ホサナキリスト教会ではこの日、
新年会として特別な礼拝プログラムと持ち寄りでの愛さん会が持たれました。
「さめよ。さめよ。
力をまとえ。シオン。
あなたの美しい衣を得よ。
聖なる都、エルサレム。」
(イザヤ52章1節)
礼拝説教では同章1〜12節から
次の3ポイントをお話しさせて頂きました。
❶なぜエルサレムは「聖なる都」と呼ばれるのか
❷エルサレムに住む住民とは誰のことか
❸エルサレムへ民を先導し、しんがりとなられるとは誰か
愛さん会では皆さんが持ち寄った手作りの料理を堪能しました。
ことに今年イスラエルで正月を迎えた私には
「正月」が巡ってこなかったのです。
お餅やカズノコを食べた時、
ようやく私の中で2016年が明けてお正月がやってきました。
そして大型モニター2台に写真を映し出しながら
イスラエル旅行の報告をさせていただきました。
私の使っているiPhone 、PC、プロジェクターをそれぞれ接続させるために
集会が始まるまで色々と試しながら悪戦苦闘していたのです。
数時間かけても接続出来ず、編集した写真はファイルの中で順序が勝手に乱れ
ほとんどパニック状態となりました。
そんな私の数時間のもがき、苦闘が
たった一つのコネクターで瞬時に解決されてしまったのです。
写真撮影に使用したiPhone を
すでに設置してあるケーブルにそのコネクターに繋げるだけ!!!
1分で解決してくださった石原さん、
貴方は凄い!
魔術師です!
新年会は、恵みあふれる宵となりました。
日本式の味覚とともに聖霊によるみ言葉の味わい
主にある交わりを楽しませてくださった
私たちの主イエスと皆様に感謝します。
本日はマルチン・ルーサー・ジュニア記念日として
米国では祝日でした。
私は基本的に月曜日を休日としています。
月曜日が祝日と重なっていよいよ休日モードに突入です。
そこで近所のスタバへ行って
休日を楽しんじゃおう、と考えました。
本やノート、スケジュール帳をカバンに詰め込んで
休日気分に強制的に自らを仕立て上げようと。。
集中力が維持できたのは2時間がいいところ。
店内は換気が悪く、
淀んだ空気ではどうも調子が上がって来ない。
どのテーブルも満席で
試験勉強している学生や
サッカーゲーム帰りの少年たちに
おしゃべりに夢中の中年男女たち、、、
平和を満喫している一時でした。
Lafayette にて。Ohyama Sushi.
韓国語の飛び交うカウンター席の向こうから渡された。
「今朝、築地から届いたばかりです」
もうしばらくで築地の魚市場は移転してしまう。
Filmore Street に開店したばかりのIzakaya。
ラーメンが売りのようです。店から溢れる行列を見てもちろんここには入らず、隣のインドレストランへ。
今回のサンフランシスコでは
新しいフェーズ(展開)が得られたように思う。
①先ず、宿泊ホテルの位置と選択。
初めて という地区を選択。
これまでは格安ということでオークランド空港近所のホテルが多かった。
多少の経費はかかっても訪問地区のほぼ中央位置にあるこの場所なら移動時間が節約できる。
②フェイスブックの友人がかなりサンフランシスコにはいることが判明。
シアトルよりも多いらしい。
先週頻繁にアップしたイスラエル旅行に関心を持ってくださる方が多く、
話題がどうしてもその件になる。
「エルサレムって、どんなところなんだ?」
「そこへ行って何をして来たんだ?」
「あなたの信仰について聞いていいかしら」
などなど。
話が弾み、私にとって恵みの追体験となった。
③新しい友人の開拓。
すでに18年間も同市に定期訪問していながら未だに未発見・未訪問の場所がある。
車で運転中、そんなところを見つけては寄ってみた。
すぐに意気投合してくれる例が何件かあった。
そこからさらに紹介をいただけて今後の展開が楽しみとなった。
ホサナキリスト教会では来る日曜日、
17日午後6時から餅つきで新年を祝います。
ポトラックですが、ゲストの方は遠慮なく手ぶらでお越しください。
礼拝の後、先週帰国した高橋がイスラエル聖地旅行ハイライトを
スライドショウで報告します。
命を落とした乗客は皆、前途有望な大学生でした。
長野県で起こった長距離バスの横転事故。
大学生のスキー客ら、15名が犠牲となった惨事に胸が締め付けられる思いです。
私のお友人の御次男が同日、
同じ長野県に長距離バスでスキーに出かけていました。
幸い、彼自身はそのバスに搭乗していなかったため犠牲とならずに済みました。
それでも犠牲者の遺族の方々、
ご両親のやるせない思いはいかほどでしょうか。
今朝のインターネット新聞で
犠牲者の紹介が顔写真と一緒に掲載されてました。
それぞれが志を持った前途有望な若者たち。。。
彼らが やがて社会でその賜物や才能を開花させた時、
どれほど人々に貢献し、世界を支えることになったことか。
我々日本人は真面目で几帳面。
経済効率一辺倒の利益至上主義なるものが
バスの運営から「安全」を奪い取っていたのでしょうか。
だとすれば、
「儲けさえできれば良い」という偶像教に
メスが当てられなくてはならない。
中央位置にMさんご夫妻、お孫さん達に囲まれて。
本日はサンマテオのMさんを訪問。
Mさんはガンの放射線治療を毎日受け続けて
この週が最後の7週目となっています。
キモも同時に受けていることから
胃瘻からのチューブによる食物摂取も始まっていました。
放射線の当てられる喉はさすがに焼かれて黒く変色しているものの
いつもと変わらない笑顔と弾けるような声に安心しました。
医師たちからも治療経過の順調さを
「あなたの場合、実に上手くいっている」
と褒められるのだそうです。
その日の朝に私が読んだ聖書箇所を分かち合わせてもらいました。
まだ20代で熊本から出て来て帰米2世のご主人と結婚し、
何も分からないまま始まった米国生活。
3人の娘さんはそれぞれの家庭をもち
皆近所に住んでいます。
そこで3人が交代しながら毎日、
Mさんを病院へ連れて行かれます。
その身の上の幸をしみじみと語ってくださいました。
「イエス様が私をここまでずーっと、導いて来てくださったんです」
もし神様を知らなければ、
熊本の田舎でこんな恵みを知らないまま
ガンになって恐れのあるまま終わっていたでしょう」
まさに
主が先頭に立って彼女の生涯を先導し続けて来られました。
そして生涯の最終コーナーで
主は彼女のしんがりとなられておられます。
ガン克服のために守りを与え、
そのための力添えを日々与えておられます。
「まるで大船に乗ったようです。
心がとても平安でいられるんです」
死という人生の最大の現実を前にしながら
そのように笑顔でおっしゃられるMさん。
主イエスが先頭に立たれ、
しんがりとなって戦ってくださっている。
み言葉にうなずき、
生涯を通じてその通りであったと告白する信仰者の姿がそこにあった。
サンフランシスコのMikakuレストランにて。
日本食をイスラエル帰国後初めていただいて、故国?に帰って来た気分になれた。
時差ボケの苦労はないような事を先回書きましたが
全くないわけではありません。
夜半に目覚めてトイレに向かう時のことでした。
いつもの所にあるはずのバスルームドアが見当たらないのです。
あちこち探し回り、居間へのドアだったり、
他のドアにぶつかりそうになったり……
気が付いてみれば台所に立っていたりしていました。
これはエルサレムで5泊ほど滞在したホステル部屋のレイアウトが
記憶に残っているためと思われます。
我が家のレイアウトに切り替わるまで
3ー4日ほどかかりました。
サンフランシスコ郊外、オークランドにあるチャイナタウンから
皆さん、随分とご無沙汰してしまいました。
イスラエルから帰国して気が付けば早、一週間が経過しています。
この一週間は更新が無かったにも関わらず
当ブログに訪問して下さってありがとうございます。
時差の関係で更新を忘れていたのではありません。
単なる怠け癖が出ただけです( ^ω^ )
イスラエル帰国途上にワシントンDCで
18時間ほどの乗り換え時間がありました。
そこで午後5時にホテルチェックインして早目の就寝。
翌朝午前6時頃まで寝たら、すっかりと時差の調整が出来てしまったという、快挙!
先回イスラエルから帰国してからしばらく数日間は
就寝リズムが昼夜逆転したことからすると、
ここまでは問題なくシアトル時間に調整出来ています。
通常の仕事モードに復帰出来たようなのですが、
ブログにまでは手が回りませんでした。
はやりどこか精神的に余裕がなかったのかもしれません。
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