カリフォルニアからの帰り道。
オレゴンからコロンビア河を渡るとワシントン州に入る。
機内右側に座席を確保すると太平洋側でなく大陸側の景色を楽しめる。
フット山、ヘレン山、アダムズ山……雄峰が次々と現れては窓の後方に流れ去っていく。
そして雄大な孤峰のレニア山。
この山を過ぎると着陸態勢に入る機内アナウンスが流れる。
そして飛行機はシアトルのダウンタウンを大きく迂回して南北航路を180度変換する。
変換を終了した時点でダウンタウンの摩天楼の真上を過ぎることになっている。
次回は翼から離れた座席を取り、さらに視界が開けたところを収めよう。
Christineと。
この日に出会ったのはChristine さん。
私の娘ほどの年齢の孫がいてそのサッカーの試合観戦に午後、出掛ける事になっている。
話の流れの中で長女が日本訪問の際にソロをしたビデオをお見せした。
簡単に歌詞の意味も説明。
………………………
Jesue (イエスさま)が水の上を歩くようにと導くことがある。
そこは深い大洋の真ん中で足も届かない。
信仰が試される時。
波風に翻弄される私たちの手を主が握り、引き上げて下さる。
いつもそうだった。
私は主のものとされており、
主は私のものとなってくださった。
………………………………
長女の歌声を聴きながら涙ぐむChistine
先月、実の息子さんを病で失ったばかりだという……
……………………………………
私たちのJesusは、病や死を乗り越えたお方。
私たちをその彼方にまで引き連れてくださる方である。
ホテル前のマーケット・ストリート
ロビー
サンフランシスコでの滞在は1900年代初頭に完成した建物をそのまま使用しているWhitcomb ホテル。
中心部のマーケット・ストリートに面しているものだから車をチェックインの間、臨時停車する路上場所すら確保されていない。
もちろん駐車場も無い。
路上駐車できる場所をかなり探したが15分で降参。
近所にある格安駐車場を見つける。一泊$25。
ちなみにホテルが勧める隣接駐車場は$38なり。
サンフランシスコはニューヨークを凌いで全米一地価の高騰している街なのである。
昨夜に引き続いてMIKUNI レストランに参上仕る。
2夜連続となるが、MIKUNIの誘惑を振り切ることは超難しい。
そんなことを寿司を食べながらフェイスブックに上げた。
するとMIKUNI創業家の御曹司太郎さんからコメント入電。
Roseville店に入るので会いに来いという。
もう一人の御曹司直さんからも、MIKUNI Kaizen店に入るのでお出で、とのこと。
MIKUNIはサクラメント郊外も含めて8店舗ほどある。
今年中にFolsom 店が開店するという、快進撃中のレストランである。
太郎さん等からの嬉しいお誘いではあるが、私のオパレーションエリアはダウンタウン店のある一帯。
でも、次回は足を伸ばしてお会いして来ようと思う。
サクラメントに来たなら必ず寄らねばならないのが、
MIKUNIレストラン。
店内の内装が違う。
従業員の明るさが違う。
オーダーしてから運ばれて来るまでの時間が違う。
そして何と言っても、寿司ネタの新鮮さが違う!
毎日サンフランシスコから専用トラックで魚市場で揚げられたネタを輸送しているだけある。
一口寿司を入れただけでその新鮮さが分かる。
こうなると他所の寿司屋には行けない。
火曜だと言うのにテーブル席は満席である。
ヴァンクーバー市街
カナダから米国への国境検問所
土曜日の昼過ぎ、カナダから米国への国境検問所は混んでいる。
ハイウエイの電光掲示板には80分の待ち時間とある。
通常なら青ざめるところ。トイレもないところでそんなに時間を空費できない。
待ち時間を短縮できる裏技がある。
居並ぶ長蛇の車列を100台ほど追い越しただろうか。
15分ほどの待ち時間で国境検問所を抜けてしまった。
7月に続いて9月の日本行きもカナダのバンクーバー発を利用する事になった。
本日1日限りという特別価格がANAから発表されたのを発見。
昼休みに広告を出している日経旅行店に電話して精査、同時に発見と支払いとを完了。
そんな話をバンクーバーにいる友人にしてみた。
するとカナダドルでのチケット購入なら、現在の対米国ドル為替相場からしてさらに割安になると言う。
その人はバンクーバーにある日経旅行店を通じてカナダドル700代で購入したが、今日の支払い額と額面上は同じだった。
米国ドルに換算したら$500台ほどになる。
上には上がいる。
子供らはロード・トリップに出かけている。
本日はマウンテンバイクで山中を数時間疾走した。
トンネルを抜け、橋を渡り、人気のない大自然の中を風を切って駆け抜ける。
いいな、いいな、私も一緒に行けば良かったかな?
「鬼のいぬ間の洗濯 」に励んだ一日だった。
今年も終戦記念日を迎えました。
とある読者から「原爆を2度投下した米国について日本人宣教師としてそう思われるか」とのご質問が寄せられました。
私は次の様にお答えしました。
「2度による原爆投下、東京大空襲をはじめとする全都市への焼夷弾投下は非戦闘員に対する無差別殺戮であり決して容認できない蛮行であると考えます。私の母は東京大空襲の空の下を逃げ惑い一命を守りました。
そしてこれは沸騰した狂気の一時代に、米国がその本来の原則から離れ逸脱し、妖怪のような悪鬼に成り果てた結果であると認識します。
日本も同様にその「沸騰した狂気の一時代」に軍部が独走してアジアに蛮行を行い、国の指導者達は自国民を虐げ、自由を奪ったのです。輝かしい日本歴史の中での例外的な汚点と言えます。そして他の国の過去の蛮行をあげつらうことは意味なく、将来の関係を閉ざすものです。
「自由」「平等」「民主主義」「人権」などは、人類が本来持っている権利として米国独立宣言に謳われています。この普遍的な原則に反するなら、どの国であっても長くは立ち行きません。米国が独立した時、日本は江戸時代。差別と身分制度で凝り固まった社会でした。その点、この原則の先達者としての米国から学ぶことが個人としても、社会システムとしても多くあると考えています。」
過去から教訓を学ぶものが未来を拓くのです。
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