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ミュージカルがこの週末に開演

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ミュージカルがこの週末に開演 ミュージカルがこの週末に開演
「屋根の上のヴァイオリン引き」

ベルビュー・ニューポート地区の恒例ミュージカルがいよいよ今週から開演。

http://www.nsoarts.com/Pages/default.aspx

3月28日、29日、30日。4月4日、5日、6日。

70人ほどのキャスト、40人ほどのオーケストラによるライブ演奏です。

長女は毎夜出演しますがShprintzeという主人公の4番目の子役としては、
3月28日、30日、4月5日の出演となります。

入場は無料で任意の自由ドネイションがあります。

本日も彼女は放課後の5時から教会へリハーサルに駆けつけ、
帰宅は10時半を回ってました。

#アート #伝統 #文化 #芸術

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桜の開花

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通学路にある桜は三部咲きといっ... 通学路にある桜は三部咲きといったところ 毎日ここを通るのが楽しみ 毎日ここを通るのが楽しみ
今朝のNHKニュースで横浜での桜の開花宣言を知った。

東京ではその宣言を報じるための報道機関各社のカメラマンたちが
代々木公園(だったと思う)の桜並木に数百人集まっているのを生中継していた。

1本の木に6輪ほど開花していれば、その宣言が発せられるという。

こちらワシントン州べレビューでは先週から開花している。

小学校への通学路にも幾らかの吉野桜があって
毎朝楽しませてもらっている。
#自然

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横浜の年会会場へ闖入

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COGの教職者たち COGの教職者たち
この日、COGの総会・年会が日本の横浜・東戸塚教会で開かれた。

私はスカイプ参加。

初日は礼拝のために参加出来なかったが、
その日の総会では任期満了に伴う理事長選挙が開かれ、
高橋富三先生が再選を果たされたとのこと。

小僕もホサナ教会へ再任命を頂いた。

今年は川崎教会が新会堂の建設中とのことで、
短期間での会場を東戸塚教会に変えての年会。

東戸塚教会ではインターネットアクセスがなくスカイプ利用は無理かなと
諦めていたところ、駄目元で川崎のM先生にメッセージ送信。

つながってしまった(^o^)

M先生には「ポケットWi-Fi」なるものがあって
どこにいてもインターネット環境を携帯出来るらしい。

日本に帰国する度に旅行者用のHot Spotがなくて苦労するが、
そのような便利なものがあるとは初耳。


米国の自宅オフィスに居ながらPC画面イッパイに年会会場が映し出され、
親しくさせていただいている懐かしの先生方の横顔も拝見できる。

もちろんそれぞれの発言も良く届いて、
さながら数十センチ四方の窓から横浜に闖入しているかのような感覚。

私もご挨拶をさせていただいた。

皆さん、私の声聞こえましたか??


会議終了後、準備されている昼食に行くという先生に手を差し出して
「僕も連れて行ってください」と嘆願したが、
そこまではさすがのインターネットでも不可能のようだった。

川崎教会の新会堂建設進捗状況についてはこちらをクリック:
https://www.youtube.com/watch?v=LjGeJgMeYZ8&feature=youtu.be
#PC #テクノロジー #ネット

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「サドカイ人からの挑戦」

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ゴラン高原に咲くアイリス ゴラン高原に咲くアイリス

ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。

聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://hosannamin.org/whatsnew/view/22333-65

「サドカイ人からの挑戦」
マタイ22章23~33節
~マタイ福音書連続講解説教65~

主イエスが神の子羊としての十全性を吟味させられている場面が続いている。

すでに第一グループ(サンヘドリン)
第二グループ(ヘロデ党)からの挑戦・吟味を終えて、
今回は第三グループ・サドカイ人からの挑戦である。

サドカイ人についてまとめてみる。

1.その教理の特徴
•口伝律法の権威を認めていない
•トーラー(モーセ5書)のみが霊感を受けた正典であるとした
•死者の復活も死後の命も信じていない現世主義者
•天使、悪霊の存在や霊的な世界を認めない

2.その職種
•神殿を基盤とする祭司たちであり、貴族階級
•神殿境内での両替商やいけにえの動物販売で巨利を得ている
•少数であるが、サンヘドリンの有力な構成メンバーであった

3.その運命
•紀元前二世紀のハスモン期に起こった
•神殿のあるエルサレムにしか活動の基盤がない
•それゆえ主のガリラヤ伝道においては姿を現していない
•AD70エルサレム崩壊とともに消滅した


 サドカイ人らの質問(23~28)

 「23 その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、
イエスのところに来て、質問して、
24 言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、
その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。
25 ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。
長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、
その妻を弟に残しました。
26 次男も三男も、七人とも同じようになりました。
27 そして、最後に、その女も死にました。
28 すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。
彼らはみな、その女を妻にしたのです。」 (マタイ22:23-28)

これはレバリット法といわれるもので、
死んだ長男の名前を残し遺産相続を分散させないために
広く他の東洋民族も踏襲していた慣習でした。

復活を認めていないサドカイ人が
パリサイ人をやり込めていた問いでもあったのです。

主イエスはサドカイ人らに対して
「思い違いをしている」と単刀直入で答えられ、
その質問自体の前提に誤りがあるのを指摘されました。


①  「神の力を知らないゆえ」に思い違いをしている。

復活は神の力によるもので、
人の想像や常識を超えるものである。

その際には結婚、出産、死亡はもやはなく
天の御使いたちのようなものであるという。

ここで人間の女たちと結婚してネフィリムというアイノコを生んだ
創世記6章に出現する堕落した天使たち(すわなち悪霊たち)と
「天の御使いたち」とを区別しなくてはならない。

彼らは、
「自分の領域を守らず、自分のおるべきところを捨てた」(ユダ6節)
ものたちで、

現在では「暗闇の下」(タータルス)永遠の束縛をもって閉じ込められている。

やがての主の再臨が起こる時、
人間や世界のありようは根底が変えられるのであり

そこには推し量られない神の力が働いているのを見ることになる。

② 「聖書を知らないゆえ」に思い違いをしている。

復活を教える聖書を読んだことがないのか
と主はサドカイ人たちに問われた(31)。

復活を教える旧約聖書の代表的な聖句が3つある。
   ダニエル12:2
   イザヤ26:19
   ヨブ19:25~26

サドカイ人らはモーセ律法しか権威を認めていないので
これらの聖書箇所には触れられずに、出エジプト3:6を引用された。

「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」

当時のモーセ時代、3人の族長たちは死後400年程が経過している。

ここで神は現在形で
「わたしは⃝⃝⃝⃝の神である」ということは

神が「生きている者の神」であらねばならない前提があるので
彼ら族長たちには永世が与えられている論理的な結論に至る。

そして死後の永世は、やがての地上での復活に通じるのである。

③ サドカイ人の「パン種」に注意せよ

かつて主は弟子たちにそのように訓戒を与えられた(マタイ16:6)が
その「パン種」とは何のことであろうか?

  1.現世利益の宗教
   •サドカイ人らは神殿宗教から利益を吸い取っていた祭司・貴族階級であった。
   •私たちの宗教とは利益、成功、自己願望、自己実現のための信仰であるのか?
   そうであるなら、サドカイ人と変わらないものである。

  2.理性中心の宗教
   •自ら経験、認識できることしか信仰しない態度が彼らの宗教であった。
   •今日の自由主義神学者たちも人間理性中心の聖書理解にとどまり、奇蹟、主の復活も、再臨も信じることができない姿勢を貫いている。

  3.真の宗教は生ける神との体験である
   •霊感された神の言葉を通じて神に出会うことができる。そこには理性的に認知できる段階から信仰による飛翔が必要とされる世界である。
   •仲介者であられるメシア(神人)を通じて、私たちは神に至る事ができる。


「19 こういうわけですから、兄弟たち。
私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、
私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」
(ヘブル10:19~20)


#救済

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コロンビアの大河

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コロンビアの大河 コロンビアの大河


ポートランドからシアトル方面に向かうのに難関が一つある。

大河コロンビアに掛かる橋である。

車線が制限されているわけでもなく、高速5号線を走っていれば
いつの間にか橋を通り越してしまのであるが、そこが大難関なのだ。

難関の理由は渋滞。

ワシントン州とオレゴン州を結んでいるこのあたり唯一の橋なので、
常に交通が密集している。

特に3時以降から7時ころまではひどいものとなる。

週末の土曜だから大丈夫かな、と思っていかが甘かった。

時速10マイルほどのノロノロ運転が続き、
オレゴン州を脱出するまでに40分ほどかかってしまう。

橋を超えればタコマドームまでは渋滞はない。

この地域が州として合衆国に編入された150年ほど前は、
道なんてなく、荒野を幌馬車が進むしかなかったのだから

それと比べたら、文句は言えない。

今日も無事に帰れて感謝。
#バイク #ボート #車 #鉄道 #飛行機

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ベイデン教会ドン牧師が召天されました

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ドン先生と奥様のデビー ドン先生と奥様のデビー
COGベイデン教会(セントルイス)のドン牧師がこの水曜日に召天されました。

私がドン先生とはじめてお会いしたのは10年以上も前の成田空港でした。

1歳にも満たない明美を連れて初めて家族3人で帰国したときです。

たまたまセントルイスからのドン先生ご夫妻と同時間の成田着フライト。

確かあの時はCOG50周年の記念会出席のための帰国。

落ち着いた風情にも温かみのある器でした。

私の両親宅にもお出でくださり、夕食をともに囲んだことを懐かしく思い出します。

今は天にてシェルホン先生と主イエス様とご一緒に
楽しく過ごしておられることでしょう。

ベイデン教会のニュースレターを
COG名誉理事長の伊藤先生が翻訳してくださった文書を載せます。

英語本文はその後に続きます。


ダン牧師主イエス様のみもとに凱旋

 ダン牧師がイエス様のみもとにお帰りなられたことを知らせなければならないことは、私にとつて実に心痛む思いです。ダン牧師とお交わりを持った者であればだれでも先生はイエス様と人々を心から愛しておられたことを知っていることでしょう。
 先生は、今やその生涯にわたった信仰が真実であり、私たちの神の驚くべき栄光を見ており、そして私たちと再会する日を待ち望んでおられます。
 私たちが心から愛していた者が突然去って逝くことはとても悲しいことです。しかし、その悲しみは私たちにとってはしばらくの間のことであり、また再び一緒になるまでのことであるとダン先生がよく言われていたことです。
 昨晩、私たちはダン先生のお宅で火曜日の聖書研究会を持っていました。私たちはマタイ24章について話し合いました。主イエス様の再臨についてでした。それは私たちにとって「目からうろこ」のような衝撃で、その日には驚くような速さてこの世が新しい世に移り変わるということでした。そしてきょう、私たちにとって驚きの展開となったことは目もくらむばかりの事でした。
 しかし、神様の恵みは私たちの理解を超えています。私たちはこの世に生きている限り神様に全く委ねて生きてゆくことこそが神の恵みであります。また、そのように心に深く覚え、そのような思いをお互いに抱くことのできることは神様の愛であります。ダン先生はそのように生きておられました。私はそのような霊をいままで以上に私たちに注いでくださるようにと祈っています。
 ダン先生の証しは力強いものでした。先生は気力、知力に優れた人でした。先生は神様の恵みによって救われました。ちょうど私がそうであるように、またあなたがそうであるように、先生の心は貧しい者、助けを必要とする者たちに向けられていました。それは閉ざされた者たち、ホームレスの者たち、障害者、麻薬耽溺者、そして飢えている者たちにまで及んでいました。彼らに対する愛はチャーチ・オブ・ゴッド、ベイデン教会を変えました。それは「いと小さき者」を求めて愛する教会へと変えたのです。
 ベイデン教会はこれからもこのようなミニストリーを継続してゆきます。それは神様がわたしたちにお与えになったミッションだからです。私たちはこれからも人々を愛し、助け続けて行きます。それはダン先生が望んでおられたからと言うのではなく、神さまがそうするようにと私たちに教えているからです。(マタイ23章32~46節)
 ダン牧師は花束のようなもので飾るむなしい言葉で彼の地上での栄光の生涯を書くことを私に望んでおられないと思います。それよりも先生はあなた方に尋ねたいと思っていることを私に書くようにと望んでおられると思います。それは、あなたは救われていますか。あなたはイエス・キリストが神の子であると信じていますか。イエスさまは罪なきお方であるにもかかわらず、あなたの罪のために十字架の上で死なれたことを信じていますか。そしてイエス様は死者の中からよみがえられたことを信じていますか。あなたが自分が罪人であることを認めて、イエス様が提供している救いの賜物を必要としておられますか。あなたは心からイエス様に従う用意がありますか。どうかこの問題を真剣に考えてみてください。私たちのいのちはゆらめくキャンドルのようなものであり、私たちはいつ私たちの息が閉じるかを知らないのです。あなたが救われているか否かはもっとも重要な問題です。
 お葬式の一切についてはベイデン教会のウエブサイト(www.cogab.net)からご案内があると思います。今はデビー夫人とご家族、そして教会のためにお祈りください。

 主の平安と愛 リック・メスター


 ダン牧師のお別れ会と葬儀(ベイデン教会のウエブページより)

Pastor Carvin “Don” Sharp Jr. went home to be with Jesus on Wednesday, March 19, 2014 at 10:45 am.

  Funeral services are as follows:
 葬儀については下記の通りです。
Visitation on Sunday, March 23rd from 3PM – 8PM
お別れ会 3月23日(日)午後3時~8時まで

Funeral Service on Monday, March 24th at 11AM
葬儀 3月24日(月) 午前11時

会場 下記の通り
Stygar Florissant Chapel
13980 New Halls Ferry Road
Florissant, MO 63033



Pastor Don Has Gone Home To Jesus

It is with a bittersweet heart that I write these words. Pastor Don has gone home to Jesus. Anyone who has had any interaction with him knows that he absolutely loved Jesus. And he loved people.

He is now living the realization of his years of faith. He’s seeing the awesome glory of our God right now. And he’s waiting to see us all again.

It is such sorrow to have someone we all love so dearly taken from us. But that sorrow is for us, the living. Pastor Don would tell us all now that he’s doing just fine and we’ll be together again in a little while.

Last night we had our Tuesday night Bible study at Pastor Don’s house. We were discussing Matthew chapter 24 and talking about the coming of our Lord. It will be in the blink of an eye. It’s amazing how quickly our world can change. Today, in the blink of an eye, our lives were turned over.

But the grace of God is beyond our comprehension. It is this grace that we must lean on while we are still on earth. It is the love of God that we must embrace and share. Don was so very good at that. I pray that Jesus pour out that spirit on us now more than ever.

Pastor Don’s testimony was a powerful one. He was a tough, intelligent man who was saved by grace. Just like me, and I hope, just like you. His heart for the poor, the needy, the shut-ins, the homeless, the dysfunctional, the drug addicts and the hungry was contagious. This love transformed the Church of God at Baden into a down and dirty, ministry minded church who sought to love ‘the least of these’.

The church will carry on in this ministry. It is the mission that God has given to us. We will continue to love people and help them, not because it’s what Pastor Don would have wanted. But it’s what God has instructed us all to do (Matthew 25:32-46).

Pastor Don wouldn’t want me to write a bunch of flowery stuff that would glorify his life on earth. But he would want me to ask you something…

Are you saved? Do you believe that Jesus Christ is the Son of God and that He was sinless but died on the cross for YOUR sins? Do you believe that He was raised from the dead? Do you recognize that you are a sinner and that you need this gift that Jesus is offering you? Are you willing to follow Jesus? Please think about these things seriously. Our lives our just flickering candles and we never know when our last breath will be drawn. It is of the utmost importance that YOU ARE SAVED.

Funeral arrangements and other church related items will be posted at the church’s website (www.cogab.net) when they are available. For now, please pray for Deb, the family and the church during this time.

Peace and Love,
Rick Mester
#お知らせ

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オレゴン誕生と日本の開国

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ポートランドダウンタウンの長老... ポートランドダウンタウンの長老教会 組織化は1854年とある 組織化は1854年とある
ポートランドにて、歴史を感じる教会堂を発見。

今日、ダウンタウンのAlder通りを歩いているときだった。

これまでその壮麗な教会堂の目前を何度も通ってきたが、
壁に掛かる碑文に注意を向けたことはなかった。

その教会の設立は1854年とある。

その年、数百年間の鎖国を破り日米和親条約が締結された。

前年からのペリー艦隊による砲丸外交によって
江戸幕府は無理やりに開国を余儀なくされた。

時に、二十歳前の坂本竜馬は江戸の千葉道場で剣術修業中である。


「歴史を感じる」と冒頭に書いたがこの州の、
そしてこのアメリカという国の若さを改めて実感してしまう。

長い平安王朝貴族の時代が終わって武士の世となり、

鎌倉から武士政権が誕生して以来650年ほど続いた
「刀とちょんまげ時代」が終焉を迎えようとするころ、
このオレゴン州が産声を上げることになる。

オレゴンがアメリカ合衆国の州に昇格したのは、1859年2月14日である。

ついでにもう少し遡ると、
ジェファーソン大統領の時
ルイスとクラークの二人が陸路北西部の探検に派遣されて、
ロッキー山脈を超えて太平洋岸に達するのが、1805年であった。

当時英国もクックらの探検家を送っていてこの北西部の領有を主張していたため、1818年の米英協定で、共同領有とされた。

当時のオレゴンとは、オレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の北西部一体を指している。

1830年代には、ミズーリ州インディペンデンスから
ロッキー山脈を越えてオレゴンに達する「オレゴン街道」が開かれると、
西部に移り住む開拓民が後続するようになる。

1846年、オレゴン条約によって国境問題が平和的に解決される。

アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカの国境が北緯49度線に設定されたもの。
これは現在のカナダとの国境線になっている。

1848年にはオレゴン準州が公式に組織化され、
再度記すが合衆国33番目の州に昇格するのが1859年である。

ちなみにワシントン州の昇格は、
さらに送れること1889年11月11日であり、
大日本帝国憲法が公布されるとの同年である。

#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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豊臣秀吉と黒田官兵衛の対話

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高松城を湖に沈めんがために長大な堤防を建設中に

秀吉が黒田官兵衛に次のように言っている。






「世を動かすのは、これだ」

と、秀吉は言った。これ、というのは人間の欲望を指している。

秀吉は人間の欲望を刺激した。

すると水が低きへ流れを変えるように、
秀吉の思うがままの方向に人間どもは動き出した。

世を動かすの原理は人間の欲望である、ということを、
秀吉は年少のころから勘づいていたが、その証拠として、
これほど壮大な規模で目の前にくりひろげてくれた光景は
彼自身もはじめて見た。興奮しきっていた。

「官兵衛。デウスは愛であるというたな」

「申しました」

官兵衛はうなずいた。
この切支丹宗徒の発想では宇宙には唯一神デウスがおわす。

その唯一神の作用は愛であるという。

愛をもって万物を創造し、生かしめておられる。

これほど巨大な力の存在を、
天竺人も唐人も日本人もかつての発見したであろうか。

東洋の神仏は幾千幾万も存在し、それぞれ小さな機能をもつに過ぎないが、
このデウスという造物主、
絶対者、唯一神は、天を蔽い、地を蔽い、
人間を創造し、人間に君臨し、
善悪をただし、善は天国へ、悪は地獄へ送る。

何とすばらしい力であろう。

その唯一神が人間を統一している作用は、愛である。

もし人間の帝王にして唯一神の愛を身につけるとすれば、
唯一神と同様の作用を人間どもにおよぼすことができるのではないか。

つまり、愛という神の原理さえ身につければ
この地上を統一できるのではあるまいか。

官兵衛は宗徒としての立場からそのように秀吉に説いてきた。

聡明な秀吉は、それをよく理解した。

もっともその理解の仕方は秀吉流の、
ひどく非宗教的な、
いわば形而下的で現実くさい理解のしかたにすぎなかったが。


その証拠に秀吉はいま、ーーー世を動かすのは欲望だ。

と、官兵衛に異を立てるようなことをいった。

愛よりも欲望ではないか、と秀吉はいうのである。


「さに候わず」

と、官兵衛はいった。

愛でござる。

原理は愛でござる。……………


(司馬遼太郎・太閤記)
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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「カイザルのものはカイザルへ」

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イスラエル・オファキームにかか... イスラエル・オファキームにかかるダブルの虹
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。

聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/21522-64


「カイザルのものはカイザルへ」
マタイ22章15~22節
~マタイ福音書連続講解説教64~


当時のローマ帝国はユダヤ人に対して人頭税を徴収していました。

ユダヤ人にとって異邦人の政府に納税せねばならないのは屈辱です。

そこには金銭的搾取という政治・経済的理由ばかりでなく
宗教的嫌悪感がありました。

納税の際に使われるコインはデナリ貨であり、
それには皇帝ティベリウスの頭像とラテン語で次の銘が刻まれてあったのです。

「神として崇められるアウグストスの子、カイザル・ティベリウス」

神として祭られているカイザルに税を支払うことは
聖書が堅く禁じている偶像崇拝につながるのではないかとの危惧感から、
パリサイ派を始め保守的ユダヤ人は納税を毛嫌いしていたのです。


❶カイザルものはカイザルへ

この納税問題においての主のお考えはここにある短い言葉に要約されています。

時の地上権力が法令で定めた納税義務を課すなら、
それを果たしなさいというものです。

神の国の国籍を持つクリスチャンは、
地上の権威の下にも置かれているとパウロやペテロも教えています。

神の権威の下に服し、
地上政府の権力の下にも服しているのが信仰者だと言うのです。

地上政府は、
人民の平和と秩序のために神から権力の委託を受けたものであると
聖書は教えます。

それであるなら、政府はその神からの委託に応じなくてはなりません。

無条件の白紙委任ではないのです。

その委託を正しく行使しているかを監視しなくてはならない責任が
我々人民の側にあるし、

もし神からの委託に応えず神の御心に反する政策を政府が行使するなら、
権力乱用でありそれに従ってはならないことなります。


❷神のものは神に返しなさい

この主の言葉を聞いて彼らは「驚嘆した」とあるので、
その言葉の持つ重みを彼らが十分に理解ていたことが分かります。

旧約聖書文化の蓄積のない我々異邦人には説明が必要です。

そこには、人間とは神の刻印が押された存在であり、
神が真の人間の所有者であるとの共通理解がありました。

彼らは創世記にある人間創造の記事を熟知していました。

人は土地のチリを原材料にして造られたとあり、
さらに「神のかたち」に造られたとあるのです。

ここで主が言わんとしていることは
パウロがローマ12:1で言っていることと同じです。

「 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、
きよい、生きた供え物としてささげなさい。 」
(ローマ 12:1 )

「からだ」とは全身全霊、あなたの存在の全てを意味しています。

神の御心を知りながらも因循姑息な口伝律法に凝り固まり、
自己義を捨て切れないでいる彼らは
「神の所有」という立ち位置から相当かけ離れた所にいる現実を自覚させられて、
そこから逃げるようにして立ち去ったのでした。


❸ ささげものについて

地上政府や神に対しても返すべき負債・義務を負っているとの教えの原則は、
教会でのささげもの(献金)についてもそのまま当てはまります。

私たちが日常所有していると認識している
私の財産、
私の時間、
私の賜物、、、
どれ一つ取ってみても実は自分のものでなく神の所有物なのです。

地上生涯のしばらくの間、私たちはそれらを委託されているに過ぎません。

真のオーナーは神であり、我々はマネージャーです。

やがて神の前に立つ時に、
それらの委託物をどのようにマネジメントして来たかの収支報告書を
提出しなくてはならないと聖書は教えます。

政府への納税義務には強制力が伴っています。

義務を履行しないのなら懲罰されます。

ところが、教会には強制の献金や懲罰は今日ありません。

それは私たちが神の前における自由人として判断を任されている分野です。

献金は強要からでなく一人ひとりが心で決めるものである、
と聖書は明快です。

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、
心で決めたとおりにしなさい。
神は喜んで与える人を愛してくださいます。」
Ⅱコリント9:7

ここで、
自由裁量に任されているものこそが、
やがて神の前での評価の対象となり、
報酬が決定される選考基準となると言えるでしょう。



#救済

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イスラエルと教会11~その⑦

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プリムの祭りの日に子供の入院し... プリムの祭りの日に子供の入院している病院に現れたサプライズ
⑸結論 ローマ3:9

 「では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。
決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、
すべての人が罪の下にあると責めたのです。」

私たち(ユダヤ人)は特権を持っているので、
他の異邦人達よりも優れているというのか、という論点。

そんなことは決してない、と言うのが答えである。

ユダヤ人も異邦人も神の義には到達しなかったのを確認してきた。

それゆえ、全ての人は信仰を通じてのみの恵みによる救いという
同じ方法が必要なのである。



(まとめ)
ここまで2:17-3:9を長く扱って来た目的は、
2:28-29を正しい文脈に位置付けて理解するためであった。

この文脈では、パウロは
異邦人クリスチャンが霊的なユダヤ人になったと教えているのでなく、
全てのユダヤ人が真のユダヤ人になったのではない
と教えるのである。

ここにある区別とは
ユダヤ人と異邦人ではなく、
イスラエルと教会でもなく、

それは
レムナントとノンレムナントの区別であり、
信仰のあるユダヤ人と信仰のないユダヤ人の区別なのである。



#救済

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