知らない世界ってあるもんです
3月
31日
気温もグングン上がり、空も高く晴れ上がり
すでに初夏となった今日のシアトル。
先週の寒い雨のシーズンからすっかりと変わり、
すがしがしい!
マディソンパークへ行ってきました。
ここはワシントン湖に面していて夏には遊泳する人で溢れます。
すでに水着姿で湖に飛び込まんとしている若い人らも数人。
先週までの鬱を晴さんとばかりに行動的になる気分も分からなくないです。
お会いする友人たちも
心なしかウキウキ気分のように見受けられます。
シアトルの初夏は実に美しい。
間も無くするとシャクナゲの開花となります。
住宅地を巡るだけでまさに
百花繚乱の世界を堪能です。
こんな世界があるとは日本を出るまでは知らなかった。
何事も行動してみて初めて開ける世界がある。
それまでは己が経験し見聞して来た世界が全てであり。
世界の受け取り方、認識のあり方までが独自のまま。
その独自の世界を広げるには
「わかっている」「こんなものだろう」といった
己が作り出している前提を取りさらねばならない。
日々聖書に接していても
その言葉が素通りして心に響いてこない時もあれば
ガンガンと響いて感動を与えてくれる時もある。
……そんな時は「前提」が崩されていて、新しい発見に心踊らされている時である。
すでに何十回、何百回と読んでいる聖書。
その言葉を理解する段階には
ピンからキリまで
白帯から黒帯まで、
計り知れない格差がある。
自己流に読んで、自己流に理解・解釈しているか、
著者の意図を汲み取りながら、意図されたように理解しているか。
ゆえに一っ飛びに聖書を理解し尽くすことはできない。
神の御想いに迫らないとどうしても分からない世界がある。