サンフランシスコ・ダウンタウンの郊外、
Haight と Filmore の交差する一角は庶民的なエスニック料理のお店が並んでいる。
初めて韓国BBQを出してくれるお店に入る。
はやり注文は、BIBIMBO
熱い石のどんぶりで出してくれるまぜご飯。
今朝のサンフランシスコ行きは難儀だった。
先ず、シアトルのチケットカウンターが長蛇の列。
さらにサンフランシスコのレンタカー・カウンターがこれまでにない長蛇の列。
そこだけで45分も浪費。
これなら前日から移動した方が良さそうである。
おじいちゃんともしばらくお別れ〜
現在は太平洋北岸、アリューシャン列島沖を飛行中である。
エアカナダのこの飛行に間に合ってとにかく良かった。
出立のために朝からパッキング、同時に子供らに朝食を食べさせ、洗濯や掃除。
妻からの買物要請のため近所のスーパーや金融機関などにも足を運ぶ。
……いやはや、目の回る思いであった。
首都高速を成田空港に向かって運転中、常時私の左手にはスマホのグーグルマップが開いてあった。
もしも間違って誤った路線に迷い込んだりしたら間に合わないかもしれないという恐れの1時間20分であった。
搭乗口に着くと同時に搭乗時間となっている。
エアカナダのチケット・カウンターには長蛇の列があり、ここで大半の持ち時間が消費された。
今季のエアカナダでの日本・北米料金はかなり安くなっているためか、利用者が多いらしい。
エコノミー・クラスは満席。
食事は米系航空に比べれば良い方か。
ハヤシライスとビーフか、チラシ寿司にチキンの夕食メニューというのは日本人を意識したものか?
日本語放送の映画も数本見る。
只今は日本時間で夜の11時。そろそろ寝る時間である。
米国西部時間では午前6時で起き出す時間。
さてこの後、寝ようか、それとも映画を見ようか思案しているところ。
隣の子供らは元気に映画に見入っている。
日本滞在最終日はみなとみらいへ。
横浜港に臨むこの臨海部はシアトルと似ていて、子供らのお気に入りの場所。
必ず一度は連れて行けェ〜、と雄叫び。
悲しいかな、未だに自分たちで鉄道を乗りこなせないので付き合わざるを得ない。
おかげで今年も自分一人で外出する時間が何もなかった。
これからは勝手に行けェ。
親父にも自由時間を与えろ。
いつまでもお守りなんかしててたまるかぁ〜。
そんな決意を胸に駅に向かう。
私は 見守るだけにして彼ら自身の力で切符を買い、横浜駅で乗り換え、みなとみらい線を見つけて再び切符を買い、目的地に至る冒険旅行。
駅名や路線名には英語表記もあってなんとかなっても、切符販売機械にはそれがなく、漢字のみのステップもあってハードルが高い。
現金でなくスイカを使えば今後は彼らだけで横浜散策も出来るであろう。
大観覧車が彼らのこの日のお気に入りのだったようだが、私には冒険旅行を見守った事が楽しかった。
今後は子守から解放されるのが嬉しくてならない。
我に自由を与えよ❗️
然らずんば死を❗️
天童の総合公園へ行ってきました。
今日も家族サービスの日となっています。
そこではスライダーが3つ、さらに流水プールもあったりして子供らのお気に入りのスポットで
以前より「連れて行けェ〜」コールを出していたのです。
たっぷりと水で戯れたあとは、最近建てられたという天童の巨大なイオンモールへ。
そこで長女は衣服などをショッピング。
彼女の買い物には到底付き合えない私と長男は運動公園に引き返し、
そこにあるサッカー場でサッカーの特訓を始めました。
綺麗に整備された芝生のサッカー場は大変気持ちよく
いつもよりもお互いにハッスルしていて気が付けばお互い、肩で息をするほど。
汗だくとなって1時間以上長男とサッカーが出来たのも忘れ得ない思い出となりました。
大江町教会の入り口
新潟県で遊泳
白馬から一路、山形の大江町へ。
日本海岸側を北上し、高速道路ICが最も砂浜に近いところを探し出してしばし小休止。
遠浅の海岸でスイミング。
水着姿の自分に向ける視線があると訴える長女。
かなり不快らしくてそこも早々に引き上げる。
大江町教会に到着したのは夕刻の5時頃。
それから1時間もしない内に夕食を済ませて山形市内へ移らねばならない。
毎年恒例にしている蔵王教会青年部との交流のため。
私たちに合わせて体育館でのインドア・サッカーに燃える日である。
この日も来ていた。
プロ級のスキルのあるサッカー2兄弟。
長男と同じ年頃のこの2人は数年前からのお馴染みの顔。
毎年スキルアップしていて、すでに私には彼らのドリブルが止められなくなっている。
長男と良い勝負を演じている。
言葉は互いに通じないものの、直ぐに打ち解けて友人となってボールを追う。
スポーツや音楽が世界の共通語と言われる所以か。
私は後半からゴールキーパーに。
何度か際どいシュートを飛び付いて防ぎ、賞賛を浴びた。
が、やはり最後はあの2兄弟にやられてしまった。
しかも弟の方、小学6年生の子のドリブル突破からの強烈シュートが
私の右足元を抜いてゴール隅に突き刺さった。
それで試合終了(>_<)
来年こそ雪辱を誓う。
今度も来いよ。
次回こそ目にものをみせてやるぅー
その後は近くの天然温泉でサクッと汗を流す。
大江町教会に戻った時には夜半近くとなっていた。
今日も充実の一日。
お休みなさい。
本日、52歳の誕生日を迎えました。
子供ら二人と旅行を続けていて、この日は誰にも知人に会う予定もないので特に何もなく過ごすのだろう、と考えていました。
この日の朝、家内がテキストメッセージを送り、子供らにそれを知らせたのです。
「今日はダディの誕生日だった」
「なぜ私らにそれを知らせてくれないのか」
口々に言い出しては、それまでの不平を吹き飛ばしている。
その時、白馬・五竜で2時間ほどかけてのハイキングを終えたばかりで
さらに白馬・八方という所まで車で移動してから3時間ほどのハイキングを計画途上にあったのでした。
長女は足もしびれ、体が疲れるので残りの時間をホテルで過ごしたいと言い出してました。
長男もスマホゲームのほうが歩くよりも楽しいらしく、ホテルがいいと。
そんなとき家内からの知らせを受けて、私のもともと計画してあったことに同調しようと方向転換してくれたのでした。
八方は峻険な登り道が続き、確かに心臓破りを感ずるほどの苦しいものでしたが、何度も休憩を挟んでついに目的地の八方池まで辿りつくことが出来ました。
その間、彼らは一言も不平不満を口にしなかったのでした。
私への誕生プレゼントとして、それまでの態度が急変し、積極的に山登りに挑戦してくれたのがうれしかったです。
錦教会を旅立つ朝、早朝に目が覚めたので錦の町を歩いてみました。
20年を経て、かなり変わったところもあります。
先ず、町内の入り口にコンビニショップが出来ていること。
そして「錦タワー」として津波や台風からの防災避難所が2か所も完成していること。
町の最奥部にある空き地はかつてサッカーのグランドとして利用させてもらっていたのですが、Tropical Gardenとして多目的な文化施設が立っていたこと。
そして一方、港に係留してある船は大型船が姿を消し、小型のものが多くなっていたこと。
、、、などなど、、、、
小学校の校庭を何周か巡り、教会員や関係者のご自宅の前を通り過ごして町をめぐること1時間ほど。
教会所有墓地に掘られてある納骨者の名が大分多くなっているのにも気が付きました。
すでに7時を廻っているというのに、あまり人の気配もなく、町に活動の様子がないのにも。
20年前には3千人ほどいた町の人口も、現在では2千人ほどとなっているとのこと。
過疎化の波はこの町にも押し寄せているようです。
そんな町の情勢を覆すかのような勢いが錦教会にはみなぎっていました。
先ず、牧師家庭のMさんが残業を終えた昨夜の夜半、車を飛ばして津から駆けつけてくださいました。
昨年大学を卒業して社会人としての仕事にも遣り甲斐を感じておられるようで、その成長ぶりがまぶしいほどです。
南伊勢の方座からはIさんが昨夜に引き続いてこの朝も駆けつけてくださり、朝食を共にして下さいました。
20年前までは南島町と言っていたその所に行くのに、数百のヘアピンカーブを曲がりくねって1時間ほどはたっぷりとかかっていました。
それが幾本のトンネルが貫通し、ほぼ直線道路が伸びて、現在では15分ほどでついてしまうのだから驚きです。
町の様子は変わり行くけれども、変わらずに熱い心に燃えている方々とお会いできるのは実に喜ばしいことでした。
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