9階に陣取ることが出来た
滞在しているホテルで夕刻、歯を磨いてるときだった。
突然、「パチッ」
という音とともに停電。
私の部屋だけではなく、ホテル全体が停電となっているらしい。
仕方ないので、隣のビルの体育館へ行った。
そこも停電しているが、ウエイトなどの器具は使える。
だが15分もすれば、係員が停電のため建物を閉鎖すると告げてきた。
そこのホテルの全ブロックが停電していることが
建物に灯かりが見えないことから分る。
仕方ないので
隣のブロックまで車を飛ばして
ホテルのラウンジに陣取った。
ジュース1杯を注文して
そこをオフィス代わりとして使わせてもらう。
突然の停電であっても
どうにでも対策は立てられる。
ところが、世の中には不可抗力のものもある。
その最大のものとは何か?
全ての人がお手上げ状態にならざるを得ない
人間歴史最大の重要事件がやがてやって来る
と聖書は告げる。
その突然さ、
その不可抗力さ、
それに対する人の無力さ、などから
「ノアの箱舟」の際の大洪水にしばしばたとえられているもの。
そう、主の再臨である。
主イエスが再び天からこの地上に来られるときのことである。
主よ、早く来てください。
「36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。
天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、
彼らはわからなかったのです。
人の子が来るのも、そのとおりです。
40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
42 だから、目をさましていなさい。
あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」
(マタイ 24:36-42)
ベーリンハムにある入江沿いの公園にて
芝の手入れはさすがに見上げたものである
今年になって2回目の芝刈りをした。
裏庭は毎日長男とのサッカーゲームに励んでいるため
ほとんど芝は伸びていない。
むしろ土が剥き出して茶色くなっている箇所があちこちにあるほど。
それにゴールとしているゲイトの隣に垂直に伸びる雨樋が
シュートの直撃弾を何度も浴びて、ついに破損してしまった。
表庭には、たわわに伸びるタンポポ。
昨年は根から掘り起こしたのだが、今年もまた実ってくれた。
「めんどうだな~」
「なんでそんなに強い繁殖力があるんだ?」
黄色い花が咲いているときに根からの駆除をするべきだった。
すでに白い種となっている今、それに触っただけで種は飛んで新たに子孫を作る。
中学校の3学年のときだったと思う。
学級目標なるものを皆で考えて、
教室正面に張り出すことがあった。
「雑草のようにたくましく」
とかいう文句があったのを思い出した。
そう、たかが数度の失敗にくよくよするな。
これまでが不毛不作だから何だというんだ。
人生はまだ折り返し地点を回ったばかりではないか。
9回裏の逆転満塁サヨナラホームランだってあるんだ。
雑草のたくましさからの雑感。
「 6 イエスはこのようなたとえを話された。
「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。
実を取りに来たが、何も見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人に言った。
『見なさい。三年もの間、やって来ては、
このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。
これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。』
8 番人は答えて言った。
『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、
それでもだめなら、切り倒してください。』」
(ルカ 13:6-9)
いちじくの主人の言葉、
「これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。」
とは、一見厳しくて愛のないように思える。
ところが冷静になれば
それは一般社会で常日頃見聞している
もっともなことであろう。
そのもっともさに対して
あえて反論をしているのが
その番人である。
「ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」と。
その番人こそ、忍耐の限りを尽くしている主イエスである。
だからこんな私でも生きていける。
信仰者の端くれとしても、引っかかっていられるのである。
駐米イスラエル大使公邸でのペサハ(過越しの祭り)には
オバマさんも招かれたようです。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/32539-69
「子羊の反撃③~罪の目盛りの不足分」
マタイ23章25~39節
~マタイ福音書連続講解説教69~
主がパリサイ人らに対して直接、
7つの「忌まわしいもの」を糾弾している箇所が続く。
天地創造以来、偽りと反逆、流血の蓄積された罪の報いが
神から下ることを将来に見越して嘆かれた。
「神の都」であるエルサレム、「わたしの家」とかつて呼んでいた神殿が
もはや神による裁きの対象であり
「あなたがたの家」と呼ばざるを得ない段階に達したのである。
当時の人々にはいまだ建設途中の荘厳なエルサレム神殿が
崩壊して市内が火で焼かれるとは信じがたいことであったであろう。
現在の私たちにとっても、
ユダヤの民のイエスへの不信が未曾有の破滅と民族の世界離散を招いたことを、
原因・結果の因果関係から客観的に理解できる。
ところが、
人知の及ばないところでこれら歴史の進展が
神のシナリオとしてあらかじめ計画されていた
と聖書は告げる。
1) イエス時代までのエルサレム(37)
ユダヤ人は古来から遣わされた神の預言者たちを迫害し殺害してきた。
主イエスは雌鳥のように翼を広げ、その下で彼らを保護をしようとした。
記録されているだけでも、
仮庵や過越しの祭りの度にエルサレムに上って神の道を伝え、
救いへの招きを続けられた。
幾たびも「子らを集めようとした」とあるのはそのことである。
その度に頑なな拒否の姿勢をパリサイ人、指導者たちは貫いた。
わずかな少数がその翼の下に集まったが、
それがイエスを信じるメシアニック・ジューと呼ばれる人々である。
2) 異邦人時代のエルサレム(38)
近未来にエルサレム神殿が「荒れ果てたままに残される」と告げられた。
AD70 年のローマ軍による徹底した破壊と殺戮でこの預言が成就された。
陥落以来今日まで、神殿域は異邦人に支配されたままである。
それは「異邦人の時代」と呼ばれる期間であり、
今後主が再臨される時まで続く。
現在はその期間に入る。
3) イエス再臨時のエルサレム(39)
将来、「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」(詩篇118:26)
預言が成就するときがくる。
強烈に主を拒絶したあのユダヤ人の全てが回心して
その主イエスを待望する瞬間がやってくると言うのである。
聖霊が「恵みと哀願の霊」として注がれることによる
ユダヤの民族的な回心(ゼカリヤ12:10)である。
その時、民の哀願に応えて主がオリーブ山に地上再臨される(ゼカリヤ14:4)
その後、エルサレムにて千年王国が樹立され
ダビデの座から世界を統治されるのである。
皇居に天皇を訪ねたオバマさん
我が家の玄関前のツツジもまもなく満開です
今日は家族の皆が休日としてオフを楽しみました。
長女は昨夜からいとこのサマンサが泊りがけで遊びに来ていて
朝から彼女とショッピング。
女の子にとってはサイコーのアクティビティのようで
彼女らをショッピングモールへ連れて行く。
長男は昨夜8時半までのサッカー・アカデミィで使い果たした体力を
回復するため?
タブレット・ゲームに打ち込んでいました。
私は予定されていたタコマでの家庭集会がホストのご都合で
急にキャンセル。
今週まで溜まりに溜まってしまった本稿を執筆。
午後からは長男とサッカー対戦。
今回も2回戦して、何れも私の完敗でした。
妻は、サマンサを空港まで送り届ける大切なミッション。
14歳の彼女は初めて一人だけのフライトでカリフォルニアまで帰ります。
そんな時は付き添いとして搭乗口まで妻は侵入できるのですね。
ゆっくりと過ごした日でも
すでに夕食を終えると外はもう暗くなっています。
窓からは数種類の小鳥のさえずりが聞こえます。
「おやすみなさい」といっているのでしょうか。
皆様も良い夜をお過ごしください。
パワポを駆使しながら、説得力あるれる講演
勉強熱心な皆様からは質問も続出
今月のオーナー会の講師は
森本貴義さん:
株式会社リーチ 専務取締役
関西医療大学 客員教授企業人
川崎病支援研究所 理事
森本貴義さんは2012年までシアトルマリナーズで
選手のアスレチックトレーナーとして活躍され、
WBCの日本代表トレーナーも務められた。
森本さんは2013年に拠点を日本に戻し、
現在は月に1度アメリカにスポーツ選手のトレーナーとして来米。
著書には、「一流の思考法」、「カラダ X ココロ 改善計画」など。
今回は
「これまでのトレーナー人生で学んだスペシャルスキル」
と題して講演を賜った。
「昨日の夕食は何だったか」という、
過去の事例を問われた時
人の目は左上をさ迷う。
(右利きの人の場合)
「来年の今頃は何をしているか」
との将来の事例なら
人の目は右上をさ迷うと言う。
そんなことを隣の人同士と実験しながら
目や表情が伝達する分量は
言葉だけが伝達する量(約7%だそうです)
を遥かにしのいでいることを証明して見せてくれました。
マリナーズの一朗選手、長谷川選手などの
一流選手をトレーナーとしてサポートしてきた実績から
困難な相手であってもコミュニケーションを成立させるための
薀蓄をご披露いただいて
「へぇ~、、」
「う~ん、、」
「ワッハッ」
などの感嘆がもれ続けた1時間でした。
森本さん、貴重なお話をありがとうございました。
今後のご活躍をお祈り申し上げています。
イスラエルもすっかりと春の装いです
不信者が死後、永遠に苦しみに遭うとはあまりに酷い・残酷な教えなので
しばらくの苦しみの後で霊魂が消滅すると教える団体もある。
その根拠としている聖句を以下にあげて
それに対する反論を記す。
結論として、聖書は一貫して霊魂の不滅を教えている。
人は神よりも賢くなってはならない。
① 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも、
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」 (マタイ10:28)
「殺す」とあるのが存在の抹消だと出張するが、
ギリシャ語のアポルミ(ἀποκτεννόντων )は抹殺を意味しない。
以下の例は「失われた状態」を意味するものとして使用される。
「イスラエルの家の失われた(アポルミ)羊のところに行きなさい。」
(マタイ10:6)
② 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13 )
「滅び」は原語でアプレイヤ(ἀπώλειαν )であるが、
これも抹殺ではなく、「無駄な状態」「役立たずの状態」を意味する。
例として、
「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。
「何のために、こんなむだなこと(アプレイヤ)をするのか。」 (マタイ26:8)
③ 「 ところがこの者どもは、捕らえられ殺されるために自然に生まれついた、
理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。
それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。」
(2ペテロ 2:12)
ここでの「滅ぼされる」は「フソーラ」というギリシャ語であるが、
それは腐敗や堕落を意味している言葉で、抹消と言う概念はない。
④ 「人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、
突如として滅びが彼らに襲いかかります。
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、
それをのがれることは決してできません。」
(1テサロニケ5:3 )
「滅び」は「ホレフロス」であるが、
大艱難時代の物質世界の滅びのことである。
⑤ 「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、
来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。」
(2テサロニケ 2:8 )
この「滅ぼす」は「カタルゲオウ」であり、
反キリストが地上世界で働けなくなることを意味している。
やがてそれはゲヘナへ投げ込まれるが、そこでも生きている。
「彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」(黙示20:10)
地上からの存在はなくなるが、その存在自体が抹消されるわけではない。
⑥ 「見よ。すべてのいのちはわたしのもの。
父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。」
(エゼキエル18:4 )
死とは分離を意味していて、抹殺でない。
「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、
歩んでいました。」
(エペソ 2:1-2 )
⑦ 「霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、
その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。」
(詩篇146:4 )
ここで滅びるのは、人ではなくその計画に過ぎない。
⑧ 「生きている者は自分が死ぬことを知っているが、
死んだ者は何も知らない。
彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。」
(伝道の書9:5 )
伝道者の書は神なき人生の哲学をソロモンが求めて記したもので
聖書的な価値観が書かれているものではない。
聖書的な教えは結論部分の12章になって見出される。
⑨ 「神である主は土地のちりで人を形造り、
その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで人は生きものとなった。」
(創世記 2:7 )
「あなたは、顔に汗を流して糧を得、 ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、 ちりに帰らなければならない。」
(創世記 3:19-20)
ここでは人が土に返り、無に帰すると教えているのではない。
土に返るのは肉体だけであり、霊魂は生き続けると聖書は明言する。
ルカ16:19~31
⑩ 「ハデスやシェオール」は「忘却と死」とを意味していると主張する。
それは本来の原語の意味にはない。
ルカ16:19~31を見ればそこでは意識のある霊魂が覚醒し続けている。
⑪ 「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、
御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」
(コロサイ1:20)
「地にあるもの」すなわちハデスやシェオールにいる霊魂は
すべて和解状態にあり、もはや苦しみの場所は存在しないと主張する。
しかし、ここでは例外なしに全てのものが和解させられたと教えていない。
「どんなものでも」、「さまざまのものが」という意味である。
⑫ 「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって
明らかにされたのです。
キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。
(2テモテ1:10)
ここでの「死」とは肉体の死(第一の死)のことであり、
最後の審判の後のゲヘナでの第二の死のことではない。
⑬ 「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、
と定められているからです。 最後の敵である死も滅ぼされます。」
(1コリント 15:25-27)
ここでの「死」とは肉体の死(第一の死)のことであり、
最後の審判の後のゲヘナでの第二の死のことではない。
死海にもまれに植物がこのように息づいています
「不滅」の教えに対する誤りの教え
①人は死んだら肉体も霊魂も共に存在を終えるとする説
・死後の霊魂の存在を否定している
・無神論の説
②霊魂は輪廻する
・死後の霊魂は天国にも地獄にも行かずに、他の人間や動物に入る
・日本の土着宗教に見られる未信者の説であり、聖書の教えではない
・ヘブル9:27
「そして、人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受けることが定まっている」
③霊魂の抹消
・未信者は死後に裁きを受けるが、その後霊魂は抹消される
・エホバの証人やセブンスディアドバンティストの説である
・この説を掲げる根拠として16ほどの聖句を掲げるが、
それは原語の正確な釈義に基ずくものではない。
それらの聖句を今後検証していきます。
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