この日はシアトルへ。
朝夕の渋滞時間を除けは、ベルビューにある自宅から20分もせずにダウンタウンへ繰り出せるのがうれしい。
ベルビューからワシントン湖に掛かる二つの浮橋でシアトルは結ばれている。
新規の520号線の浮橋はすでに完成したらしい。
シアトルでもベルビューでも、大型コンドミニアムの建設を良く目にするようになって親しい。
不動産価格はまだまだサンフランシスコやロサンゼルスには及ばないものの、
その上昇率やトップレベルらしい。
賃料の上昇率では全米トップであると報じられている。
8年前、そんな勢いであったのがポッキリと折れたのは記憶に新しい。
今回もバブルではないと誰が言えるか?
アメリカの正義を問う
〜原爆投下は一体誰のためだったのか〜
http://www.mag2.com/p/news/200637
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ダイアモンド社のコラムを紹介します。
71年前、トルーマン大統領が原爆投下を強行しましたが、
戦争終結のためには必要でなかったことが連合国の指導陣からの証言で分かります。
ソ連との冷戦を有利に進めるための冷徹な世界戦略の一環であったようです。
この車、誰が運転しているものか分かりますか。
①彼はアメリカ人です。
②日本生まれで、日本で長く教育を受け生活してきました。
③ご両親は(どちらかの親だったかな)ノルウエー系の移民の子孫です。
答えは、
シアトル近郊のロックオブエイジズ教会牧師のラジャー先生です。
牧師会の帰りにパチリ。
広島に来られて
戦没者らに花を手向け、黙とうをささげたオバマ大統領。
現職大統領が追悼のために
ついに広島に来られたこと自体を歓迎したい。
平和記念公園でのオバマさんのスピーチは以下の通り。
「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです。
なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために訪れるのです。10万人を超す日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために訪れるのです。彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。
広島を際立たせるのは戦争の事実ではありません。暴力を伴う紛争は太古の昔からあったことが古代の遺物からわかります。火打ち石から刃を作り、木からやりをつくることを学んだ私たちの祖先は、これらの道具を狩猟だけでなく、人間に対しても使ったのです。食糧不足、富への渇望、国家主義的な熱烈な思いや宗教的熱情に突き動かされ、世界のどの大陸でも文明の歴史は戦争にあふれています。いくつもの帝国の興亡があり、人々は服従を強いられたり、解放されたりしました。それぞれの時期に罪なき人たちが犠牲になり、その名は時がたつにつれて忘れられていきました。
ログイン前の続き広島と長崎で残酷な終結を迎えることになった世界大戦は、最も豊かで、最も力の強い国々の間で戦われました。それらの国の文明は世界に偉大な都市や素晴らしい芸術をもたらしました。思想家たちは正義や調和、真実に関する考えを生み出してきました。しかし戦争は、最も単純な部族間の紛争の原因となった、支配や征服をしたいという本能と同じ本能から生まれてきたのです。新たな能力によってその古いパターンが増幅され、ついには新たな制約がなくなってしまったのです。
数年の間で6千万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと何ら変わりのない人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢えやガス室で死んだのです。この戦争を記録する場所が世界に数多くあります。勇気や英雄主義の物語を語る記念碑、筆舌に尽くしがたい悪行を思い起こさせる墓地や無人の収容所です。
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲のイメージのなかで最も、私たちは人間性の中にある根本的な矛盾を突きつけられます。私たちを人類たらしめているもの、私たちの考えや想像力、言語、道具をつくる能力、自然を自らと区別して自らの意思のために変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私たち自身にもたらすのです。
■「8月6日の記憶忘れてはならない」
物質的な進歩または社会的革新によって、私たちは何度この真実が見えなくなるのでしょうか。どれだけたやすく、私たちは何かより高い大義の名の下に暴力を正当化してきたでしょうか。あらゆる偉大な宗教が愛、平和、公正への道を約束しています。しかし、いかなる宗教も信仰が殺戮(さつりく)の許可証だと主張する信者から免れていません。
国家は人々を犠牲と協力で結びつける物語を伝え、顕著な業績を可能にしながら台頭します。しかし、それらの同じ物語は、幾度となく異なる人々を抑圧し、その人間性を奪うために使われてきました。
科学によって、私たちは海を越えて通信を行い、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、これらの同じ発見は、これまで以上に効率的な殺戮の道具に転用することができるのです。現代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれます。広島がこの真実を教えてくれます。
科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があります。原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。私たちはここに、この街の中心に立ち、原子爆弾が投下された瞬間を想像しようと努めます。目にしたものに混乱した子どもたちの恐怖を感じようとします。私たちは、声なき叫びに耳を傾けます。私たちは、あの恐ろしい戦争で、それ以前に起きた戦争で、それ以後に起きた戦争で殺されたすべての罪なき人々を思い起こします。
単なる言葉だけでは、こうした苦しみに声を与えることはできません。しかし私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません。その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にします。それは私たちの道徳的な想像力を刺激し、変化を可能にします。
あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきました。米国と日本は同盟だけでなく、私たちの市民に戦争を通じて得られるよりも、はるかに多くのものをもたらす友情を築きました。
欧州諸国は、戦場を通商と民主主義の絆に置き換える連合を築きました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を制限し、縮小し、最終的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。
それでもなお、世界で目の当たりにする国家間のあらゆる攻撃的行動、あらゆるテロ、腐敗、残虐性、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。
■「広島と長崎 道徳心の目覚めに」
私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。
私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって、悲劇が起きる可能性は減らすことができます。私たちは核の根絶につながる道筋を示すことができます。私たちは、ほかの国への核拡散を止め、狂信者たちから死をもたらす(核)物質を遠ざけることができます。
しかし、それでもまだ十分ではありません。なぜなら、粗製のライフルや樽(たる)爆弾でさえ、どれだけ恐ろしい規模の暴力を起こせるのか、私たちは世界で目の当たりにしているからです。私たちは戦争そのものへの考え方を変えなければいけません。それによって、外交を通じて紛争を防ぎ、すでに始まった紛争を終わらせる努力をしなければなりません。相互依存の高まりが、暴力的な競争の原因になるのではなく、平和的な協力を生むものだと考えるのです。そして、私たちの国家を、破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。
そして、おそらく何にもまして、私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係をつくり直さなければいけません。なぜなら、そのことも人類を比類なき種にしているものだからです。私たちは遺伝情報によって、過去の間違いを繰り返す運命を定められているわけではありません。私たちは学び、選ぶことができます。人類が共通の存在であることを描き、戦争をより遠いものにし、残虐な行為は受け入れられがたいような、異なる物語を私たちは子どもたちに伝えることができます。
私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中にみることができます。原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたからです。ここで殺された米国人たちの家族を捜し出した男性がいました。なぜなら、彼は彼らの喪失は自分たちの喪失と等しいと信じていたからです。
私の国の物語はシンプルな言葉から始まりました。「すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた」。そうした理想を実現するのは、たとえ私たちの国内であっても、国民同士であっても、決して簡単なことではありませんでした。しかし、その物語へ忠実であり続けることは、努力に値することです。大陸を越え、海を越えて追い求められるべき理想なのです。すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。
それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。私たちはそうしたことを思い浮かべ、71年前、同じ大切な時間がここにあったということを知ることができるのです。亡くなった人たちは、私たちと変わらないのです。
普通の人たちは、このことを分かっていると私は思います。普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。
世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。」
ベレビュー・プレスの日曜礼拝にて
子供は将来の宝物
久方ぶりの明るいニュースです。
日本の少子化にブレーキがかかったという。
デフレだとか、
貧困化だとか、
地方消滅だとか、
底流老人だとか、
暗い統計に
がんじがらめに感じる日本社会。
それらの大元の問題は
少子高齢化にあると考えられます。
これにまったがかかったなら
明るい兆しも見え始めます。
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厚生労働省は23日、2015年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数に相当)が1.46となり、前年より0.04ポイント上がったと発表した。
上昇は2年ぶり。05年に過去最低の1.26を記録後、緩やかな上昇傾向にあり、約20年前の水準(1994年に1.50)まで回復した。
▽出生率:微増、1.46に 15年生まれ100万人台維持
http://mainichi.jp/m/?YI2okT
50年前の創業から出演を続け、現在司会者として活躍している歌丸師匠。
体力の衰えからこの5月で司会の座を降りる事になった。
後継の司会者は誰になるか注目されていた。
下馬評は三遊亭円楽師匠。
出演期間や落語家としての実績からしても
円楽さんかなぁ、と私も考えていた。
ところが、
昨日の歌丸さんの引退セレモニーでの後継司会者発表には意外な人選に驚いた。
最若手の一人で、出演期間の最も短い新参者、
昇太さんが指名を受けられた。
腹黒い円楽さんよりも
爽やかな独身キャラの昇太さんは、それはそれで良いものを持っている。
意外な人選こそ笑点らしくて良いのかもしれない。
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放送後の記者会見で、歌丸さん曰く。
「いつもの笑点と言い聞かせてやりましたが、最後に客席のお客さんにご挨拶した時に(涙の)堰(せき)が切れてしまいました」
昇太さんh、
「一番の新参者なんですよ。大喜利史上初めて回答者の方が上から目線なんです。今までになかった大喜利の形になるんじゃないかな」と困り顔で言うと、歌丸さんは「舞台では全員が同格です」と返している。
昇太さんは「平行線ぐらいでやっていければ」と述べた。
プロデューサーの中村博行さんは、
「(昇太さんは)若手大喜利の司会もやっていた。歌丸師匠と同じように強いチームになるなと思いました」
と起用の理由を話しているとか。
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米国での笑点放映は数ヶ月ほど遅れていて、
現在のものは正月が終わった頃のもの。
昇太師匠の司会ぶりを目にするのはまだまだ先となるが、
持ち前のキャラを十分生かして活躍してほしい。
さてさて、これから録画してある笑点を一人で淋しく見ることにしよう。
午後5時頃ポートランドは土砂降りに見舞われた。
運転も難しくなるほどの滝のような降雨。
しばらく路肩に駐車し
勢いが衰えるのを待つ。
待つこと10分ほど。
フロントガラスにぶつかる雨粒が騒々しくなったと思ったら、
なんと霙が含まれていた。
外の気温は71℉ もあるのに!
一体どうなっている事やら!?
米国ノースウエストには多くのアジア移民がいる。
結果、アジアの民族料理店が至る所に並び立つ。
直ぐに目につくのが
日本、中国、韓国、タイ、カンボジア、、、等の料理。
中華料理以外は渡米してから初めて口にしたエスニックフードである。
この日のランチも街角でたまたま見つけたタイレストランに足を運ぶ。
1時半を少し回ったところなのに、客は私一人。
ウエイトレス同士の会話からタイ生まれの方々である事が分かる。
レストランの内装は西洋人受けするためにモダンで清潔感漂う。
料理そのものは本格的なタイ料理であるのが うれしい。
今月のオーナー会では、
不動産マーケットの近況について学びました。
講師はオーナー会の会員でもある
下村真美氏。
30年間の長年のキャリアを元に
昨今のトレンド、将来の動向、それに
売り手として、買い手として
気を付けねばならないポイントなど、
貴重な情報をいただきました。
ベルビュー図書館隣でサッカーに興じる子供達
長男との裏庭サッカーの死闘が今日もあった。
学校のクラブサッカーで転倒して以来左腕にはギブスをはめたままだが
サッカーへの情熱は一向に衰えない。
一対一のゲームではパスできる相手がいない。
結果、ドリブルでどのように相手を抜き去るかが勝負となる。
昨年までは私が優勢だった。
数ヶ月間は実力は均衡して良い勝負を続けていた。
が、ここ数週間は私の負けが混んできた。
長男のドリブル捌きは見事で、
両足の間からボールをすり抜けさせ、私を置き去りにしてしまう。
私だって足技を駆使するが、彼にはことごとく私のしようとするものがお見通しで「子供扱い」されてしまう。
簡単にボールを取られてしまった直後、
"No skill"と厳しい評価が長男から下される。
そんな時、こちらも笑ってごまかす他ない。
いつまでこんな戦いを彼と続けられるだろうか。
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