今週は子供らの学校が春休みです。
日帰りか、一泊ほどの小旅行をしようか〜 ?
レニア山にでも〜 ?
など水を振ったのでしたが、彼らは食いついてきません。
すでに中学生と高校生となってしまった彼らは、
親と一緒より友人とともに過ごした方が楽しいらしいです。
長女は一日中、友人とショッピング、
長男は泊りがけの友人と一緒にテレビゲームに熱中しています。
数時間、テレビの前で立ち上がりながらリモコンを操作し
私には意味不明の言葉を交わしながら「ゾーン」に入ってますねぇ。
あれだけ情熱を傾けるものを見出したなら
巌も貫くほどの力を発揮して、飛び抜けた業績をやり遂げるだろうなぁ〜
さてさて、ようやく彼らがベットに入ったので
占領されていたテレビを取り返すことにします。
オイオイ、チョコが多すぎるぞな、もし。
春休みの本日は家族でカークランドへ。
ベルビューに隣接している北側の街。
そこのメキシコ・レストランで夕食。
週末でもないのに、午後5時半頃というのに、すでに満席で待ち時間は20分。
おsれにしても、湖に面しているこの界隈はいつ来ても水面に映えた陽光の照り返しで明るい。
人々もこれにつられるためか、陽気な方が多い。
春秋会というシアトル日本人商工会議所がセミナーを開催すると言うので行ってきました。
会場はシアトルダウンタウンの The Westin Seattle, Pike Room。
講師が、 唐鎌大輔氏(みずほ銀行国際為替部チーフマーケット・エコノミスト)と
土井正巳しq(クレアブ株式会社代表取締役社長/山形大学特任教授)のお二人。
アベノミクスやその動向、
金融政策、為替変動の動向、
日本経済が世界とどう関わり
今後どのような推移が見込まれるか、
日本の抱えている課題についての提言など、
分かりやすく解説をいただきました。
研究されておられる方っているもんですね。
本日も昨日に引き続いて川崎教会で開催されている年会にビデオ参加しました。
シアトル時間の午後5時に開始です。
これが日本の午前9時になります。
休み時間の合間に幾人かの牧師たちと会話出来たのも貴重な時となりました。
特に昨年誕生した二人のお子さんと、
これをおんぶしていらっしゃる初々しいおかあさまをお見受け出来たのは幸いでした。
各教区、各委員会の旧年度の報告と新年度の計画など、
真剣な討議が現在も継続中です。
この後1時間ほどで終了となる予定。
米国時間午前12時、日本時間では午後5時です。
今朝はすっかりと寝坊してしまいましたが明日はそれも叶いませんので
終了後、直ぐに就寝の予定です。
おやすみなさい。
ワシントン湖
気温もグングン上がり、空も高く晴れ上がり
すでに初夏となった今日のシアトル。
先週の寒い雨のシーズンからすっかりと変わり、
すがしがしい!
マディソンパークへ行ってきました。
ここはワシントン湖に面していて夏には遊泳する人で溢れます。
すでに水着姿で湖に飛び込まんとしている若い人らも数人。
先週までの鬱を晴さんとばかりに行動的になる気分も分からなくないです。
お会いする友人たちも
心なしかウキウキ気分のように見受けられます。
シアトルの初夏は実に美しい。
間も無くするとシャクナゲの開花となります。
住宅地を巡るだけでまさに
百花繚乱の世界を堪能です。
こんな世界があるとは日本を出るまでは知らなかった。
何事も行動してみて初めて開ける世界がある。
それまでは己が経験し見聞して来た世界が全てであり。
世界の受け取り方、認識のあり方までが独自のまま。
その独自の世界を広げるには
「わかっている」「こんなものだろう」といった
己が作り出している前提を取りさらねばならない。
日々聖書に接していても
その言葉が素通りして心に響いてこない時もあれば
ガンガンと響いて感動を与えてくれる時もある。
……そんな時は「前提」が崩されていて、新しい発見に心踊らされている時である。
すでに何十回、何百回と読んでいる聖書。
その言葉を理解する段階には
ピンからキリまで
白帯から黒帯まで、
計り知れない格差がある。
自己流に読んで、自己流に理解・解釈しているか、
著者の意図を汲み取りながら、意図されたように理解しているか。
ゆえに一っ飛びに聖書を理解し尽くすことはできない。
神の御想いに迫らないとどうしても分からない世界がある。
川崎教会での教団年次会議
メキシコ宣教の報告がありました。
本日も昨日に引き続いて川崎教会で開催されている年会にビデオ参加しました。
シアトル時間の午後5時に開始です。
これが日本の午前9時になります。
休み時間の合間に幾人かの牧師たちと会話出来たのも貴重な時となりました。
特に昨年誕生した二人のお子さんと、
これをおんぶしていらっしゃる初々しいおかあさまをお見受け出来たのは幸いでした。
各教区、各委員会の旧年度の報告と新年度の計画など、
真剣な討議が現在も継続中です。
この後1時間ほどで終了となる予定。
米国時間午前12時、日本時間では午後5時です。
今朝はすっかりと寝坊してしまいましたが明日はそれも叶いませんので
終了後、直ぐに就寝の予定です。
おやすみなさい。
姪っ子の双子ちゃんの作品
さすがに中学生となった我が子はエッグハントには参加しませんでしたが。
復活祭の当日、
子供らはエッグハントをしました。
私が初めてイースターで卵をもらったのは
小学2年生の時です。
本物のゆで卵を食紅で色付けした卵でした。
赤、青、緑……色とりどりの珍しいものに、目を大きくして喜んだのを覚えています。
今の子達はゆで卵なんて使いません。
プラスチック製容器のたまご型の中に
チョコやキャンディの入っているものを使います。
その方が子供も喜び、
親も手間がかからずに助かったりします。
でも、でも、、、
便利で楽になった反面………
子供たちには驚きや感動があるだろうか……
何て考えたりしてしまいます。
日本では昨日、北海道新幹線開通の知らせが届いて4時間で東京都繋がったそうです。
かつては青函連絡船で本州と北海道が繋がれていた時代、
その時の方が人々の出会いと別れが、より重厚な意味を持ち
感動の量も多かったように思えます。
それで「津軽海峡冬景色」なんていう演歌が生まれたのでしょう。
便利で豊かさを手に入れた途端、私たちは情緒を奪われ、感性を見失ってしまったようです。
だからと言ってその不便な世界には
大人も子供も戻れないのですが……
サンフランシスコからこの野球部と同じフライト。おかげさまで機内は満席で、身動きのできない幽閉された数時間を耐えました。
十字架で息を引き取られた主イエスは
直ちに墓に葬られました。
翌日の土曜日は終日、その墓に葬られたままです。
いえ、正確に言うなら、肉体は墓の中に安置されたままですが、
その魂はよみに降っていました。
聖書的観点からすると「死」とは分離を意味しています。
肉体の死とは、肉体と魂の分離のことです。
霊的な死とは、魂が神との関係から分離していることです。
「よみ」と翻訳されているものは
旧約聖書では「シェオール」、新約聖書では「ハデス」とされ
両者はヘブル語とギリシャ語の相違だけで場所や実態は同じものです。
そこは地球の中心にある異界であり、死者の行き先です。
信者も不信者もそこへ死後集められました。
(旧約時代は)
ただし、大きく4つのセクションによみが仕切られています。
❶信者の行く広義のよみ
「アブラハムのふところ」とか「パラダイス」と呼ばれることもあります。
❷人間の不信者の行く狭義のよみ
「アバドン」「よみの穴」と呼ばれることもあります。
❸一般の堕天使の幽閉された場所
「アビス」と呼ばれる場所で脱出して地上に出てくることも可能です。
❹ノア時代に人間の女性と肉体関係を持った堕天使
「タータルス」と呼ばれ完全幽閉されています。
さて、土曜日に主イエスの魂はよみの何処のセクションに行かれたのでしょうか?
答えは、「信者の行くパラダイス」です。
主イエスの隣で十字架に架けられた強盗に
「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と主は語られています。
アブラハムや族長たち、ダビデやエレミヤなど旧約時代の信者と
主はそこで再会を果たされたことでしょう。
信者の行くよみ(パラダイス)と不信者の行くよみや悪霊の巣窟(アビスやタータラス)の間には
越えられない深い淵があり、行き来することは出来ません。ルカ16章19節以降参照。
ルカ16章のラザロと金持ちの死後の現実を見ると、
両方向へ行き来は出来ずとも、様子を伺い知ったりする事が出来るのが分かります。
よみへ降って行かれた主イエスは
悪霊たちへ向かって勝利の宣言となるお言葉を述べられています。
……………………………………………………………
「その霊のおいて、キリストは捕らわれの霊たちのところへ行ってみことばを述べられたのです。昔、ノアの時代に、箱船が作られていた間、神が忍耐して待っておられて時に従わなかった霊たちのことです」
(Ⅰ ペテロ3章19ー20節)
……………………………………………………………
「みことばを述べられた」という言葉を宣教と解釈し、
不信者に伝道されたと考える学者が時にいます。
この聖句を根拠にして人は死後にも信仰を抱き救いのチャンスが与えられていると考えるのです(セカンドチャンス論)。
これは誤った聖書理解です。
聖書が人の死後、救いのチャンスがあると教えている場所はありません。
「述べられた」とあるギリシャ語には、説教とか伝道の意味はなく
「宣言した」という意味を持つものです。
対象はノア時代の悪霊、それらが捕らわれているタータラスへ向かって
信者のいるパラダイスから勝利の宣言をされたということです。
悪霊が女性と結婚関係を結んだ理由は、それにより人間を地上から滅ぼし、
さらに女性から生まれるメシア到来を阻止しようとするものでした。
この非常事態に神は非常な手段で持って悪霊の働きをストップせねばならなくなり、
その結果もたらされたのが世界大の大洪水だったわけです。
神の人類救済計画に反乱したタータラスにいる悪霊らに対して
主はそのご計画が今やご自身の十字架の死を持って完遂される事を告げられたのでした。
土曜日に主の遺体は墓に放置されていましたが
その魂はよみにあってこのように活動されていたのでした。
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