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飛鳥時代へタイムスリップ

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大化の改新の談合があった山奥の... 大化の改新の談合があった山奥の場所 石舞台。 築造は7世紀始め頃と... 石舞台。
築造は7世紀始め頃とされる
かつてはこの入り口をはじめ、全... かつてはこの入り口をはじめ、全体が表土に覆われていました 石室内部から入り口を眺めて 石室内部から入り口を眺めて 飛鳥時代へタイムスリップ 順序が入れ替わるが、談山神社境... 順序が入れ替わるが、談山神社境内にて。
世界で唯一の十三重塔。
藤原鎌足の追福のため息子たちによって建てられました(678年)
大兼久先生ご夫妻に奈良盆地にある名所を案内していただきました。

先ず向かった先は、談山(タンザン)神社。

別名「談(かたら)い山(やま)」とも呼ばれているその場所は、
読んでその字の如く、ある談合が行われた場所。

権勢を欲しいままに壟断している蘇我氏を撃つべく
中大兄皇子(天智天皇)と藤原鎌足が神社境内裏山で密かに密会したのだそうです。

この談合により、645年、天皇の御前で中大兄皇子が刀を持って蘇我入鹿を打ち首にしました。

世にいう大化の改新で、中央統一国家や文治政治の完成という日本史の新しいページを開いたとされます。


続いて行ったのは、
そこから約4キロの所にある「石舞台」と呼ばれている
横穴式石室のある飛鳥時代の古墳。

被葬者は不明とされるが、
6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子という説が有力らしい。
先ほどの大化の改新で粛清された豪族だ。

石室に入って見ると、周囲を覆う石の巨大さに圧倒される。

特に天井部にある二つの巨石は南側が77t、北側が64tもあるそうな。

飛鳥時代の日本人もエジプトのピラミッド建造に負けてなかった。

#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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インマヌエル王寺キリスト教会を訪問

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王寺教会の大兼久ご夫妻 王寺教会の大兼久ご夫妻 極上の日本料理がここにも! 極上の日本料理がここにも! 「文子先生。それだけ働いて燃え... 「文子先生。それだけ働いて燃え尽き無いのはどうしてですか?」と私はお聞きしました。
「寝ることです」とのお答えでした。
私もいい線行っているってことね。
奈良県の王寺駅に降り立つとすでに大兼久師が迎えにきてくださっていた。

教会へは車で5分ともない距離。

大兼久師は私の神学校同級生で
6年ほど前の札幌での日本伝道会議以来の再会となった。

奥様の相変わらない美味しい手料理をご馳走となった後は
定例の祈り会。

そこでは賛美と祈りとが捧げられた後に
病と闘っている方、試練に遭われている方々のための課題、
それに最近の近況報告の中から神様から教えられていることなどもシェアされる。

ある50代と見られるご婦人のお証に感銘を受けたのでお分かちしたい。

かつて仕事をバリバリにこなしていた頃、トラクト配布がもどかしく感じたそうだ。

「トラクト」とは聖書の教えが分かり易く載せられた小冊子で
教会ではこれを近隣地域に戸別配布し宣教活動としている。

しかしその反応率はゼロに近く、
時間対効果からしたらごく小さなものとなる。


「私はかつて時間の無駄のように感じていたのです。

今は、私の大切な時間を神様に捧げるつもりでしています。

パウロが宣教旅行したような大きな効果は望めませんが、

私に出切る事をすることで、神様にお仕えすることが嬉しいいのです。」


彼女が行き巡った地域はピンク色のマーカーで会堂入口の地図に示されていて
近隣地域が祈りの対象であり、神の言葉が種蒔きされているのが一目瞭然である。

華々しい成果だけが注目を受けやすいのは、
キリスト教会も他の世界と同様である。

彼女から奉仕の原点の様なものを教えていただいたような気がする。



#救済

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関ヶ原

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関ヶ原 犬山城。 江戸時代以前の現存天... 犬山城。
江戸時代以前の現存天守閣四つのうちの一つです。
天守閣から東を見渡します。 目... 天守閣から東を見渡します。
目の前の木曽川が伊勢(左側)と美濃(右側)の国境となります。
丸山(黒田隊)と笹尾山(石田隊... 丸山(黒田隊)と笹尾山(石田隊)の前面の平野部が最も激しい死闘が繰り返された激戦地です。 石田三成の布陣地。 目前の平地... 石田三成の布陣地。
目前の平地に両軍10万を越える段軍勢が乱闘を繰り広げたのです。
午前8時頃濃霧が晴れて視界が開... 午前8時頃濃霧が晴れて視界が開けてきた。
井伊直政率いる赤備え一団が抜け駆けをして南天満山前方に展開する宇喜多秀家軍に突然発砲を開始して決戦の火蓋は切られた。同時に戦闘開始を告げる狼煙が丸山(黒田隊)、笹尾山(石田隊)、北天満山(小西隊)から立ち上る。
南天満山の大谷吉継の墓。 小早... 南天満山の大谷吉継の墓。
小早川秀秋の裏切りに呼応した松尾山麓の赤座隊、小川隊、朽木隊、脇坂隊の大群を支えきられずに自害した。


犬山城を立ち名鉄線で岐阜までの間、計画通りには進軍出来なかった。

長良川鉄橋上で信号待ち、次の駅で乗り換えとなり、
このままの進軍速度では関ヶ原のボランティア・ガイドとの
待合せ時間に間に合わなくなる。

大垣駅でも乗り換えの立ち往生があった。

この駅から徒歩15分の所に位置する大垣城は数年前に訪れている。

その大垣城を石田三成を頭とする西軍が
関ヶ原に向けて進発したのが
1600年9月14日午後7時頃と言われている。

今日JRなら14分で終わってしまうも、
当時は東軍に気づかれまいと、
灯火統制や
馬にもくつわを喰わせて静粛統制された
数万の人員が粛々と雨の中を進んだ。

ようやく関ヶ原に到着したのが翌日の午前1時頃。

列車の左手前方に南宮山が見えてくる。
西軍はこの南宮山の南麓を大きく迂回したが、
列車は関ヶ原を東西に貫いている当時の東山道をなぞりながら直行を続ける。

西軍の動きを探知した徳川家康は15日午前2時頃に進軍命令を発して、
先鋒部隊が関ヶ原に達した世の明け方頃には
すでに西軍は布陣を完了していた。

南の南宮山が北側に広がる伊吹山山系に接しようとしている狭隘部が
関ヶ原の東側入り口となっている。

その入り口に達して直ぐに左手に見える低い丘陵が桃配山で、
家康が合戦初期に本陣を構えた場所。

既に列車は東軍の4人の武将たちの陣地を通り過ぎている。
関ヶ原から大垣城方面に有馬富、山内一豊、浅野幸長、池田輝政らの諸隊である。

これら諸隊は最後まで合戦に参加していない。

南宮山頂上に陣を構える西軍の毛利秀元・1万5千の大部隊に備えるためだ。

さらに南宮山の北麓には吸い付くようにして
西軍の安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親らが睨みを効かせている。

関ヶ原に入って周囲を見渡してみると
なるほどそこは四方を小高い山や丘陵地に囲まれた盆地である。

この盆地の東西を東山道が貫いていることは先ほど述べた。
さらにその中央部で北西に北陸街道が、東南に伊勢街道が伸びている。

諸国への街道の交差点であるそこには、
往古の時代、不破の関が置かれていたのは頷ける。

さて、予定よりも1時間ほど遅れて(もちろんその旨はお伝えしている)
歴史民浴資料館へ行って見るとガイドのN氏は待っておられた。

先ず私たちが向かったのは、
合戦の開始を告げる狼煙が上がった関ヶ原北端の丘陵地点である丸山。

そこには東軍の黒田長政と吉田重勝が布陣した。
東軍で唯一の丘陵の上に陣を構えた部隊である。

そこの直ぐ目の前が関ヶ原の激戦地となる。

四方を山に囲まれた関ヶ原全容を見渡して言えることは
明らかに西軍の布陣は圧倒的に有利な地理条件にあるということ。

山の麓に鶴翼の体勢に陣営を広げる西軍に対して
東軍は何れもその下方部に位置する平野に陣を構えた格好となっている。

東軍は言わば、
なだらかな丘陵を下から登山しながら刀や槍捌きをせねばならない。

明治政府のお雇い軍事顧問にドイツ人のクレメンス・メッケル少佐が
関ヶ原に立ち、両軍配置図の説明を受けた時、
即座に西軍の勝利を断言したとの逸話が伝わるが、
素人でもその判断はできる。

関ヶ原を覆う濃霧が晴れ渡った午後8時頃から開戦となり、
西軍有利のまま、一進一退の攻防が約4時間も続く。

正午過ぎ、決戦を決定的に方向付ける異変が起こった。

それまで松尾山山頂でだんまりを決め込んでいた小早川秀秋の裏切りである。

西軍有利に進展していたこれまでの戦いが、
一気に形成逆転となる。

松尾山を駆け下りた小早川隊1万5千6百は、
南天満山に隣接している大谷吉継、
その北の宇喜多秀家、小西行長らを壊滅させながら
鶴翼の最左翼に位置する石田三成に迫る。

迫ったその手前には島津義弘、豊久らがいたが、
彼らは夜明け前の奇襲作戦を石田三成に採用されなかったことに
腹を立てて戦いには参加せず、
傍観を決め込んでいた。

彼らは迫り来る津波のような東軍を前に退却せねばならないのだが、
ここで薩摩隼人の意地を見せるべく無謀にも家康本陣前の敵前突破を敢行。

1千5百の島津隊が伊勢街道を敗走して薩摩まで達したとき、
義弘の手勢は80騎余りとなっていたという。


さて、関ヶ原のガイド案内のことである。

黒田陣地の後、激戦地に立ち、それから
石田三成陣地の北天満山の山麓まで登った。

その後、西軍が崩壊して行った逆のコース、
つまり鶴翼の左端から大谷吉継陣地までを
3時間程かけて歩きながら説明を受けた。

ガイドと一緒に半日で鶴翼に広がる西軍陣地を踏破したことになる。

次回訪問の時には、
1日じっくりかけて東軍陣地をご案内いただきたく願っている。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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岐阜城

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何やら新しいデザインとなってい... 何やら新しいデザインとなっていた新幹線 金華山の山頂に立つ岐阜城 金華山の山頂に立つ岐阜城 岐阜城から長良川を見下ろします 岐阜城から長良川を見下ろします 岐阜駅前に立つ、織田信長像。 岐阜駅前に立つ、織田信長像。 ビジネス関係の工場見学と研修の... ビジネス関係の工場見学と研修の貴重なときも持たせてもらいました。
金華山に頂上に立つ岐阜城。

その裾野を長良川が洗っている。

宿舎はその長良川に面している。
部屋の窓から目の前に岐阜城も、鵜飼いの船着場が見える。

朝一番の入浴と朝食を終えて友人が迎えに来てくれるまでの小1時間ほどを利用して
岐阜城を侵攻?することにする。

金華山山麓、織田信長の住居跡から頂上までの山路が
ハイキングコースとして整備されている。

「瞑想の小道」と洒落た名の付けられた本道は
城まで所要時間が60分と案内板にあり、
その本道から脇道が最短距離で頂上まで突き抜けているのが
「馬の背道」で所要時間は40分。

もちろんその「馬の背道」を選ぶ。
なるほどその名の通り馬の背ほどの狭い幅の断崖を
胸が岩地に接せるほどの急勾配の難所が続く道であった。

時間に追われていた私は、45分ほどで往復したことになる。


友人が経営しているビジネスの社屋で丸一日を過ごした後、
美濃国から木曽川を渡って伊勢国まで友人に送ってもらう。

その夜は木曽川のほとりに構えている
犬山城の近くに宿を取っているためである。

ここで岐阜県でなく美濃、
愛知県でなく伊勢と
あえて旧分国名を使うのには理由がある。

戦国時代の史跡巡りを意識していて、
そのため私の視界の中ではビルや自動車といった近代的な所産は消えて行き、
5百年ほど前の情景を目にしているからである。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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川崎の街並み

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川崎駅東口のアゼリア。 毎時ホ... 川崎駅東口のアゼリア。
毎時ホワイトクリスマスが演奏される
川崎の銀柳街 川崎の銀柳街 川崎駅前大通り 川崎駅前大通り 川崎駅前東口 川崎駅前東口

川崎は私が渡米前2年間ほど過ごした所。
しばらく散策してセンチメンタル・ジャーニーと相成った。
#旅行

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川崎は第二の故郷

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先ずはイスラエル聖地旅行の同窓... 先ずはイスラエル聖地旅行の同窓会 川崎の実家にて 川崎の実家にて
日本滞在初日は川崎へ。

渡米前2年間ほど川崎教会で奉仕させて頂いたことで
私の日本での故郷の一となっている。

たまたまこの日は教団の理事会が開かれるというので
各地の先生方が川崎へ集まっておられて懐かしい再開の祝福となった。

2年間 生活を共にさせていただいたシェルホン宅へも表敬訪問。

第二の母親ともいうべき、美智子先生とも再開できた恵みに感謝。
#旅行

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日本へ

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日本へ 羽田空港ロビー、竹にイルミネー... 羽田空港ロビー、竹にイルミネーションが輝く トイレ洗浄システムが日本へ来た... トイレ洗浄システムが日本へ来たことを印象付ける

今年春から開設した、Delta航空の羽田ーシアトル往復直行便。

6月帰国の際は満席であったが、この度は空席が目立つ。

3シートを一人で独占して横になって休めてしまう。

前後を見回しても誰もが2ないし3シートの座席ブロックを
一人で独占していた。

羽田到着予定は翌日の午後11時であるが
実際に飛行機が着陸したのが丁度10時。

この時間帯なら税関審査を終えたあと、
午後11:05の横浜方面行き特急最終電車に充分間に合った。

今回は弟に送迎を依頼していたので、
ギリギリのスリルを味わうことは無かったが。
#バイク #ボート #車 #鉄道 #飛行機

ワオ!と言っているユーザー

11月オーナー会

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11月オーナー会


本日のオーナー会は、ベルビューのダウンタウンにあるオフィスにて。

講師はファイナンシャルプランの専門家で、生涯に渡る視点からお話して下さった。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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アガペー

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アガペー
義父は段々弱って行く。

アルツハイマーと脳血栓を併発してナーシング・ホームに
入居してからすでに1年以上が過ぎた。

子供達の様子や
昨夜は寒かったのでウサギを室内に入れたことなどを話す。

しばらくすると義母が現れて夕食をサポートする。

自力では食事もできず、話もできない義父。

その義父は私たち家族に大きなレッスンを与えてくれている。

人の価値は、何ができる・できないの評価から決められない事を。

毎日2回の食事サポートを含めた義母の健診的な介護から、
アガペー(愛)とはどういうものであるのかを。

聖書の教える「神の愛」はアガペー。

それは見返りを求めないで、
自らを与え尽くすもの。

#暮らし #生活

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交通渋滞

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交通渋滞

ミュージカル・オーディションで受け入れられた長女は
週に4日間の練習が今日から始まった。

彼女をエバレットに連れていかねばならないのだが、
夕刻のI405北路は渋滞が酷すぎる。

日本と違って電車のないここでは、
どんな習い事でも車で送迎せねばならない。

最初の一回目を終えて、
良いインストラクターや友人たちに恵まれたようで充分に楽しんだようだ。

往復数時間にもなる交通クレジットをしっかりと挽回してくれよ、
あけみちゃん!

#バイク #ボート #車 #鉄道 #飛行機

ワオ!と言っているユーザー

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