さて鳥羽での初夜を超えた子供達。
「どこへ行きたい?」
「ホテルでプールゥ〜」
「部屋でゆっくりとしたい〜」
昨日は伊勢神宮にかなりの時間をかけて引き回したツケがが出ているらしい。
ここまで来てそうは問屋は卸さない。
そんなわけで水族館へ行って来た。
宿泊地の目の前が伊勢湾に面しているビーチ。
早朝5時前から繰り広げられる大自然の音なきシンフォニー。
太平洋上から上がってくる太陽を見たのは初めてのようなきがする。
G7サミット会場となった伊勢・志摩。
古来から日本人が一度は期待と憧れていたというお伊勢参り。
お参りするつもりはさらさらない。
日本古来の習俗であり、近年には為政者に国家統合の道具として利用された伊勢神宮。
その「日本古来」の伝統を子供らにも肌で感じてもらいたくやって来た。
内宮と外宮を回るとソコソコの距離となる。
がんばってェ〜
もうチョット〜
COG東戸塚キリスト教会の日曜礼拝へ。
この日、驚くべき事が起きた。
85歳になる父親が生まれて初めて教会の礼拝に参加したのである。
前日にも実家に帰って夕食を共にした際、礼拝出席のことは確認していた。
数週間前からメールで誘いもしていた。
長女がソロをするので聴きに来てくれと。
だが私が説教するとは伝えていなかった。
恐らくベンチに座ってから「謀られた」と悔しがっていたに違いない(^o^)
この時とばかり、変に力が入ったのだろうか、優に1時間を超えて語ってしまった。
その日の午後にも実家に寄る。
教会の先生方や皆さんに暖かく迎えられた両親はまんざらでもない様子。
米国にいる時から教会の皆さんにもこの日の両親のために祈っていたただいてきました。
祈りが届いたようです。
「神のなさる事はいつも時になかって美しい」
(……)「わたしが受け入れるのは、疲れた人、貧困に喘ぐ人、
自由を切望しながら身を寄せ合う民衆、
他国の海岸で惨めに拒否されるたくさんの人々。
彼らをどうぞ、わたしのもとへ。嵐にもまれて身の置き所もない彼らを、
わたしはここで、黄金の扉の前で、明かりを持って待ち続ける!」
ニューヨークにある自由の女神像の台座内部に掲げられた銅板に記された詩です。
作者はエマ・ラザラスという米国系ユダヤ人の詩人です。
自由の女神はフランスから米国独立100周年を記念して送られてきたものです。
その台座を建立するための資金集めのためにその詩が作られました。
それが1883年のことですが、
当時のロシアではユダヤ人への迫害の嵐が吹き荒れていました。
ロシア皇帝アレキサンドロス2世暗殺の犯人に仕立て上げられたユダヤ人に対する差別と暴行、
焼き討ちや殺戮が現在のウクライナで猛威を振るっていたのです(1881年~1884年)。
ポブロムと言います。
ロシア語で「破壊」を意味する言葉です。
先祖の苦難の歴史に思いを馳せ、
数千、数万という難民となって米国に逃れてくる同国民のユダヤ人を歓迎・激励する意図が創作の原点にあったのでした。
突然の閲覧数アップ、、、
どうして〜
こんなはずじゃないのに〜
このブログの閲覧数が大変なことになっている。
通常は1日に10〜15名の閲覧数が続いていました。
1ヶ月ほど前のある日にどういうわけか、
1000を超える閲覧数となっていたのです。
何かの間違えだろうと思っていたのですが、、
今日になって再び調べてみたら
1日500ほどの閲覧数をキープしていることに気がつきました。
突然の大変革?!
私も芸能人としてレビューしようかしらん
V(^_^)V
スポーツ・バーでランチをしてみました。
めったに寄らないスタイルなのですが
たまたまお昼になって目の前にその店があったからです。
メニューブックを見て、何を注文すべきか良く分からなかったのです。
ウエイターのお兄さんに、
「何かお勧めはありますか」と聞いてみると、
「私なら」、というケースを丁寧に教えてくれました。
3つほどのメニューを良いとこどりしたもので
それを聞いても良く分からないのでしたが、
「それをお願いします」と即決。
これが大事です。
多忙な人が丁寧に時間をかけてくれたことに対して
グズグズしていたのでは申し訳がありません。
結果、とても美味しく、私にも合う内容のメニューが出てきて満足。
目の前の大型スクリーンでは、シアトルのサッカーチームの試合を実況中継。
「もしや」と思って息子に連絡してみると、
やはり彼はこれを観戦中でした。
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