聖書解釈手法の一つに
ディスペンセイショナリズムというものがある。
これは聖書を字義通りに読み進めた結果、
神と人間との関係性が時代の枠組みの中で規定されているという視点を持つ。
その「字義通り」とは、「歴史的文法的解釈」のことで
聖書解釈の王道に他ならず、もっともな研究手法であると考えている。
だが、「ディスペンセイショナリズム」とは、
日本語に訳しにくい用語で誤解されることも多い。
このディスペンセイショナリズムが何であるかを良くまとめて解説してあるサイトを最近発見した。
実にオススメのサイトである。
http://balien.hatenablog.com/archive/category/ディスペンセーション主義について
母の日となった今日、
娘から母親へのギフトは歌のリサイタル。
ベルビューにある教会で、
他のレッスン生らと家族を招いて歌を披露するというもの。
そこで皆さんと初めて唱和した
「ワシントン州の歌」
州歌があっただなんて今の今まで知らなかった。
私ばかりではなく、歌の教師ですら知らなかったと言うのだから
一般には広められていないのだろう。
「州歌」という言葉すら漢字変換にはなかった言葉である。
長男の初ディナー料理はタコス。
学校の家庭科で料理を作る課題が出された。
家内と一緒に食材を仕入れに行き、
キッチンでタコスを作る。
片腕を骨折しギブスのままでは包丁は使えないので
そのところだけは家内が手伝ったが、後は一人でやってのけた。
うまい、うまい。
ありがとう、カイくん!
快晴のベレビュー。
五月晴れの季節が米国ノースウエストにもやって来た。
こんな日には鯉のぼりが空に映える。
横浜の両親が送ってくれた鯉に
今年も泳いでもらうことに。
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以下はウキペディアからの引用です。
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、
こいのぼりは「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、
形状は魚を模した吹流し形である。
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そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。
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端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、
別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、
武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。
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この日、武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。
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一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。
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さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、
一部の家庭で※「竜門の故事」にちなんで、
吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。
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※中国の後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
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ただし、これは主に江戸を含む関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習であった。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/こいのぼり
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Thank you Sarah for letting me take care of your shears.
It’s always nice and uplifting to see you.
Excellent arrangement of your entire shop.
Your husband is so talented!
あるスタバに寄って眠気覚ましのためのコーヒーを注文したときのこと。
店内にいた一組のカップル。
結婚式を終えたばかりと見える新郎、新婦のお二人。
初々しい新鮮さが二人からかもし出ている。
大きな声をあげてるわけでないのに、引き付ける存在感がある。
希望、挑戦、克己、、、
この後、二人の歩み出す世界は広く広がっている。
前途にただ神の守りと祝福を密かに祈った。
銀タラ定食
シアトルの郊外にベルビュー市があるように、
ポートランドの郊外としてビバートン市がある。
ベルビューにもビバートンにも共通していることは、
日系スーパーの宇和島屋が両市にあること。
その繁盛ぶりはかなり差があるように見受けられ、
ビバートンのお店の客足はいつ見ても寂しく、心配してしまうほど。
ここに来た時にランチによることにしている
日本レストラン「博多もん」が宇和島屋と併設していたのが姿を消して数年経つ。
ビバートンに居ながら日本食レストランを探し出すのにどうしよう?
何となくI phone を取り出してレストラン・ボタンを押してみた。
これは便利。
自分の現在地を中心にしてレストランの位置情報が地図の上で瞬時に出てくる。
さらにそのレストランの国別、メニュー、顧客評価まで同じ画面に現れた。
その中の一つに「博多もん」があった。
車道からは看板も見えない隠れたところにひっそりとあって
I phone がなければ永遠に失われたままであったろう。
初めてクリックしたレストラン・ボタン。
便利なものを持っていたんですね。
あちら側がオレゴン州
散歩するには理想のコース
コロンビア河の畔までやってきました。
こちら側がワシントン州。
河の向こうがオレゴン州。
海のように広がるこの水域は、東は遠くイエローストーンを経由して太平洋に注いでいます。
河をまたぐ高架線は州間高速道路5号線で、片道3車線で南北の州を繋いでいます。
「州」は英語でSTATE.
これは「国」とも訳せるかなり広域を表している語句。
州を超えると、民法、刑法などあらゆる法律が異なります。
身近なところでは消費税。
ワシントン州は全米でも最高比率の9パーセント以上ですが、
オレゴン州はゼロです。
だから買い物する時にはオレゴンまで買い出しに来るとお得となります。
その他、離婚するとなると両性の合意がなくても成立してしまうのがワシントン州であったり、
安楽死を許容できるのがオレゴン州であったり。
大麻の販売が合法となったのがワシントン州であったり、、、
まさに国としてあらゆる領域の法律がそれぞれの州で独自に決められています。
外交や軍事、通貨くらいしか連邦政府のかかわっているものはないのでは?
ところが変われば法律が、価値体系が異なるのを日々体験しているところに
米国人は自己と他者とを相対化して計る訓練をしているのではないか、とも考えた宵でした。
この桜を指差して「チャイニーズ」と声を上げるものだから私としては黙って見過ごせなかった。
レストラン前を過ぎ去った園児たち
本日、とある日本食レストランでランチを取っていた時のこと。
幼稚園くらいの子供たちの行列がレストラン前を通りかかった。
壁が外に大きく開いていて、子供さんたちが店内を見回しながら客の私たちに手を振ってくれる。
するとある子が
「ほら見て、チャイニーズ・レストランだよ!」と言い出した。
すると後続する子供たちも同様にして店内を指さしながら
「チャイニーズ・レストランだ!」と連呼している。
指差した方向には桜の花や、一升瓶が飾られている壁。
間違ったことを覚えさせてはならないという本来の教育熱心さと
愛国心も混ざっていたと思うが、
「ここは、日本レストランだよ~」と大きな声で訂正した。
「ジャパニーズ!!」
ところが、ところがである。
私の声が届かないのか、彼らの「チャイニーズ」の連呼が収まる様子はなかった。
東洋系はみな彼らにとってチャイニーズなのかもしれない。
そして一度入ったその情報は訂正が難しいのかもしれない。
そんな先入主や思い込みって大人の世界にも良くあることですね。
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