を除いたヴィクトリア島はCFC(西岸海洋性気候)の範疇に収まる。
同じ温帯には属しているが、雨季は冬季・夏季の区別なく、年に月平均気温10度以上が3ヶ月以下。このCFCにおさまる主な都市としては北海道の室蘭、ロンドン、パリ、アムステルダム、ベルリンなどとなっていた。
宿舎前に広がるビーチ
対岸がカナダ本土となる
数日前から咳き込んでいた長男の具合がさらに悪化している。
昨晩は数秒おきに咳を連発していて、彼はほとんど寝ていない。
カナダ・バンクーバー島での最初の行動は
薬局を探し出して薬を処方してもらうことになった。
朝食後、家内と長男はその行動に移り、私と長女は宿舎前のビーチを散策。
こんな地の果てとも思えたバンクーバー島の中程の極地にも
米国資本のあらゆるビジネスが進出している。
薬はWalmartに付随している薬局で簡単に手に入れることが出来た。
ショッピングモールは米国と変わらない洗練された近代的な作りで、
ターゲットやホームディポ、スタバやもちろんマックなど、
ほとんど同じ巨大資本のお店が並んでいた。
ヴァンクーバー島へ渡るフェリーの甲板上で
自宅を出発したときは雨でしたが、晴れの天気に気分もウキウキ
この冬休みには北へ探検することとなった。
カナダ国境までは車で約2時間。
国境線を超えて20分ほど走った北西の海岸に、Tsawwassen という港がある。
そこから2時間、フェリーに揺られて着いた港が Nanaimo である。
そこはニュージーランド以東の太平洋でもっとも大きなバンクーバー島。
南北が約460キロ、東西の最大幅が約80キロで、面積が32,134平方キロ。
九州が37,814平方キロだから、少々小ぶりにしたサイズである。
地図でみると北米大陸からその島までがわずかの距離に見えたが、
2時間の乗船とは想定外であった。
「そんなところ、遠過ぎるよ」
との家内の意見の意味を今後も身をもって体験して行くこととなる。
フェリーを降りてからもさらに北にドライブすること2時間弱。
宿舎に着いた時には、すでに夜の帳がすっかりと降りていた。
来週から長男の新シーズンが始まる
米国はこの日、President Dayとして休日である。
長女は昨日一緒に買いに行った新しい本を読むのに夢中。
長男はiPadでゲーム三昧。
午後から彼を連れ出してコミュニティーセンターのジムへ行ってきた。
体育館は案の定誰も使っておらず、
広いスペースを独占しての二人だけのサッカーが始まった。
パスを送る味方がいないということは、常に自らが防御に付くか、ドリブル攻撃のどちらかをしていなくてはならず、体力的にしんどくなる。
が、まだまだ10歳の坊やに負けてられん、とばかりに意地も見せなくてはならない。
息がきれて最初に音をあげるのは彼の方である。
それが逆転するのはいつの日のことだろうか。
安息日のエルサレム
③ローマ 2:28-29
「28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、
外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
(Rom 2:28-29)
これは、「異邦人クリスチャンが霊的なユダヤ人となった」
とする神学が最終的で最大の拠り所とする聖句である。
本当のユダヤ人とは内的のことであるなら
信仰のある異邦人もその基準を満たしているし、
結局異邦人も内的ユダヤ人と見なされるのだ
とここの聖句が教えているとする論理である。
そのように主張する人たちは、
ローマ書簡の構造的な文脈を弁えていないのである。
ローマ書3章までの基本的な構造は次のようになっている。
あいさつ 1:1-7
序論 1:8-15
主題 1:16-17
有罪の下に置かれた全世界 1:18-3:30
有罪の下に置かれた異邦人 1:18-2:16
有罪の下に置かれたユダヤ人 2:17-3:20
結論 3:21-30
冒頭の2:28-29の聖句はユダヤ人に関わる文脈に位置している。
そこには異邦人に関わるものは何もなく、それに関しては2:16で終わっている。
この聖句をより良く理解するには、
信仰あるユダヤ人(パウロ)が信仰のないユダヤ人に語っているところであるという文脈
に注目せねばならない。
そうするならパウロがここで言葉遊びをしていることにも理解出来るであろう。
Judaism(ユダヤ性) やJew(ユダヤ人) とは、
同じ「栄誉」という語源から派生している。
ここで教えているのは、外的なユダヤ人であることが神の義を受けるに十分でなく、
それには神のユダヤ性(つまり霊的なユダヤ性)が必要となるというものである。
29節は、「ユダヤ性とは、人からではなく、神から来るものです。」
とも言い換えられるのである。
この箇所を学ぶにあたり、ローマ2:17-3:9 という大きな文脈から整理するなら
さらに納得していただけるものと思う。
(次回に続く。一連の投稿は「救済」タグをクリック)
美味しかった!
ホサナ教会での聖書広場ではこの日、
「夕餐会と聖書のメッセージ」と銘打って、
普段とは志向を変えた集いとなった。
普段はマタイ福音書の連続講義をかなり精密にこなしていることから
新しくお出でになる方々にはだいぶ敷居が高いと思われる。
そこでポトラックを共に楽しみながら、
その後は簡単な聖書からのお話をさせていただこう、というもの。
残念ながら新しい方はお見えにはなられなかったが、
それぞれが持ち寄った心尽くしのお料理を堪能した宵でとなった。
カナダから帰宅して翌日、
今度は南のタコマという街へ行く。
月に一度の聖書の学び会を主宰している。
この日はこの辺りには珍しい「豪雨」に近いほどの激しい雨に打たれた。
そのために途中で何カ所の渋滞に巻き込まれて
1時間以上のドライブ時間となってしまう。
日本からのニュースを知れば、そんなもの可愛いものである。
かの地では大雪に道路が至る所で寸断され、
身動きが全く取れない方々が車中泊を3日も強いられていると言う。
速やかな復旧をお祈りします。
聖書会では約1年ぶりにSさんが来会された。
土曜日は大抵、コスコ店内での試食販売員の仕事のため欠席が続いていた。
その仕事を通じて友人となった日本人主婦の方もお連れしての来会。
カナダと米国との国境には
白亜の巨大アーチがモニュメントとして屹立している。
その手前の1キロくらいのところで、携帯電話が電子音を鳴らした。
留守電が入っていることを知らせるもので、
カナダ国内では入電出来なかった。
入国管理局への車列に並びながらそのアーチを10メートルほど過ぎた時、
さらにもう一つの電子音がした。
Rogerというカナダの通信会社から、
AT&Tという米国の会社に接続が変わったことを知らせるもので
同時に数十のメールがダウンロードされて来た。
入国管理局の審査はまだ数百メートルも先であるが、
国境をまたいだそこはすでに米国領であり、その電話会社の管轄に代わったのだった。
電波の受信をどうやって選別しているのだろう?
シアトルから運転して3時間以内で外国に行ける。
これは日本にいては決して体験できない感覚であった。
南樺太を失った今、外国と陸続きで繋がっている場所は日本に一つもない。
外国にあっては命の次に大切なものが一つある。
パスポートである。
部屋の中で見ていないなあ、と気になったので探して見た。
ない…
デスクの周囲にも、スーツケースの中にも。
このままで寝ることも出来ないので、0時を過ぎていたが車まで行って探す。
どこにもない。
カナダで申請してから発行までどのくらいの日数が必要なのだろう?
今週は帰れなくなるのか?
礼拝はどうしよう?
そんな疑問がグルグル回り出す。
トランクの中を探した後に閃いた。
脳の中で電球が光った感じ。
入国時に審査官に見せたパスポートを助手席に置いたままだとすると、、、
確かどこかのカーブの際に助手席から書類がずれ落ちる音がした、、、
助手席ドアを開けて下方を見たら、
あった!!
シートとドアの間の隙間にズレ落ちていたのだった。
同じ日、友人のNさんがニューヨークから日本へ帰国する際の飛行機搭乗前にグリーンカードを無くしたが、待合室の椅子の上にあるのを直後に発見したのをFBで知った。
自分自身の記憶や注意深さなどに頼っていられない。
そんなもの、この私には生まれつき持ち合わせていない。
「行くにも帰るにも、今よりとこしえまであなたを守る」
と約束される主に感謝する。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ