健康には、好-不調がある。
身体的にも精神的にもリズムがあるし、
リズムの浮き沈みの波は誰もが経験する事でしょう。
今朝起きて窓の外を見たら辺り一面は白銀の世界。
ます気になったのがスクールバスが運行しているかどうか。
ないなら学校が休みになるはず。
学校からは連絡がないので
いつも通りバス乗り場まで息子を連れて行く。
バス通りに出てみるとすでに長蛇の行列となっていて車が動いていない。
なんとか間に合って、再びそのバス通りで帰宅。
すぐに娘を高校に連れて行かなくてはならない。
週末、友人の家をはしごし寝不足が続いていたためだろうか
彼女は寝起きも悪く出発準備が整っいない。
ここで「早く早く」と急かすほど逆効果となる事は
これまでの経験から学んできた。
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天候も家族も自分自身の健康も
全ては思い通りにいかないものである。
うまくいったから機嫌よく
そうでないから不機嫌になると言うのでは
人生やっていけない。
私どもの魂は直接創造者なるお方ににつながる事が出来る。
そうしたならば私の環境にはかかわらず
変わらない絶対の安心を天から届けてくださるのです。
「わが魂よ。
なぜお前は絶望しているのか。
御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私は『なおも』神をほめたたえる。
私の救い、私の神を」
(詩篇43篇5節)
この詩篇が書かれた背景はバビロン捕囚であるとされています。
故国を追われ異国人に
「お前の神はどこにいるのか」と嘲笑されているイスラエル人。
そのような絶望の淵にあって
『なおも』神をほめたたえている信仰の姿勢。
この同じ絶望の中からの一筋の光とも言うべきひらめきが
同じ言葉で42篇5節と11節に繰り返されています。
苦難のただ中にあって
『なおも』
神を神として崇める姿勢は美しいものです。
シアトルのクイーンアンに可愛らしい靴屋さんがある。
3歳ほどの小さな女の子が楽しそうに靴を選び、履いては踊っていた。
その隣の美容室では美容学校出たばかりの20歳そこそこの新進気鋭の若い女性が張り切って仕事に励んでいる。
一方、昨日訪問にいかせていただいたナーシングホームに暮らす女性。
食事や排泄といった身の回りのことは自分では出来ず
寝たきりのまま他者の助けになる他にない。
仏教では人が苦しみを負わねばならない4つの分野が人生にはあると教える。
「四苦」〜その1つは生きることそのものだという。
確かに将来に希望の持てる若さと、
将来というものの望めない老いや障害の厳しさと。
両者を比較するとそのことが納得できるようにも思えてくる。
誰にも老いの現実と言うものはやってくるものだから。
ところが、初対面にお会いしたそのナーシングホームに暮らす女性は
私に会うなり驚くべき発言をされた。
「退屈していません」
記憶や言語機能の多くを失い、ただ上を向くことしか許されてないベッドの上で
日本語放送のテレビを1日中つけながらも、
それでも、
「退屈していません」
その言葉は私の老人・障害施設に暮らす人への先入観を見事に裏切るものとなった。
サンフランシスコにある日本語キリスト教会のある一時期を支えた彼女。
たとい外なる活動は出来なくなったとしても
生涯彼女を支え続けた信仰は、現在の彼女の境遇をも支え続けているものらしい。
主が私たちに与えて下さっている希望は、病が癒される、苦痛がなくなる、問題が解決する、豊かになる、、、といった現世のご利益ばかりではない。
それらをはるかにしのぐご利益を経験した、死を越えたところのゆるぎない希望につながるものである。
「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても内なる人は日々新たにされています。
今のときの軽い艱難は私たちの時に働いて、
測り知れない重い永遠の栄光をもたらすからです。」
Ⅱコリント4章16-17節
「あなた方が歳をとってもわたしはが同じようにする。
あなた方が白髪になってもわたしが背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なおわたしは運ぼう。
わたしは背負って救い出そう」
イザヤ46章3節4節
Neskowin ここのビーチは沖合遠くまで遠浅の砂浜が続いている。
午後3時半の干潮時に行って見ると、沖まで500から600メーターほど海の中から砂浜が顔出している。
午後6時直前に日の入りだから水平線に沈む太陽と黄金色に輝くビーチは絶好の撮影ポイントとなるはず。
帰路の所要時間を考えるとそれまで待つことができない。
娘からの再三の懇願を振り切り4時半ごろに海岸を後にした。
残念そうにしている娘を見るのは忍びない。
しかし何事にも選択がある。
1つを選んだら他方を失う他ない。
午後7時ごろにPortlandにある私のお気に入り日本レストラン
屋台村Maruに到着。
麺類の好きな子供たちに喜んでもらえた。
日の入りを待っていたらどこのレストランも終わっていて車内でサンドイッチをほおばることぐらいしかなかったはず。
「花より団子」である。
「キリストは御子であられるのに、
お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
完全なものとされ、
彼に従う全ての人々に対して永久の救いを与えるものとなり」
ヘブル5章8節9節
❶主は多くの苦しみを通られた方です
神ご自身でありながら人性を所有された故の避けられない苦難や試練を通られました。
荒野での厳しい誘惑やゲッセマネの園での激しい苦闘がありました。
❷その苦しみから従順を学ばれました
「従順」とは、主が唯一学んだ学科とされています。
肉体の限界、時間の限界、空間の限界の制限に置かれその中で苦労されたのです。
それは自ら訓練に従われたことに他なりません。
❸学んだ結果
その苦しみを通られた従順に比例して報いがあります。
復活を通して全うされたキリストの生涯は高揚と栄光とに包まれたものとなりました。
ある方が私どもの家族を「理想的な家族です」
と言ってくださいました。
それに対して私は以下のような返信を送りました。
【「理想的な家族」とは、私どもを一面しか見ていないところからの誤解です。
夕食の席でそれを家族に伝えたところ明美は「ダリーは偽の情報を流している」との辛辣なコメント。
それぞれの家庭には外からは見えない課題があります。
私は他者と比較して幸・不幸を決めることを止めています。
今自分が置かれた制限の中で自分にできることを自分に許されている事の中で精一杯して成長していきたく思っています。
比較するものがあるとすれば他者ではなく昨日との自分です。
相対評価(他者との競争からの偏差値)でなく創造者からの絶対評価の中に自分を置いているからです。
私から見てAさんご家族は優れたご家庭です】
私たちは他者の持ち物や賜物、人間関係を見ると優劣を感じたり
劣等感-優越感にさいなまされることがあります。
視点を水平移動から垂直移動に移してみましょう。
私たち一人一人が創造者から見てかけがえのないオンリーワン。
そこに優劣の区別なく、占有的な愛があるのみ。
「あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
『恐れるな。
わたしがあなたを購なったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ』」
イザヤ43章1節
広大な砂浜で愛犬キッパーと追いかけっこをしました。
1分もたたないうちに足がもつれて転倒。
キッパーに追いつかれしまいました。
20代だったら何10分走ったところで疲れもしなかったのに。
50代になった今、さすがに体力の衰えを実感しました。
私の青春って過ぎ去ってもう戻ってこないのか
と悲観にくれた時
改めて『サミエル・ウルマン』の青春の詩を思い出しました。
青 春
サミエル・ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
YOUTH
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
Given to Mc carthur some years ago by John
W. Lewist is based on a poem written by the late
Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.
JFKからは予定時間通りのフライト。
夜の8時半に離陸して飛行所用時間は6時間あまり。
それでもシアトル到着は本日中の午前0時前に可能。
そのわけは東海岸から西海岸までは3時間の時差があるため。
3時間も得するけれど長い1日となる。
NY滞在中5-6回ほどイエローカブ・タクシーを利用しました。
「最近のビジネスはどうですか?」
そんなことを大抵私はドライバーに聞いて見ます。
おもわしくない方向に住んでいるとの答えが圧倒しています。
中には20数年のドライバー歴の中でも最悪のシーズンであるとまで言った人がいました。
ほとんどの理由がUber(ウーヴァ)にあるとしたことも共通しています。
Uberは自分たちと違って保険やさまざまな経費を払わなくて済むので有利であるとか、
停車時間を料金加算しないので雪の日にはみんながそこに流れていくとか、
コリアタウンに行けばそれを使う中国人や韓国人ばかりだとか、
とにかくUberは俺たちを殺しているんだ、、、
そんな不満の声の数々を聞かされました。
「それではあなたもUVERドライバーに鞍替えしたらどうでしょうか」
そんなことを提案してみました。
いやー、もうUberも苛烈競争になっていてそんなに儲かりはしない、とのこと。
八方塞がりでどうにも先の見通しの効かない厳しい環境に置かれてるようです。
最終日にもホテルからペンステイションまでイエローキャブを利用しました。
最近のビジネスはどうですか、と毎回のように聞いてみました。
70代前後と見えるそのおじさんは、
「いやいやそんなに悪くはないよ。
上がったり下がったりはあるけれど、年間通して見るといつも大抵同じ位になるね」
これまでのタクシードライバーにはないリスポンスに興味覚えた私はいろいろ聞いてみました。
彼曰く、
1980年代から10数年間ドライバーをしていたが途中で長い中断。
それはある時乗客から頭に銃口を突きつけられたことがきっかけだった。
有り金を全部渡したら発砲する事はなかったが、
それ以来ドライバーを続けることができなくなった。
そこでギリシャ料理やイタリア料理のコックとして10年ほど働いたが
これも足に負担がかかりできなくなりやむなくドライバーに復帰して5-6年との事でした。
屈託を見せず快活に話してくれる彼の肩越しにはダッシュボードの上に置かれた革張りの大きな本が置いてあるのが見える。
聞いてみると、やはりそれは聖書だと言う。
エジプト人の彼がアラビア語で書かれた聖書をページを開いて見せてくれた。
私も毎日聖書を読むクリスチャンであることを告げると
彼の勢いはさらにヒートアップ。
「俺も毎日聖書を読むんだ。これが神の言葉だ!(聖書を指差しながら)
神の言葉の一つひとつが私を生かしているんだ。神の言葉は力あるよ。
神は生きて働いているからね」
目的地に到着し荷物を受け取りながらそんなことを矢継早に話してくれました。
1人の人の内に生きて働く信仰を見せていただいて大きな励ましとなりました。
朝 利用したメトロバス
夕刻に利用したもの。そこには日曜日の礼拝に誘う教会のまねきのカードがあったのにびっくり。
本日初めてメトロバスを利用しました。
マンハッタンに来るようになって10数年が経つのですが
これまではタクシーか地下鉄を利用しただけ。
バスは待ち時間が長く思えたことやたくさんの停車場があって
時間ロスが多いとの印象が強かったからです。
本日の朝と夕刻に利用したのですが、
さにあらんや‼️
5分から10分ほどの待ち時間でやってくるし目的地のそばまで行ってくれる。
支払いは地下鉄で使っているメトロカードか現金のお札だけが使用可能。
いくらかは確認できませんでした。
多分1ドルから2ドル位。
iPhoneを使えば現在地から最寄りのバス停と路線番号や路線図を瞬時に示してくれて便利。
そうiPhoneのGoogle マップがこのようなサービスをしてくれているのでバス利用が可能となったと思います。
バス停に張り付いて路線図を探しだし、行き先を見つけ出そうだなんて根気は私にはない。
地下鉄駅までさっさと歩いてその流れに乗るのがこれまでのやり方でした。
バスと言う移動手段が開かれた今、重たい荷物を担ぎながらの移動からの腰の負担が和らぐかもしれない。
これからもよろしくですGoogleさん。
これで確か22ドルほど
そばとアイスクリームがついていました
マンハッタンには日本と引けを取らないほどの高品質な日本食レストランがある。
ここに20年間もデフレ社会の日本のレストラン料金からすると多分倍ぐらいはしていると思う。
流行のニューヨーク-ラーメンが普通に15ドルぐらいかかりチップも入れると20ドル。
これは日本の相場の3倍ぐらいではないかと思う。
この日はアストリア近くにある蕎麦レストランに行ってみた。
1日25食限定と言う特別ランチはユニークな食材とディスプレイ。
もちろん味も言うことなし。
このようなクオリティーは残念ながらシアトルには見かけない。
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