1か月ほど前の栄光教会にて。
中央前列・私の前に創設者の熊井牧師。
その右となり、左手に聖書を抱えているのが在りし日の
ハワード井上牧師です。
この日はカークランドにある栄光キリスト教会にお邪魔してきました。
この6月から毎月、礼拝でお話をさせていただいているのです。
先週、驚きの知らせが届きました。
栄光教会で協力牧師をされておられたハワード・井上先生が急に天に召されたのです。
いつも笑顔と冗談を絶やさずに人々を明るくしてくれた先生でした。
そして何事においても率先垂範される働き者でもあられました。
この地上で再びお会いできないのは寂しい限りです。
しかし私たち信者には確かな希望があります。
今や天にて不自由な肉体を脱ぎ去って、
愛する主イエスとともにおられるのです。
そればかりか、古今東西のクリスチャンたちと
賑やかな交流を楽しんでおられることでしょう。
やがて私もまたその交流に入る時があるのです。
「死」は決して敗北でも悲劇でもありません。
勝利の凱旋へと移行するためのトンネルのようなものと言えるでしょう。
井上先生。
これまでいただいた励ましと勇気をありがとうございました。
(コリント書の引用)
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
(1Co 15:55-58 JAS)
エルサレムを見下ろして
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/1017
「メシアの再臨と統治」
ゼカリヤ9章10~17節
~ゼカリヤ書連続講解説教 13~
9章は、世界を征服する二人の王について預言されています。
一人は、アレクサンダーで、1~8節。
もう一人がメシア(キリスト)で、9節にあります。
①気づかずに読み過ごしてしまいます。
9章に歴史を二分する重大事件、
世界の王の進軍が預言されていると気づく方はまれでしょう。
何が書いてあるか分からないまま、
わたし達は多くの場合、読み過ごしてしまいます。
そして何となくわかるような気のする1節を取り上げて、
そこに自分なりの意味付けをして「恵まれた」とする読み方に終始してしまいます。
私が長い間そうでしたし、
今でもその癖から抜けてないかもしれません。
注意深く、BC520年ころのユダヤ的視座からテキストを読解する努力をするならば宝のような預言が隠されているのを発見します。
心は神の預言の確かさに喜び、
この世界が神の統治のもとにあることを再確認するのです。
②正確な預言に驚くばかりです。
アレクサンダー大王のパレスチナ侵攻はBC332年です。
ゼカリヤはそのはるか以前、180年ほど前に預言しています。
その征服者は北から南に下り、シリア、フェニキア、
ペリシテの町々を蹂躙して進み、人々を震え上がらせる預言です。
その一つにツロの町があります。
それはアッシリアやバビロンの包囲にもかかわらず落とされることのなかった
難攻不落の町ですが、その高慢さが神のさばきを受けるとあり、その通りに実現してしまうのです。
沖合の孤島に城壁を構えている町をどのように攻め落とすか、
その攻城方法と直接崩壊となった要因まで預言の通りであったことが考古学的発見から裏付けられています。
さらにメシアであるイエスのエルサレム入城は降ること、
5百年ほどになります。
入城方法とその際の人々の歓迎ぶりまで、
預言はことごとく成就してしまいました。
あまりの正確な的中に、聖書の霊感を信じない学者は
ゼカリヤ執筆年代を後代に想定しようと無理をします。
しかし、執筆年代を変更させる合理的・論理的根拠に欠けるし、
主イエスの時の預言成就以降にまで引っ張る学者はいないのです。
③二人には対象となる点があります。
アレクサンダー大王と主イエスとを比べると類似点と相違点があるのに気づきます。
アレクサンダー、当時知られている古代世界の大半を席巻し、征服した王です。
そして彼のギリシア文化を世界中に広め、世界を一つにまとめ上げてしまいました。
わずか10数年間の間に。比類ない大王です。
その統治拡大方法は殺戮と隷従であり、人々を恐怖のどん底に陥れました。
イスラエルの人々の祈りに答えた神は、彼がエルサレムを攻略することを赦さず、
ギリシア軍は素通りしてエジプトへと降って行くのです。
一方、主イエスもまたある意味で世界を征服した王です。
キリストを王とあがめ、信じる人々は世界中に広がって
20億人とも30億人とも言われています。
彼の教えに信奉する指導者らによって、この世界は改良、改善されて来ました。
人権思想や平和や平等という民主主義の国々を生み出したのこととキリスト教が深い関連にあることを認めない学者はいないでしょう。
そのイエスが、先ずユダヤ人の王としてエルサレムに進軍した時のことです。
人々は大喜びで迎え入れ、子供たちまでもが賛美して踊りながら歓迎したと
新約聖書は記録しています。
人々を恐れさせ、殺し、圧政を敷いたアレクサンダーに対して、
人々を愛し、赦し、自らは十字架で死を遂げられた主イエス。
あなたにとってのヒーローは
どちらの王でしょうか。
さらに紀元30年、今から約2000年ほど前に
エルサレムに入城された主イエスは、
再びこの地上においでになられます。
その預言が10節以降のものです。
その時には戦乱の中で天から降臨され、
信仰のイスラエル人を守り、救います。
そして不信仰の世界帝国の軍隊を打ち破って後に、
エルサレムにて王座に坐されます。
そこから世界中を統治されるのです。
初めて世界には恒久的で完全な平和と繁栄が訪れるようになります。
この話は貴方にとって夢物語に聞こえますか?
ゼカリヤがBC520年ころにこの書を書き記したとき、
人々はツロをはじめ世界中を席巻する王の登場について疑ったでしょうね。
エルサレム入城の王が、正しい方、柔和で、救いを賜る方であり、
人々が喜び叫んで歓迎するとはいつのことかさっぱりわからなかったでしょうね。
現在の段階で、9節までは実現しているのです。
10節以降も実現すると考えるのは理屈に合いませんか?
神の言葉はその時が来れば、必ず実現します。
先ほど武道館でのフランクリン・グラハムの
セラブレーション・ラブをライブで視聴。
いや〜、父君を彷彿とさせる単純で明快なメッセージに圧倒されました。
小学生にも理解できる上に、
大学教授がうなされるほど胸に刺さるメッセージです。
父君に勝るとも劣らない御霊による語り口!
世界的なミュージシャンによる踊りと賛美は、
セラブレーションの名にふさわしく、魂を高く引き上げるものがあります。
その場にいない事が残念ですが、こうしてライブで参加出来るのはうれしい!
この土曜の午後6時からと日曜の午後3時からの大会に
日本の皆さん、是非とも参加してください。
関東圏以外の方はライブ中継をインターネットで視聴出来ます。
http://celebrationoflove.tokyo
この後の大会はシアトルでは金曜の未明、、、、
えーっと、夜中の12時半からになるけれど祈りつつ私も参戦です。
スタッフの皆さん、ご愛ろうさまです。
川崎教会の佐藤兄、長尾姉らをコーラス隊で、
川崎南部教会の美嗣先生を会場案内係にお見受けできました。
感謝!!
立ち寄ったNewport 図書館も停電中でした
先週からシアトルは雨、雨、雨、、、
これがノースウエストの通常なんでしょうが、
はやりお日様がお顔を出してくれないというのはつらいですねぇ。
その上、数日前は強風のため市内の所々が停電と相成りました。
友人宅のカークランドでは市の半分ほどが丸一日、電気なしだったようです。
拙者宅では道路に出したGarbage Can(大型のゴミ箱) が倒されただけで、
電気は大丈夫でしたが。
裏庭に飛び散った枯葉を集めるのは、かなりの重労働となるんです。
しばらくそのままに放っておいたら案の定、家内が掃き仕事をしてくれていました。
彼女が庭仕事は苦にならないのは父譲りなのでしょう。
最近ジムへ通っていない彼女のためにあえて掃除をしなかった私って、
はやり愛のある夫ですね。
本日はシアトル・オーナー会の年次総会がありました。
ほぼ総員の15名ほどが集い、
年度の予算、計画、活動方針を話し合うことが出来ました。
今回は会議そのものよりも、
夕食を皆さん楽しみに。
(私だけだったかな?)
夕食はベルビューに開店したばかりのラーメン屋さんから取り寄せ。
そのラーメン屋さんは数週間前、
オーナー会メンバーのGanghoさんがプロヂュースしたもの。
以下、Ganghoさんからの紹介です。
「店名は、Ramen Yoshiで11月3日にグランドオープンしました。
名古屋の人気ラーメン店3社と吉田ソースのコラボ店で、アメリカ第一号店となります。
日本のラーメン職人が作る本格ラーメンを食べることが出来ます。
是非お時間ある時に、ご来店下さい。
お店の情報は以下の通りです。
Ramen Yoshi
14339 NE 20th St #E, Bellevue, WA 98007
営業時間:月~金 11時30分~14時30分、17時30分~22時
土 11時30分~21時
日 休
皆様のお越しをお待ちしています。」
https://www.facebook.com/RamenYoshi/
とんこつラーメンを戴きましたが、
コッテリしたスープにしこしこ食感の麵。
味もなかなかものです。
ここ最近は、ベルビューに日本的なラーメン店が開店ラッシュ。
Ganghoさん、ラーメンの配達までありがとうございました。
次回はお店にまで伺います。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
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「わたしに帰れ」ゼカリヤ1章1~6節
~ゼカリヤ書連続講解説教 1~
「ダリヨスの第二年の第八の月に、イドの子ベレクヤの子、
預言者ゼカリヤに、次のような主のことばがあった。」 (ゼカリヤ 1:1 )
このペルシア王のダリヨスの第二年とは、BC.520であることが分かっています。
ゼカリヤという人物を紹介する際、二世代前の祖父からの系図が記されてますが、これは典型的なユダヤ的表記です。
そしてこの三世代の人名の中に、
ゼカリヤが本書で伝えたいメッセージの大筋が隠されていると言えます。
イドとは「彼の時」 という意味。
ベレクヤは「主は祝福する」 。
ゼカリヤは「主は覚えておられる」 。
ユダヤの人名にはどれも意味があり、
多くの場合、その人物を読み解くカギとなるものです。
ここでは、本書に一貫している神の行動原理が読み取れます。
「神の時が来たなら、神はイスラエルを祝福してくださる。
神はご自身の契約を覚えておられる故に」
BC.538 年、クロス王はバビロンを滅ぼし、
新たにペルシア帝国を建て上げました。
その時、捕囚となっているユダヤ人に解放令を発し、
故国に帰ってエルサレム神殿を再建するよう命じます。
以来、ゼカリヤ登場まで約18年が経過しましたが
、神殿の完成を見ることなく放置されていたのです。
帰還民たちは自分たちの生活再建が進まず、
神殿を顧みる余裕がなかったからです。
そんな世相にあってゼカリヤは神殿再建のビジョンを人々に語り、
再建事業を再開させます。
70年ほど前、先祖たちは神のさばきゆえにバビロンに滅ぼされました。
その罪を今の世代が負わずとも好いのです。
神はこう言われます。
「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる」
人々は悔い改めに導かれ、神殿建設にも着手します。
ところが後日、神殿は建設したものの夢見ていたような生活の再建と豊かさは戻ってきませんでした。
失望が広がろうとする時に、
ゼカリヤはメシアが到来して統治する平和と繁栄の王国を指示します。
「将来への希望」
~これこそ、現在の苦境を乗り越えていくエネルギーとなるものでした。
「神の時」はやがてやってくる。それはメシアの到来です。
その時、「神は祝福してくださる」のです。
繰り返し預言者が約束した喜びと平安にあふれる国に住む日がやってきます。
なぜなら、「神は覚えておられる」からです。
何を神は覚えておられるというのでしょうか。
アブラハムと交わした契約です。
この契約ゆえに神は行動を起こされます。
シアトルの空港に着陸するとそこいらじゅうが水浸し。
窓も水滴、滑走路も水たまりができてそこへ雨が突き刺さっている。
快晴で陽光輝くカリフォルニアから
雨のシアトルへ帰ってきました。
まるで別世界。
この後、家内が空港まで迎えに来てくれる予定です。
フェイスブックの友人がスティーブ・ジョブスの臨終での言葉を
どこからか拾ったようですので、紹介します。
現在、図書館から借りだしたジョブスの本を読んでいる所で、
半分ほど読み終えたところ。
イノベイションを進める上でどこに注目すべきか、
という点を教えてくれました。
ビジネスで成功するためにも信念や忍耐、勇気といった資質も
大切な点であるのも良く分かります。
ただ彼を知る人は、ジョブスには変質的なところがあったという。
そのジョブスが臨終の床でたどり着いた境地は、
成功時のそれとはかなり違うようです。
ただ、この文書には後日談があって、
どうもジョブス本人のものではなく偽物であるとのうわさがあるようです。
しかし、ジョブスが書いた本物であるかどうかは、
私には大したことではありません。
この文書によって、成功の絶頂にいる人物には見えていなかった世界を考えさせてくれたことに価値を見出しているからです。
以下がその文書です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
STEVE JOBS Last Words -
スティーブジョブス最後の言葉
I reached the pinnacle of
success in the business world.
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
In others’ eyes, my life is an epitome of success.
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。
However, aside from work, I have little joy.
In the end, wealth is only a fact of life that
I am accustomed to.
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
At this moment, lying on the sick bed and
recalling my whole life,
I realize that all the recognition and wealth that
I took so much pride in, have paled and become
meaningless in the face of impending death.
病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
> In the darkness, I look at the green lights from
the life supporting machines and hear the
humming mechanical sounds,
この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。
I can feel the breath of God and of death drawing closer…
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。
Now I know, when we have accumulated
sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue
other matters that are unrelated to wealth…
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。
Should be something that is more important:
もっと大切な何か他のこと。
Perhaps relationships, perhaps art,
perhaps a dream from younger days ...
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。
Non-stop pursuing of wealth will only turn
a person into a twisted being, just like me.
終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。
God gave us the senses to let us feel
the love in everyone’s heart, not the illusions
brought about by wealth.
神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた幻想ではなく、
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。
What I can bring is only the
memories precipitated by love.
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
That’s the true riches which will follow you,
accompany you, giving you strength and light to go on.
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。
Love can travel a thousand miles.
Life has no limit. Go where you want to go.
Reach the height you want to reach.
It is all in your heart and in your hands.
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、
全てはあなたの手の中にあるのだから
What is the most expensive bed in the world? -
"Sick bed" …
世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。
You can employ someone to drive the car for you,
make money for you but you cannot have someone
to bear the sickness for you.
あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。
Material things lost can be found.
But there is one thing that can never be
found when it is lost – "Life".
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。
人生だよ。命だよ。
When a person goes into the operating room,
he will realize that there is one book that he has
yet to finish reading – "Book of Healthy Life".
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。
「健康な生活を送る本」
Whichever stage in life we are at right now,
with time, we will face the day when the
curtain comes down.
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
Treasure Love for your family,
love for your spouse, love for your friends...
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。
Treat yourself well. Cherish others.
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。
サクラメントを1時間ほど南下してサンフランシスコへ。
通常なら行動範囲はこのあたり一帯となる。
今回はどうしても来てほしいという電話がある人から数日前に入り、
Palo Altoまでさらに南下することに。
オークランド空港側のホテルから1時間弱ほど。
そこへ行って見ると旧友たちが数多く集まっていて私を待っていてくれた。
数年ぶりの再会の友もいたりして話も弾む。
2時間ほどの滞在となったか。
その人から電話が入ったとき今回の予定にはない訪問先だったので、
当初、1カ月ほど待ってもらうようにお願いした。
ところが、神様に祈りつつサクラメントでの仕事を続けていくうちに
どうもそこへ行くような促しを感じて「この時間帯に行けます」と私から電話連絡。
結果はお互いにとって大成功となった。
彼らはどうしても私を必要としていたし、大勢の方々からのまとまった仕事が入ったため、移動時間を考えても大きな成果となった。
スケジュールはあらかじめ基本を決めておいたとしても
自身に関するイレギュラーな出来事やトラブルをはじめ、
他者からの注文や依頼は避けがたいもの。
凝り固まった考えを和らげ、柔軟さが必要なんだな~と学びました。
いつでも主イエスに心を広げ、
主の御心がどこにあるのかをへりくだって求めていくなら主は知らせてくださいます。
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