「遣わした者と遣わされた者」
7月
14日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「遣わした者と遣わされた者」
マタイの福音書 10章5~12節
"イエスはこの十二人を遣わす際、彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。また、サマリア人の町に入ってはいけません。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。
行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。
胴巻に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはいけません。
袋も二枚目の下着も履き物も杖も持たずに、旅に出なさい。働く者が食べ物を得るのは当然だからです。
どの町や村に入っても、そこでだれがふさわしい人かをよく調べ、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。"
「靴も杖も持たずに行きなさい」(10)
① 神にのみ必要を仰ぎ、物質的な執着から離れよとの教え
靴は長距離移動、また杖は歩行補助や保身のために旅行者に必須なアイテムであった
靴は長距離移動、また杖は歩行補助や保身のために旅行者に必須なアイテムであった
②古代中近東における「靴」の持つ意味~その着脱は名誉の剥奪と回復
モーセ(出3:5)もヨシュア(ヨ5:15)も、神の前で僕としての位置を知らされた
モーセ(出3:5)もヨシュア(ヨ5:15)も、神の前で僕としての位置を知らされた
(2) 「天の御国が近づいた」(7)と述べ伝えなさい
①宣教の言葉に、力と権威を与えられた~病人を直し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出す権威を授けられた
②神の国が到来したこと、神ご自身がこの地に来られたことが実証
罪や苦しみに悩み失望の中にある人たちのところに、神の国が立ち上がって行った
罪や苦しみに悩み失望の中にある人たちのところに、神の国が立ち上がって行った
(3) 宣教者と被宣教者の一体性
①神の他に何ら頼るもののない経済的・健康的・社会的貧者らと同一の立場に立った12弟子たち。苦しみと悲しみが共有される場に、キリストの権威が臨み、天からの圧倒的な恵みが降り注いだ
②信仰の創始者である主イエス
最期の晩餐の席場で、弟子たちの足を洗われて僕の立場をとられた主
最期の晩餐の席場で、弟子たちの足を洗われて僕の立場をとられた主
靴ばかりでなく、すべての着物をはぎ取られて最も卑しめられた十字架刑
(結論)
①マルコ6:10においては、同じ文脈、同一場面で靴を履くように命じられた主。
マタイにおいては神にのみ頼る旧約時代の預言者的姿勢を教え、マルコにおいては異邦人を対象に旅の実際的で必要最小限のものを準備するようにとの強調点の違いがある。
②宣教命令者(神)と宣教者(私たち)、そして被宣教者(未信者)が一つとされる時、神の国がこの地に広がっていく
③私にとって裸足で遣わされるとはどういうことであろうか?