半年前にはなかった56丁目のコンビニ
56丁目と5番街のトランプタワー
この朝珍しくも、どうも胃腸の調子がおかしくなった。
どうも、先ほどのホテルで出された無料朝食サービスに原因があるらしい。
ヨーグルトは賞味期限内であっても
冷蔵保存されない期間が長くあったのか?
スクランブルエッグは半熟状だったが、
悪い菌がそこに入っていたのか?
今後は無料とはいえ、このホテルの朝食は利用しないことにして
朝食になるようなものを市中で見つけなくてはならない。
といっても、コンビニのようなものがあるわけでなし、、、
と思っていたら、見つけた。
Maddisonと56丁目にある、日本式コンビニショップ。
日本のようにはいかなくとも、一人用の朝食や軽食には十分の品数。
欲を言えばお握りや弁当があるとさらに良い。
でも、信頼の置ける食材が置いてあるだけで由としよう。
さすが、ニューヨーク。
半年前にはなかったが、こうして日本式サービスが進出しているのは頼もしい。
今年もこの日が巡って来た。
1年に一度だけ、牧師でも嘘をついて良い日。
堂々と人をだませる日。
待ちに待っていた理由は、昨年のリベンジを家内に果たすためである。
昨年のその日、
朝から夜の11時過ぎまで6回の罠を彼女に仕掛けてみたが、
すべて失敗。
端から「またフィーリングして」と簡単にあしらわれてしまった。
その前年に見事に彼女の鼻を明かしたので、
大いに警戒されてしまったのだった。
「マシンが壊れて動かないんだ。」
「替えのものを大至急送ってくれ」
「今日の午後4時までに郵便局へ持っていけば、明日中に受け取ることができる。」
そのとき、彼女は子供たちを学校へ迎えに行っている最中だった。
4時に郵便局へ着くには、子供をピックアップしてしてから直行しなくてはならない。
パッキングには3分ほどの時間しか掛けれないはずだ。
「え~、、そんなの~、、、、むりよ~、、、」
と電話口で困窮しきっている家内。
突然、
「エイプリル・フール」と
真相を告げた私。
やった。
完勝であった。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/23446-66
「最後の子羊吟味」
マタイ22章34~46節
~マタイ福音書連続講解説教66~
主イエスは、神の子羊としてその十全性を
ユダヤ人の各派閥から吟味させられている。
第一グループ(サンヘドリン)、
第二グループ(ヘロデ党)、
第三グループ(サドカイ人)からの挑戦・吟味を終えて、
今回はいよいよ最後の第四グループ・律法の専門家からの挑戦である。
それはパリサイ人の中で最も博識あると認められた、トップバッターであった。
専門的な聖書知識があったとしても、
真の宗教に至らない場合がありえることをこの箇所は教えている。
私たちは、
•分断された知識に対して、統合された聖書理解が必要であり、
•無機質の字句主義から、有機的・生命的な神把握が必要とされる。
言わば「論語読みの論語知らず」、
「聖書読みの聖書知らず」
に陥ってはならないのであり、
聖書はその書かれている主題と
目的を把握しながら統合したものとして理解せねばならない。
1.旧約聖書と新約聖書の関連性
主イエスは旧約聖書を最も大切な教えとして、
二つの聖句にまとめられた。
それは新約聖書の教えとなんら矛盾するものではない。
では旧約と新約との教えの違いとは何か?
その「最も大切な教え」(=愛)に到達するための方法なり、
到達の程度が異なるのである。
*教えを成就させる力は新約において初めて可能となった
*旧約時代には教えがあっても、人々にとり達成不能のことであった
*ゆえに「新しい契約」が待望された~ヘブル8:10、エレミヤ31:33
*すなわち「心に書き付け、律法を思いの中に入れる」ことである
*それは主イエスの復活と十字架を通じて
神が人との新しい契約を結ばれたがゆえの成就である
2.主イエスの人性と神性の関連性
メシアは「ダビデの子」であり、
同時に「ダビデの主」であると聖書が啓示している。
それは人として肉体を持ったダビデの子孫として誕生すると同時に、
人の存在を超越した神ご自身であられるとの預言でもあった。
「主」とは神ご自身を表しているものであり、
ダビデは未だ見ていないメシアをそのように読んだのである。
パリサイ人たちはメシアの人としての側面を認め政治的解放者として期待したが、
人を罪から救うところの神としての側面はなおざりにしていた。
3.ユダヤ教とキリスト教との関連性
しばしば一般的に、
ユダヤ教を凌駕する普遍的な宗教としてキリスト教が対峙され、説明されてきた。
ところが、主イエスは旧約の預言者の系譜に属し、
その契約を履行し、その預言を成就されたのである。
この両者もまた質の異なるものでなく、
連続された有機的な繋がりがあるのを見逃してはならない。
当時のパリサイ的ユダヤ教は逸脱したものであり、
本来の聖書的なユダヤ教ではない。
そして今日の一般的なユダヤ教もまたパリサイ派の流れを汲むものであり
聖書本来の教えから遠く離れている。
「聖書的ユダヤ教」(パリサイ主義でない旧約聖書の公正な理解と解釈)
がキリスト教であり、
「普遍的ユダヤ教」(ユダヤ人を超えて異邦人への福音宣教開始の時代)
がキリスト教であるといえる。
迫力の開演、Tradition
アマチュアとは見えないキャストの迫真演技と生の40名オーケストラによるミュージカル。
昨夜に続いての2回目の公演。
この日は数百台収容の教会駐車場が満車状態。
もちろん上演会場は満員御礼で、おおよそ六百名ほどは集まっていただろうか?
早めに座席を家内が確保してくれたため、
最前列の中央席というこれ以上はない特等席を得た。
長女はこの日、村人の一人としての役をおおせつかっていた。
序論
人は死んだらどうなるのであろう?
存在を失ってしまうのだろうか。
それとも霊魂(非物質的な部分)は肉体を離れて生き続けるのだろうか?
ある人は、見てきた人がいないのだから結局の所は明瞭には証明出来ない、
と結論付ける。
それは各宗教によって異なる見解・教えに過ぎず、
各宗教人による創作(フィクション)だ、と言う。
もし聖書がフィクションであるとすると仮定するなら
上に書いた推論は正しい。
しかし
もし聖書が神が人に与えた啓示の書であるとするなら
フィクションとしてでなく、多少は襟を正して聞くことも必要であろう。
約1500年間に40人程の著者によって66巻の書が記されて来た聖書。
その膨大な分量に加えてバラエティ富む文学形式満載の書。
その各66巻が互いに調和を保ち、
一つだけのテーマに貫かれ、
矛盾点や誤りが一点でも見出されていないとしたら、
どうであろうか。
聖書が神の霊感による誤りのない啓示の書であると科学的に弁証出来るが
それが本稿の目的ではない。
いずれ項を改めてそれを記すこともあるかもしれない。
今回は、
その聖書が
人の死後の世界についてどう語っているかをまとめて見たく思っている。
本稿はハーベストタイムが2012年に開催したフルクテンバウムセミナー
「聖書が教える死後の世界」
をテキストとして多いに参考・抽出させていただいている。
ハーベストタイムが発行している同セミナーのテキストブックや
CDや DVDを用いればより詳細な学びに益するはずである。
聖書の前提 : 不滅
人が死んだらそれっきりでは無いと聖書は教える。
「不滅」であると明確に教えてくれている。
死とは、霊魂(非物質的な部分)と肉体との分離のことで
その霊魂自体は消滅しない。
不滅を定義すればこうなる。
「霊魂が肉体から分離した後、
永遠に、継続して、意識を持って存在することである。」
「 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、
死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、
「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。」
(1コリント 15:53-54 )
ここでは人の肉体が不滅であるとの教えである。
この文脈では、
死後に失われていた肉体が、「朽ちないもの」「不死」のものとして
霊魂に与えられるそのときが
主イエスの再臨・教会の携挙の時であると教えている。
「屋根の上のヴァイオリン引き」
ベルビュー・ニューポート地区の恒例ミュージカルがいよいよ今週から開演。
http://www.nsoarts.com/Pages/default.aspx
3月28日、29日、30日。4月4日、5日、6日。
70人ほどのキャスト、40人ほどのオーケストラによるライブ演奏です。
長女は毎夜出演しますがShprintzeという主人公の4番目の子役としては、
3月28日、30日、4月5日の出演となります。
入場は無料で任意の自由ドネイションがあります。
本日も彼女は放課後の5時から教会へリハーサルに駆けつけ、
帰宅は10時半を回ってました。
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