錦教会をあとにして
7月
22日
20年を経て、かなり変わったところもあります。
先ず、町内の入り口にコンビニショップが出来ていること。
そして「錦タワー」として津波や台風からの防災避難所が2か所も完成していること。
町の最奥部にある空き地はかつてサッカーのグランドとして利用させてもらっていたのですが、Tropical Gardenとして多目的な文化施設が立っていたこと。
そして一方、港に係留してある船は大型船が姿を消し、小型のものが多くなっていたこと。
、、、などなど、、、、
小学校の校庭を何周か巡り、教会員や関係者のご自宅の前を通り過ごして町をめぐること1時間ほど。
教会所有墓地に掘られてある納骨者の名が大分多くなっているのにも気が付きました。
すでに7時を廻っているというのに、あまり人の気配もなく、町に活動の様子がないのにも。
20年前には3千人ほどいた町の人口も、現在では2千人ほどとなっているとのこと。
過疎化の波はこの町にも押し寄せているようです。
そんな町の情勢を覆すかのような勢いが錦教会にはみなぎっていました。
先ず、牧師家庭のMさんが残業を終えた昨夜の夜半、車を飛ばして津から駆けつけてくださいました。
昨年大学を卒業して社会人としての仕事にも遣り甲斐を感じておられるようで、その成長ぶりがまぶしいほどです。
南伊勢の方座からはIさんが昨夜に引き続いてこの朝も駆けつけてくださり、朝食を共にして下さいました。
20年前までは南島町と言っていたその所に行くのに、数百のヘアピンカーブを曲がりくねって1時間ほどはたっぷりとかかっていました。
それが幾本のトンネルが貫通し、ほぼ直線道路が伸びて、現在では15分ほどでついてしまうのだから驚きです。
町の様子は変わり行くけれども、変わらずに熱い心に燃えている方々とお会いできるのは実に喜ばしいことでした。