オリーブ山から夕暮れのエルサレムを眺める
2012年秋の聖地旅行にて・オリーブ山からエルサレムを望んで
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/41370
「オリーブ山からの眺望」
マタイ24章1~3節
~マタイ福音書連続講解説教70~
オリーブ山での説教(24~25章)は、
終末(世界の終わり)に関する教えである。
マタイ福音書には5つの教えシリーズがあるが、その最終項目であるといえる。
5~7章:メシアによるモーセ律法の解釈
10章:弟子たちのユダヤ国内への宣教派遣
13章:「奥義としての御国」のたとえ
18章:教会に関する教え
この時主イエスはオリーブ山で腰を降ろし、
エルサレムの全貌を眺めながら世界の終末を見据えて弟子たちに語られた。
エルサレムの行く末と終末とはリンクされていると明言されたのである。
弟子たちはひそかに主に質問をした。
• エルサレムの崩壊と、そのしるしは?
• 再臨のときはいつで、そのしるしは?
• 終末のときはいつで、そのしるしは?
これらの質問に主は丁寧に答えられている。
さらに、「そのための準備をせよ」との教えを合わせたものが
オリーブ山での説教であるといえる。
• エルサレムの崩壊とそのしるしについて ールカ21:20~24
• 再臨のときとそのしるしについて ーマタイ24:9~31
• 終末のときとそのしるしについえ ーマタイ24:4~8
エルサレム崩壊のときについての考察:ルカ21:20~24
「20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、
そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。
いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。
22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、
異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
(ルカ 21:20-24)
1) エルサレムが軍隊に囲まれる時がそのしるしである
• ローマ軍によるAD 66年の包囲がそれにあたる
• 「その滅亡が近づいたことを悟れ」と主が警告を与えたが、
• 熱心党たちは神の守りを信じて徹底抗戦を呼びかける
• それが悲劇を招いた
2) メシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)の判断と行動
• 「山に逃げろ」「都から立ち退け」との主の言葉を実践することになる
• 68年にローマでの政変(ネロの自殺)があり、次期皇帝就任のためエルサレム包囲軍の総司令官のヴェスパシアヌスがローマに帰国する
• その時に包囲が解かれ、メシアニックジューは都を離れてヨルダン川東岸のペラに避難した
3) エルサレムの崩壊
• 70年、皇帝ヴェスパシアヌスは息子のティトスを総司令官として再度派遣し、エルサレムを陥落させる
• 「大きな苦難が望み、この民に御怒りが臨む」との預言が成就された
• 110万人が虐殺されたとの記録がある
• しかし避難していたメシアニックジューからの死者は出なかった。
• そこで「裏切り者」とのレッテルが後世に残ることになる
• ユダヤ人の世界離散のはじまり
• 「異邦人の時代」までエルサレムは荒廃が続く
聖書預言の成就の確かさ
3つのトピックスのうち、エルサレム崩壊は40年後のAD70年に成就した。
そのしるしも、様相も、結果も主の言葉の通りに実現されたのである。
それなら、他の2つの預言も成就されると考えるのが順当であろう。
世界の終わりも、主の再臨も不可避のことであり、必ずやってくるのである。
私たちの日常生活のゴールは、どこに据えるべきだろうか?
「今日が楽しければそれでいいじゃあないか」
「明日のお金さえ保証されればそれでいい」
「自国の平和と繁栄さえあれば充分ではないか」
これらはかなりの近視眼的な視野であるといえまいか?
ところが、世界の終わりという最大遠方の射程を貴方が望むなら、
いざというときにもあわてずに済む。
最大の難関問題が処理されているので、
それ以外の経済問題であっても健康問題であっても、
就職・進学といった人間の営みに関する問題であっても
余裕を持って対処できるようになるのである。
世の終わりは確実にやって来る。
その混乱と艱難から抜け出て、
主が用意されている「住まい」(ヨハネ14:3)に私たち信者は招かれている。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(ヨハネ 14:3 )
将来の行き先が確かであるとき、今の行き方が分ってくる。
それは、今の問題に対処する力となるのである。
ここのアバディーン・センターにはお気に入りの日本食レストランがある。
そこでは耳が痛くなるほどの威勢の良い日本語が店員間で交わされている。
聞いてみると中国人も二人ほどいて彼らは熱心に日本語を勉強しているのだそうだ。
完全に和合し、信頼しあって仕事している彼らを見るのは微笑ましい。
夕食を終えて店を後にした私を追いかけてきて、
忘れ物の本を届けてくれたのもその中国人であった。
数ヶ月前にカナダの移民政策に大変革が起こった。
数千万円を投資すれば永住権が与えられるとあって
中国からの裕福層が毎年、数万人規模でカナダに移民していたのだが
その制度が何の予告のなしに突然廃止されたのである。
永住権申請中の数万人の方々の無念のため息が聞こえてきそう。
カナダ当局のその理由として
「中国人は英語も習おうとせず、カナダ社会に同化していかない。
雇用が創出されないまま、カナダとは別個の社会を作っている。
このままではこの国が変質されてしまう。」
香港返還に伴って大量の移民が押し寄せてきた歴史にピリオドが打たれたようである。
その大量移民政策ゆえに出現したと言っていいのが
ヴァンクーバーの南方に広がるリッチモンド。
そこの代表的なショッピングモールであるアバディーン・センターへ行けば
看板に掲げられている文字は全てが中国語。
売り子さんも中国人、
モール内で人々が会話しているのを聞けば中国語ばかり。
本国と同様の生活ができるのなら
個人財産を守るためにカナダへ移民したい人々がいるのも良く分かる。
この春、イスラエルでは過越しの祭りが祝われた
人はやがて死を迎える。
肉体から霊魂が離れる瞬間である。
やがてその霊魂は再び肉体を得るときが来る。
それが復活のときである。
すでにその再臨の時に死んでいる信者なら
彼の復活はイエスの再臨の瞬間に起こる。
まだ生きているままでイエスの再臨に与った信者は
死を経ずに復活の体に変貌される。
「14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、
イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、
主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、
死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 」
(1テサロニケ4:14-17 )
では、死から復活までの間、
霊魂はどのような状態で置かれるのか?
{キリスト信者の中間状態についての考察}
①それは生前時よりも、より良い状態である
「23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっています。
24 しかし、この肉体にとどまることが、
あなたがたのためには、もっと必要です。 」
(ピリピ 1:23-24 )
②休息の状態であるといえる
「 9 小羊が第五の封印を解いたとき、
私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために
殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
10 彼らは大声で叫んで言った。
「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、
地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。
そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、
あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、
もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。」
(黙示録 6:9-11 )
③意識のある状態である
「16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、
太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、
彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。
また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
(黙示録 7:16-17)
*飢える事がない
*渇く事がない
*太陽が打つこともない
*炎熱が打つこともない
*涙がすっかりと拭い取られるときである
9階に陣取ることが出来た
滞在しているホテルで夕刻、歯を磨いてるときだった。
突然、「パチッ」
という音とともに停電。
私の部屋だけではなく、ホテル全体が停電となっているらしい。
仕方ないので、隣のビルの体育館へ行った。
そこも停電しているが、ウエイトなどの器具は使える。
だが15分もすれば、係員が停電のため建物を閉鎖すると告げてきた。
そこのホテルの全ブロックが停電していることが
建物に灯かりが見えないことから分る。
仕方ないので
隣のブロックまで車を飛ばして
ホテルのラウンジに陣取った。
ジュース1杯を注文して
そこをオフィス代わりとして使わせてもらう。
突然の停電であっても
どうにでも対策は立てられる。
ところが、世の中には不可抗力のものもある。
その最大のものとは何か?
全ての人がお手上げ状態にならざるを得ない
人間歴史最大の重要事件がやがてやって来る
と聖書は告げる。
その突然さ、
その不可抗力さ、
それに対する人の無力さ、などから
「ノアの箱舟」の際の大洪水にしばしばたとえられているもの。
そう、主の再臨である。
主イエスが再び天からこの地上に来られるときのことである。
主よ、早く来てください。
「36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。
天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、
彼らはわからなかったのです。
人の子が来るのも、そのとおりです。
40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
42 だから、目をさましていなさい。
あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」
(マタイ 24:36-42)
ベーリンハムにある入江沿いの公園にて
芝の手入れはさすがに見上げたものである
今年になって2回目の芝刈りをした。
裏庭は毎日長男とのサッカーゲームに励んでいるため
ほとんど芝は伸びていない。
むしろ土が剥き出して茶色くなっている箇所があちこちにあるほど。
それにゴールとしているゲイトの隣に垂直に伸びる雨樋が
シュートの直撃弾を何度も浴びて、ついに破損してしまった。
表庭には、たわわに伸びるタンポポ。
昨年は根から掘り起こしたのだが、今年もまた実ってくれた。
「めんどうだな~」
「なんでそんなに強い繁殖力があるんだ?」
黄色い花が咲いているときに根からの駆除をするべきだった。
すでに白い種となっている今、それに触っただけで種は飛んで新たに子孫を作る。
中学校の3学年のときだったと思う。
学級目標なるものを皆で考えて、
教室正面に張り出すことがあった。
「雑草のようにたくましく」
とかいう文句があったのを思い出した。
そう、たかが数度の失敗にくよくよするな。
これまでが不毛不作だから何だというんだ。
人生はまだ折り返し地点を回ったばかりではないか。
9回裏の逆転満塁サヨナラホームランだってあるんだ。
雑草のたくましさからの雑感。
「 6 イエスはこのようなたとえを話された。
「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。
実を取りに来たが、何も見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人に言った。
『見なさい。三年もの間、やって来ては、
このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。
これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。』
8 番人は答えて言った。
『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、
それでもだめなら、切り倒してください。』」
(ルカ 13:6-9)
いちじくの主人の言葉、
「これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。」
とは、一見厳しくて愛のないように思える。
ところが冷静になれば
それは一般社会で常日頃見聞している
もっともなことであろう。
そのもっともさに対して
あえて反論をしているのが
その番人である。
「ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」と。
その番人こそ、忍耐の限りを尽くしている主イエスである。
だからこんな私でも生きていける。
信仰者の端くれとしても、引っかかっていられるのである。
駐米イスラエル大使公邸でのペサハ(過越しの祭り)には
オバマさんも招かれたようです。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/32539-69
「子羊の反撃③~罪の目盛りの不足分」
マタイ23章25~39節
~マタイ福音書連続講解説教69~
主がパリサイ人らに対して直接、
7つの「忌まわしいもの」を糾弾している箇所が続く。
天地創造以来、偽りと反逆、流血の蓄積された罪の報いが
神から下ることを将来に見越して嘆かれた。
「神の都」であるエルサレム、「わたしの家」とかつて呼んでいた神殿が
もはや神による裁きの対象であり
「あなたがたの家」と呼ばざるを得ない段階に達したのである。
当時の人々にはいまだ建設途中の荘厳なエルサレム神殿が
崩壊して市内が火で焼かれるとは信じがたいことであったであろう。
現在の私たちにとっても、
ユダヤの民のイエスへの不信が未曾有の破滅と民族の世界離散を招いたことを、
原因・結果の因果関係から客観的に理解できる。
ところが、
人知の及ばないところでこれら歴史の進展が
神のシナリオとしてあらかじめ計画されていた
と聖書は告げる。
1) イエス時代までのエルサレム(37)
ユダヤ人は古来から遣わされた神の預言者たちを迫害し殺害してきた。
主イエスは雌鳥のように翼を広げ、その下で彼らを保護をしようとした。
記録されているだけでも、
仮庵や過越しの祭りの度にエルサレムに上って神の道を伝え、
救いへの招きを続けられた。
幾たびも「子らを集めようとした」とあるのはそのことである。
その度に頑なな拒否の姿勢をパリサイ人、指導者たちは貫いた。
わずかな少数がその翼の下に集まったが、
それがイエスを信じるメシアニック・ジューと呼ばれる人々である。
2) 異邦人時代のエルサレム(38)
近未来にエルサレム神殿が「荒れ果てたままに残される」と告げられた。
AD70 年のローマ軍による徹底した破壊と殺戮でこの預言が成就された。
陥落以来今日まで、神殿域は異邦人に支配されたままである。
それは「異邦人の時代」と呼ばれる期間であり、
今後主が再臨される時まで続く。
現在はその期間に入る。
3) イエス再臨時のエルサレム(39)
将来、「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」(詩篇118:26)
預言が成就するときがくる。
強烈に主を拒絶したあのユダヤ人の全てが回心して
その主イエスを待望する瞬間がやってくると言うのである。
聖霊が「恵みと哀願の霊」として注がれることによる
ユダヤの民族的な回心(ゼカリヤ12:10)である。
その時、民の哀願に応えて主がオリーブ山に地上再臨される(ゼカリヤ14:4)
その後、エルサレムにて千年王国が樹立され
ダビデの座から世界を統治されるのである。
皇居に天皇を訪ねたオバマさん
我が家の玄関前のツツジもまもなく満開です
今日は家族の皆が休日としてオフを楽しみました。
長女は昨夜からいとこのサマンサが泊りがけで遊びに来ていて
朝から彼女とショッピング。
女の子にとってはサイコーのアクティビティのようで
彼女らをショッピングモールへ連れて行く。
長男は昨夜8時半までのサッカー・アカデミィで使い果たした体力を
回復するため?
タブレット・ゲームに打ち込んでいました。
私は予定されていたタコマでの家庭集会がホストのご都合で
急にキャンセル。
今週まで溜まりに溜まってしまった本稿を執筆。
午後からは長男とサッカー対戦。
今回も2回戦して、何れも私の完敗でした。
妻は、サマンサを空港まで送り届ける大切なミッション。
14歳の彼女は初めて一人だけのフライトでカリフォルニアまで帰ります。
そんな時は付き添いとして搭乗口まで妻は侵入できるのですね。
ゆっくりと過ごした日でも
すでに夕食を終えると外はもう暗くなっています。
窓からは数種類の小鳥のさえずりが聞こえます。
「おやすみなさい」といっているのでしょうか。
皆様も良い夜をお過ごしください。
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