この5月5日は、イスラエルの66回目の独立記念日でした。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/44871
「オリーブ山:世の終わりについて」
マタイ24章4~8節
~マタイ福音書連続講解説教71~
① 世の終わりとはあるのか
私たち人間は、解決できそうにない大きな問題を抱えている。
環境問題、原子力問題、領土問題、
人口問題(途上国での急増と先進国での少子高齢化)、
テロや戦争問題、経済格差の問題、、、
どれをとっても地球規模のものであり、混沌さを深めて来た。
すると「世の終わり」については、宗教家ばかりでない人達でも論じるようになる
この世界が終わることを聖書は明言している。
• 主イエスのことばから
* 「世が改まって人の子が栄光の座につく」時が来る(マタイ19:28)
* 「この時代が過ぎ去る」時が来る(マタイ24:35)
• 旧約聖書預言から
* メシアがエルサレムの王座から全世界を正義と公正とで統治し、
平和と繁栄とが全世界に満ち渡る
* それが「メシア的王国」と呼ばれるものである
* 代表的な聖句としては、イザヤ11:6~9
「6 狼は子羊とともに宿り、 ひょうは子やぎとともに伏し、
子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、
小さい子どもがこれを追っていく。
7 雌牛と熊とは共に草をはみ、 その子らは共に伏し、
獅子も牛のようにわらを食う。
8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
9 わたしの聖なる山のどこにおいても、 これらは害を加えず、
そこなわない。
主を知ることが、 海をおおう水のように、地を満たすからである。」
• 黙示録預言から
* そのメシア的王国は千年間続くことが始めて啓示される
* 黙示20:1~7に6回も「千年」が現れる
* 比ゆ的解釈でなく、字義通りに解釈する必要がある
② 世の終わりのしるしでないものついて
先回はエルサレムの崩壊(AD 70)のしるしが、
軍隊による包囲(AD68)であることを学んだ。
それでは、「世の終わり」にもしるしはあるのだろうか。
これまで世界の終わりを感じさせる兆候は歴史上、何度も現れてきた。
宗教界にあって、「私こそキリストだ」と宣言する人が繰り返し起こされてきた。
それらは小さな「反キリスト」(1ヨハ2:22)である。
世界の終わりを預言するノストラダムス云々も記憶に新しい。
「戦争や戦争のうわさを聞く」とあるように、
終末を思わせる戦乱と荒廃はいつの時代にも起こった来た。
日本においても、
長らく戦乱で京都が廃墟同然となった平安末期には、
末法思想が広まった。
だが、聖書は「気をつけてあわてないようにしなさい」と語る。
それらは終末のしるしとは成り得ないと言うのである(6節)
③ 世の終わりのしるしについて
「民族は民族に、国は国に対して立ち上がる」時がそのしるしである。
前節の「戦争」とは地域紛争、小規模なものであって、
ここに表現されているのとは異なる性格のものである。
ここでのユダヤ的表記は、世界戦争を意味している(フルクテンバウム)という。
それは第1次世界大戦(1914~1918)であろう。
そしてその戦後処理としての第2次世界大戦であるといえる。
これらの世界を巻き込んだ戦争は、イスラエルと非常に関係が深い。
第1次大戦ではシオニズム運動を進展させることになり、
ユダヤ人の故国復帰が加速された。
第2次大戦ではイスラエル共和国の独立につながり(1948)、
イスラエルがエルサレムを回復したのは1967年のことである。
世界の終わりの他のしるしとしては、天変地異があると教えている。
「ききん」(気候変動)や、「地震」(地殻変動)である。
それらは「産みの苦しみの初め」に過ぎないと言う。
地球が新しい世界(メシア王国)を産み出すための
陣痛の苦しみを通っている段階である。
陣痛と終末の苦しみとの関連
* 突然の破水がある~しるしである世界大戦は
突如として誰もが想定していないときに起こる
:サラエボ事件が引き掛けに第1次大戦が起こった
* 痛みの周期は時間と共に短くなる
~天変地異の起こる回数は、大戦後加速度的に増えている
* 時間とともに痛みは増加する~気候変動や地震は年々拡大している
* 出産間近がもっとも厳しい苦痛~それが大艱難時代である
;9節以後の展開
結論として、それでは私たちは終末時代にどう生きるべきであろうか
1. 「あわてないようにしなさい」(6節)
地球規模の天変地異も神にとっては想定内である
人間社会にとっても「困難な時代」(Ⅱテモテ3:1~5)がやってくる
信者は大艱難時代前に携挙によって天に引き上げられ、
主イエスのお迎えを受けるのである。
2. イスラエルは終末の進展と不可分の関係であるのを理解する
大艱難時代に突入する舞台設定はすでに整っている
反キリストとイスラエル代表(国家が建設されていなくてはならないが、
それらが同盟関係を結んで大艱難時代が始まるのである。
預言を学び、これまでの歴史がその通りに動いてきたことを知ることは、
未来の預言成就に確信を与えるものである。
3. 私たちのするべきこと(Ⅱテモテ3:14~4:5)
学んで確信した所にとどまる:聖書研究は終末を生き抜く力を与える
みことばが知恵、救い、訓練のために有益であり、信者を整える
みことばを宣べ伝える
人は死んだらどこへ行き
どのような状態に置かれるのか。
最もまとまった記事としては、
ルカ16:19~31が挙げられる。
ここで大切なことは、
この箇所が主イエスの語られたたとえ話ではないということ。
もしたとえ話なら「ラザロ」という実名は載せられていないはず。
それがユダヤ的な文学様式である。
これは主イエスが語られた実話である。
信仰を拒み続けていた金持ちがいて、
その門前に信仰者でありながら何らかの事情ゆえに
恵まれない環境におかれたラザロが実在したのである。
その死後の実在も描写している。
ルカ16:19~31
「19 ある金持ちがいた。
いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、
21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。
犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
22 さて、この貧しい人は死んで、
御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、
アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
24 彼は叫んで言った。
『父アブラハムさま。私をあわれんでください。
ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、
ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
25 アブラハムは言った。
『子よ。思い出してみなさい。
おまえは生きている間、良い物を受け、
ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。
ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、
そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
28 私には兄弟が五人ありますが、
彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
29 しかしアブラハムは言った。
『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
30 彼は言った。
『いいえ、父アブラハム。
もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、
彼らは悔い改めるに違いありません。』
31 アブラハムは彼に言った。
『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、
たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
ここから、
死後の不信者たちの状態がこの実話から明らかとされる。
①苦しみの状態に置かれる
数的の水で渇きを癒したくともそれが許されないほどの苦しみに置かれる。
②閉じ込められた状態に置かれる
その環境から逃れることはできず、
ほかの環境(パラダイス)からその苦しみの場所に移動することも許されない。
③裁きの状態に置かれる
「白い御座の裁き」まで、その苦しみの場所に置かれるが、
それは地上生涯で犯した報いであり、裁きの結果である。
④意識のある状態に置かれる。
アブラハムやラザロを知覚できたり、会話できたり、
自分の苦しみを認識できる状態である。
昨年の小学校体験入学
今年の里帰りのための航空チケットはかなり高騰している。
先日会った友人とも、
「今年はムリだよねエ」
とかいう話になった。
中学生になる長女が体験入学に意欲を燃やしているところから
彼女一人でも行かしてやりたい。
「チケットが安くなるようにお祈りするんだよ」
数日前、長女にそんな事を言って聞かせる。
もちろん、自分でも祈った。
「御心を示して下さい」
「御心なら、道を開いてください」
そして今朝、出かける前にメールを再確認すると
「緊急速報、この夏の特別料金」
ある日系旅行会社からそんな緊急メールが届いていた。
調べてみると、26%ほど安くなっていて、
直行便で$1359となっていた。
家内に緊急電話して、長女の夏のスケジュールを確認してから予約を入れる。
そのバーゲンは本日限り。
シアトル・ダウンタウンにまで出かけて私と長女の2人分のチケットを確保。
この夏も日本行きの道が開かれて、
高い山の頂上に立ったような気分。
さてこれから関係各氏への連絡をしよう。
今夜午後8時半になってから
別の日系旅行会社からの緊急メールが入った。
明日と明後日の2日間、
同様の直行便バーゲンをするようだ。
今回買いそびれた人はあと2日間の猶予がある。
なお、日本からのシアトル往復はさらに安くて
$1050程であるという。
長男のサッカー・トライアウトがあった。
日本語で平たくいうと、「入団テスト」…だが、
何だかかしこまっているような響きがする。
昨年度がセレクトチームに入団していたことが今年度を保証しない。
どんな選手でも
そのトライアウトに挑戦して再入団を果たさねばならない。
夜の7時前に会場に連れて行き、
自宅に帰って来たのは9時前となっていた。
テストの結果は明日までにコーチからの電話報告で分かるらしい。
今年初めて長女が展示をやってのけてくれました
完了して2時間後には雨が降り出して収納する事に。
今年のデビューはその2時間だけとなるのか?
毎年の行事としてこの時期、
日本のおじいちゃん・おばあちゃんが送ってくれた
こいのぼりと兜を飾ることになっている。
「この時期」といいながら、
今回は子供の日の当日になってしまった。
それも、子供らが学校から帰宅する10分ほど前に
それを思い出して、急ぎ物置へ走って準備開始。
こいのぼりを下げるロープがうまくポールに設置できないで
手間取っているときに
背後から
「ワアッ」
と肩を叩かれながら叫ぶ者あり。
いつもの長女の仕業である。
長女: 「今ので、何年?」
私: 「3年級だよ~」
それだけ私の寿命が縮まったとの「成果報告」である。
こいのぼりの習慣はあと何年続くのだろうか。
その脅かせゲームの終了よりも長く続くのだろうか。
オリーブ山から夕暮れのエルサレムを眺める
2012年秋の聖地旅行にて・オリーブ山からエルサレムを望んで
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
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http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/41370
「オリーブ山からの眺望」
マタイ24章1~3節
~マタイ福音書連続講解説教70~
オリーブ山での説教(24~25章)は、
終末(世界の終わり)に関する教えである。
マタイ福音書には5つの教えシリーズがあるが、その最終項目であるといえる。
5~7章:メシアによるモーセ律法の解釈
10章:弟子たちのユダヤ国内への宣教派遣
13章:「奥義としての御国」のたとえ
18章:教会に関する教え
この時主イエスはオリーブ山で腰を降ろし、
エルサレムの全貌を眺めながら世界の終末を見据えて弟子たちに語られた。
エルサレムの行く末と終末とはリンクされていると明言されたのである。
弟子たちはひそかに主に質問をした。
• エルサレムの崩壊と、そのしるしは?
• 再臨のときはいつで、そのしるしは?
• 終末のときはいつで、そのしるしは?
これらの質問に主は丁寧に答えられている。
さらに、「そのための準備をせよ」との教えを合わせたものが
オリーブ山での説教であるといえる。
• エルサレムの崩壊とそのしるしについて ールカ21:20~24
• 再臨のときとそのしるしについて ーマタイ24:9~31
• 終末のときとそのしるしについえ ーマタイ24:4~8
エルサレム崩壊のときについての考察:ルカ21:20~24
「20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、
そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。
いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。
22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、
異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
(ルカ 21:20-24)
1) エルサレムが軍隊に囲まれる時がそのしるしである
• ローマ軍によるAD 66年の包囲がそれにあたる
• 「その滅亡が近づいたことを悟れ」と主が警告を与えたが、
• 熱心党たちは神の守りを信じて徹底抗戦を呼びかける
• それが悲劇を招いた
2) メシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)の判断と行動
• 「山に逃げろ」「都から立ち退け」との主の言葉を実践することになる
• 68年にローマでの政変(ネロの自殺)があり、次期皇帝就任のためエルサレム包囲軍の総司令官のヴェスパシアヌスがローマに帰国する
• その時に包囲が解かれ、メシアニックジューは都を離れてヨルダン川東岸のペラに避難した
3) エルサレムの崩壊
• 70年、皇帝ヴェスパシアヌスは息子のティトスを総司令官として再度派遣し、エルサレムを陥落させる
• 「大きな苦難が望み、この民に御怒りが臨む」との預言が成就された
• 110万人が虐殺されたとの記録がある
• しかし避難していたメシアニックジューからの死者は出なかった。
• そこで「裏切り者」とのレッテルが後世に残ることになる
• ユダヤ人の世界離散のはじまり
• 「異邦人の時代」までエルサレムは荒廃が続く
聖書預言の成就の確かさ
3つのトピックスのうち、エルサレム崩壊は40年後のAD70年に成就した。
そのしるしも、様相も、結果も主の言葉の通りに実現されたのである。
それなら、他の2つの預言も成就されると考えるのが順当であろう。
世界の終わりも、主の再臨も不可避のことであり、必ずやってくるのである。
私たちの日常生活のゴールは、どこに据えるべきだろうか?
「今日が楽しければそれでいいじゃあないか」
「明日のお金さえ保証されればそれでいい」
「自国の平和と繁栄さえあれば充分ではないか」
これらはかなりの近視眼的な視野であるといえまいか?
ところが、世界の終わりという最大遠方の射程を貴方が望むなら、
いざというときにもあわてずに済む。
最大の難関問題が処理されているので、
それ以外の経済問題であっても健康問題であっても、
就職・進学といった人間の営みに関する問題であっても
余裕を持って対処できるようになるのである。
世の終わりは確実にやって来る。
その混乱と艱難から抜け出て、
主が用意されている「住まい」(ヨハネ14:3)に私たち信者は招かれている。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(ヨハネ 14:3 )
将来の行き先が確かであるとき、今の行き方が分ってくる。
それは、今の問題に対処する力となるのである。
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