ご冥福を祈ります<ジャン=リュック・ゴダール>さん
9月
13日
1930年12月3日仏パリ生まれで、ソルボンヌ大学時代、カルチェ・ラタンのシネマクラブに通いはじめ、<フランソワ・トリュフォー>や<エリック・ロメール>らと知り合います。1952年から『カイエ・デュ・シネマ』誌に映画評を書き始め、1960年にヌーベルバーグの記念碑的作品『勝手にしやがれ』で長編映画監督デビューしました。同作がベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞し、ヌーベルバーグを代表する映画作家として世界的に有名になりました。
『アルファヴィル』(1961年)でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した後も、『気狂いピエロ』(1965年)など次々と話題作を送り出していましたが、1967年に商業映画との決別宣言文を発表。一時テレビや実験的映画の世界に活躍の場を移し、1979年の『勝手に逃げろ 人生』から再び商業映画の製作に復帰、『カルメンという名の女』(1983年)でベネチア国際映画祭のグランプリを受賞。その他の主な監督作に『ゴダールのマリア』(1984年)、『右側に気をつけろ』(1987年)、『ゴダールの決別』(1994年) などの作品があります。
<ゴダール>監督はここ数年は健康上の理由で、公の場に姿を見せることは少なくなっており、『イメージの本』がコンペティション部門に選出され、スペシャル・パルムドールを授与された2018年の第71回カンヌ国際映画祭では、FaceTimeを使って会見に参加していました。