サンフランシスコのマーケット通り
どんよりとした曇り空の続くシアトルの12月。
これは冬の典型的なノースウェストの天候で来年3月頃までこのような重たい空模様となる。
今日は雨が降らないだけそれでもまし。
先週のように氷点下にならないだけまだマシ。
しかも今年はどうした事か
師走だというのに道路は渋滞に犯されてない様子。
…………どうも天候やら道路状況に私の気分まで左右されているようだ。
紀元66年の使徒パウロは殉教を目前にして生涯の最後期に
その心情を吐露している手紙を書いている。
テモテへの手紙。
「しかし主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。
………………
主は私を全ての悪から救い出し、天の御国に救い入れて下さいます。」
(Ⅱテモテへの手紙4:17-18)
パウロにとっては環境が全てではなかった。
環境を超えたものを持っていた。
環境で恩寵の大小を計らずに
現実を超越したところにある恩寵を知っていた人物であった。
パウロの最期は実にひっそりとした寂しいものであったが
その心中には凱旋的勝利への歓喜が沸き起こっていたのである。
ホテルのダイニングエリアは宿泊練に囲まれた内側にある。
一度くらいここを利用すれば良かった。
サンフランシスコにやって来た。
今年最後のフライトによる遠出。
クリスマスまでまだ2週間あるためか、
空港もホテルもそれほど混雑は感じない。
道路もしかり。
空港からサンホセ方面へは
高速101号線と280号線の選択が出来る。
グーグルマップは便利で
それぞれの混み具合と目的地までの所要時間を瞬時にして教えてくれる。
自動運転が開発されているというが
これ以上の便利さの追求は必要に感じない。
少し前までは地図が必携アイテムであり
細かな路線をにらめっこしては近道を探していたけれど、
複数の路線図を候補に上げてくれるスマホ、
しかもこのデータ使用料金は無制限で月額一定なのだから安心。
これ以上ITに頼ってしまったら
いよいよ我々人間は劣化しそう。
私なぞすでに物覚えがガクンと落ちているのだから。
完成したクリスマス・ツリー。
はやりプラスチックツリーよりも臨場感があります。
緑の枝枝から放出される新鮮な芳香がいい。
オーナメントは最盛期の半分ほどしか飾られていないけれど
シンプルでいい感じ。
と、一人で納得。
美しい目が欲しいなら、人の良いところを探しなさい。
美しい唇が欲しいなら、優しいことだけを話しなさい。
落ち着きが欲しいなら、自分はひとりではないということを胸に歩きなさい。
For beautiful eyes, look for the good in others;
for beautiful lips, speak only words of kindness;
and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.
(オードリーヘップバーン)
シアトル地区で日本人伝道に携わっているリーダー達による
クリスマス会に行ってきました。
会場は Rock of Ages Lutheran Church.
ラジャー先生ご夫妻、お世話になりました。
クリスマス・キャロルを数曲賛美した後、
「これまでに最も印象に残っているクリスマスの思い出」
についてそれぞれが語り合いました。
印象に残るってことは
それだけ大きく感情が動いたこと。
その感情の動きはそれぞれの性格や人生がリンクされています。
どんな価値観を抱いているかがシェア出来ました。ー
誰もがミニストリー(伝道の働き)でのクリスマス経験を話されました。
寒かったこと、成功したこと、失敗したこと、、、、、
そんな個人経験を他者と比較して
そこに優劣はありません。
主がご存知です。
主が隠れた働きの真価をやがて明らかにして評価してくださる瞬間がやって来ます。
このクリスマスシーズンもそれぞれに与えられたチャンスを大いに使ってミニストリーに励めばそれでいい。
失敗でも、成功でも、確かな評価と報いは主がしてくださるものです。
❷徳川300年間の屈折
毛利家は関ヶ原で敗れ、36万9千石の約3分の1の石高の領地に押し込まれた。
殿様を慕う家臣たちはそれでも新しい領地について行き、家禄なくリストラされた彼らは百姓に身をやつして家を守ったという。
破産集団でありながらこうして能動性に富んだ毛利家のは、
共通のものがあった。
〜常に飢えと隣り合わせと言う、恐怖観念である〜
これこそがこの藩に大きなエネルギーをもたらし、
さらに経済観念を研ぎ澄ましていく原動力となったと言っていい。
①絶えざる開墾。
干拓し、開墾し、灌漑しては田地を広げて行き、
幕末では100万石を超えるようになったと言う。
②長州の3白。
蝋、塩、紙の商品を生産し、これによる現金収入は米中心の幕藩経済が行き詰まる天保年間になっても藩収入の主軸として支え続けた。
③商港・下関の隆盛。
商品経済に目覚め、流通により国内の物産が下関を通じて大量に出回るようになると、そこに目をつけた者に幕末の坂本龍馬がいる。
慶応2年11月、龍馬の斡旋で薩長の要人が下関で会合し、
「商社示談箇条書」という定款を作り上げている。
要は独立経済圏を作り上げて幕府を圧倒しようと言う協定である。
一方で幕府はでくのぼうといってもいいほどの鈍感さで米中心経済の体制から動こうとしない。
長州が幕末、維新改革の一大勢力となりえた大きな理由には、
この銭と言う裏づけがあった事は確かだった。
サクラメント中心部から車で50号線を西に進むこと20分ほどで
FairOaksに至る。
十数年来の友人であるDさん。
翌日から両足の手術とのことでその前日にお会いした。
彼女の留守電メッセージにはBGMがある。
甲高いソプラノとテナー(だと思う)の荘厳な二重奏。
歌声の主は、、、、
主は、、、、、、、
(引っ張ってすみません)
主は、、、、、、、、
鶏、ニワトリ、のわとり
です!
それもそのはず、この町のダウンタウンと目星き一帯には
鶏が放し飼いしてあるのです。
それもだいぶ前からのようで、
いまや町のシンボルとなり、町の案内板には必ず鶏の図柄があるのです。
この日も鶏さんの出迎えを受けて
Dさんとの面会に臨みました。
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