ご冥福を祈ります<李登輝>さん
7月
31日
在任中(1988年~2000年)の1999年に「二国論(中台は特殊な国と国の関係)」を発表し、中国から「独立派」と批判されました。退任後も台湾の独立性を守るため政治活動を続けていました。
日本統治時代(1895~1945年)の1923年、台湾北部の台北県三芝郷(現・新北市)で生まれました。日本語教育を受け、1943年には京都帝大(現・京都大学)農学部に入学。旧日本陸軍に入隊しましたが終戦で台湾に戻り、台湾大農学部を卒業しています。1968年に米コーネル大で農業経済学博士号を取得。台湾に戻り、農業経済学の専門家として台湾大教授などを歴任しています。
1972年、<蔣介石>の長男で後に総統を務める<蔣経国>(1910年4月27日 ~1988年1月13日)に見いだされ、政界入り。1984年には副総統となりました。1988年1月、<蔣経国>総統の死去に伴い、総統に昇格しています。戦前から台湾に居住した人々とその子孫である「本省人」では初の総統でした。
2000年までの12年間の総統在任期間に、憲法を6回改正し、1949年の中台分断以降、改選されていなかった立法院(国会)の全面改選を行うなど民主化を推進。1996年の総統選を直接投票とし、自ら初の民選総統に当選しました。また、中国全土の統治を前提とした政治体制から、実効支配する台湾に合わせた体制への改編を進め、教育改革は「台湾人」意識の向上を果たしています。
投稿日 2020-07-31 05:58
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2020-07-31 09:01
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2020-07-31 09:03
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2020-07-31 09:26
ワオ!と言っているユーザー