チラシとざるそばセット。
この日はランチへ行ってきた。
寿司カウンターの向こう側で寿司を握っている二人の青年はやはり日本人だった。
寿司の出来栄えからして違いが分かる。
すでに10年以上もこのお店で寿司を握っているという。
厨房やウエイター、バスパーソンは中南米からのスペイン語を話すアミーゴたち。
彼らもテキパキと良く働く。
この日も11時30分キッカリに開店を待って入店。
多忙となる前なのでアミーゴとの会話を楽しませていただいた。
19歳のセイイチさんが描いた収容所でのバスケに興じる人々。
昵懇にさせていただいているサンマテオの吉田ご夫妻をこの日に訪問。
かつてここでも紹介したがご主人のセイイチさんはいわゆるNo No Boy.
太平洋戦争中に日系人強制収容所に入れられ、米国に忠誠を尽くすかを問われた二つの設問にNo と答えた。
それで日本へ強制送還される。
Yesと答えた人は戦地へ送られた。
有名なのが欧州で戦績を上げた精鋭の日系442部隊。
戦後、その日本で結ばれたのがまる子さん。現在の御夫人である。
まる子さんは昨年の暮れに喉のガンへの放射線治療を2ヶ月間も耐えて
現在はその回復・リハビリ期間。
まだ舌には味覚が戻って来なくて、何を食べても味が分からない。
この日、セイイチさんが70年以上も昔に描いた油絵の写真を見せていただいた。
収容所時代にスポーツを楽しむ一風景。
この時、セイイチさんは19歳。
こんなに絵の才能があるだなんて、、、驚きでした。
それにしてもNo No Boy で良かったと思う。
戦地に送られて生還できる可能性の方が低かった。
生還したらヒーローとなり得ても、
死んでしまえば現在の家庭もなかったことになる。
セイイチさんにとっては、ご自分の選んだ道が正しかった。
他の人には他の生き方がある。
ヒーローとなって生還しても、
戦地で屍を晒すヒーローであったとしても、
その各人には各人の生き方があり、
それぞれにとって最善だったのではないだろうか?
創造者の各人への召はそれぞれ違う。
他者と比べるだなんてナンセンスだったんだ。
仕事から帰宅するなり長女がとあるブランドのドーナツを頬張っている。
我が家ではシュガー入り菓子類を与えることは滅多にしない。
「そんなにたくさん、どうしたの?」
いぶかる私にいぶかることもなく娘は言い放つ。
「フリーでもらってきたのよ」
………………………………………
この日に限り海賊の格好に変装してお店にいけば
ドーナツ満載の箱ごと渡してくれるという。
家内曰く、海賊さんらが店をとぐろを巻いて行列となっていたが、
ドライブスルーでは大して待つこともなくスンナリとゲット出来たという。
………………………………………
大きな宣伝効果となるに違いはないだろうが、
その出費と釣り合いが保てるのだろうか?
いくらやすくても私には劇薬に見えてならない。
今回に限った事で、継続して購買する事は無いだろう。
娘の目を盗んでさらにもう一つを平らげた自らの腹をみると
ほら、すでに数センチ突き出ている様に見える。
この日はビジネスで活躍されている自営業者たちの集まり。
講師をお招きして講演を伺い、さらに親睦を深めるというもの。
今回の講師は俵 裕和氏。
懐石料理の専門シェフで、米国にこの日本の伝統と奥ゆかしさの結晶ともいうべき和食を広める使命に燃えている人。
京都での料亭時代での厳しい時代から現在の米国での和食を広める葛藤まで、
幅広くお話しくださった。
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