昨日の仕事は、比較的小さなタスクをたくさん処理することにしました。
1つ1つの仕事は、30分以下で片付くものばかり。
ずっと貯めていたものもあったので、
タスクが無くなっていくことが、実に心地良い!!
大きいタスクと向き合うのも大事ですが、小さな小石のようなタスクも、時には時間を取って片付けていかないといけませんね。
このブログを書いていると、「7つの習慣」に出てくるバケツに入れる石の大きさを思い出してしまいます。
バケツに、小さな小石ばかり先に入れてしまうと、大きな石は入らないという話です。
ただし今回は、大きい石に向き合うために、小さな小石を早めにやっつけようという話でした。
残った大きな石については、しっかり分解して、小さな石にしてしまいましょう。
あれ?
となると、毎回戦いは、小さな石をこなすだけということになりますね!
まさに「兵法」の極意と同じです。
まさに、昨日の帰宅RUNで、「11月の雨」に打たれてきましたよ!
今月は、誕生月。
これまでやってきたことは、雨に流し、新しい英知を取り入れていこう!!!
という意味を込めて、ガンズの名バラードにしました。
このスラッシュのギターソロのシーンが鳥肌モノです。
大学生だったたいぞーが、最も大好きなPVがこちらです!!
「たいぞー、後ろ! 後ろ!」
2011年3月11日14時46分、私は職場でデスク・ワークをしていた。
背後に設置された巨大な書庫が私に襲いかかってくる瞬間、社長の一声で、間一髪、机の下にもぐりこむことができたのだった。
その直後に書庫が倒れてきて、複数の机を強打した。あのままフリーズしていたら、窒息死していたかもしれない。
机の下から脱出するのも困難だったが、本当の試練はここからだった……。
1歳半の息子たちを保育園に預けていた。無事なのか?
駅前で働く妻は? 両親は大丈夫か? みんな生きていてくれるのか?
何度も何度も、携帯電話を鳴らしたが、電話自体が機能してくれない。
仕事はいったん解散となり、法定速度を無視して保育園まで車を走らせた。
そこには、笑顔の息子たちの姿があった。
うちが最後のお迎え。息子たちを抱っこして守ってくれていた保育士さん。
不安から開放されたせいか、私の目は涙でにじんだ。
その後、妻も両親も無事だとわかり、その日は妻の先輩の自宅に避難した。
福島県郡山市。福島県のちょうど真ん中の都市。
津波の心配は無かったが、それからは、目に見えぬ「放射能」との戦いが待ち受けていた。
テレビを付けると、天気予報のコーナー内に線量の数値が発表される。
明日が「雨」でも「晴れ」でもどっちでもいい。
とにかく、線量の数値だけが心配だった。
2歳になっても、子どもたちを外で遊ばせることができない不安。
フクシマの食べ物の安全性が問われるようになり、「この子たちは、元気な大人になれるのか?」、毎日そんなことばかりを考えていた気がする。
ある日、子どもたちを長時間、公園で遊ばせたことで、妻とケンカになった。
どちらも「子」を思ってこと。私も妻も間違ってはいなかったと思う。
陸の孤島での生活は、我々家族の心をじわじわとむしばんでいく……。
それでも少しずつ、元の生活ができるようになっていった。
「がんばろう、日本」
復興の力で、少しずつ町が元気になっていくのを感じた。息子たちも制限なく、外で遊ぶことができるようにもなっていった。
あれから9年。
今度は、あの震災後のフクシマと同じような「厄災」が世界を襲った。
「新型コロナウィルス」である。
震災後は、フクシマから離れていく人もいたが、今回は、全世界がターゲット。
小学生高学年になった息子たち。学校が休校になり、あの日と同じように、数週間、家で隔離生活をすることになった。震災後のフクシマを経験した者にとって、このコロナ禍の生活は「デジャヴ」でしかない。
ふと、「東日本大震災後」と「コロナ禍」の生活を比較してみたくなった。
いったい、どちらが大変なのだろうかと。
先週1週間、当時から福島に住んでいる職場の仲間を中心に話を聞いてみた。
計51名にインタビューしてみたのだ。
結果は、震災後25票、コロナ禍26票となった。
震災後の方が辛かったという方は、身近な人を亡くしたり、出産前で不安だったり、ライフラインが止まり、放射能という目に見えない不安の恐怖などがその理由だった。
コロナ禍が辛いと思った方の意見は、病気そのものの苦しさ、思いっきり人と関われない寂しさ、閉塞感を感じる、といった理由が大多数。
このインタビュー、過去や現在の辛い部分にフォーカスした質問になってしまい、はじめは後悔したのだが、最終的には、普段あまり話をしたことがない方や久しぶりに話す方々と震災後の苦労を分かち合ったり、今の苦しみを共感することができたりと、私にとっては非常に貴重な時間だったといえる。
インタビューしてわかったことは、当然なのだが、それぞれが置かれた状況によって答えは違ってくるし、その人の価値観や年代によってもまた変わってくるということだった。
20代に聞いたら、震災時は中学生だったとのこと。10年ひと昔とは、よく言ったものだ。
どちらも、辛い出来事には違いはない。意見が真っ二つに割れたのが、それを証明しているように思う。
さて、私個人としてはどう思っているのか?
私は「東日本大震災後」に一票を投じたい。
あの日の苦しみに比べたら、今は熱いお風呂に入れるし、ソーシャル・ディスタンスさえ取れば、外で思いっきり走ることもできる!
さらにコロナ禍では、オンラインを通じて距離の壁が無くなり、たくさんの友だちもできた。よく言われるように、3~5年、時代を押し進めてくれたのだ。良い面にも目を向けたい。
「未来は明るい」ということを私は信じる。
「戦争」が起こり、「不況」の足音が聞こえてきている今、世界は失速していくという風潮があるのもわかる。それでも世界は、前進していくと信じたいのだ。
これまでも、人類は発展を遂げてきた。移動の自由、職業選択の自由さえなかった時代を考えてみれば、今の生活の豊かさがどんなに素晴らしいことなのか、感謝しても感謝しきれないことばかりではないのか。
人の寿命が30歳だった時代もあったのだ。
明けない夜はない、やまない雨はない、終わらない感染はない。
世界を変えるのは、人類1人ひとりの「ムード」なのだ。
「未来」を信じる人が増えることで、世界はより良い方向に向かっていく!
1人ひとりが、明るい「未来」を信じて、「ムード」良く、自分の人生をより良くしていくことで、世界は変われるはずだ。
「困難」は乗り越えるためにある。
今の「困難」を乗り越えた先に待っている未来は、いったい、どんな世界なのだろうか?
楽しみでしかない。
「Todoist」のお話です。
恐ろしいまでに忙しかった1日。
一息ついた夜に「Todoist」を確認すると大量のタスクが残っていることってありますよね。
そんなとき、どうされていますか?
その日のうちに、完了させることができないと、翌日にはトップの画像にある「期限切れ」に移動されてしまいます。
そこでオススメなのが、「今日」のタスクを「明日」へリスケしてしまうこと。
※「今日」のところを「明日」へ変更します。
タスクをやっていないので「先延ばし」には違わないのですが、こうすることで翌日には「期限切れ」のゾーンにタスクは行かずに、「今日」のゾーンに出現することになるんです。
私は日付を「今日」から「明日」へ変更する際に、
「明日、また会おう!」とつぶやくようにしています!
こうすれば、罪悪感が少しは減るんですね。
「期限切れ」ゾーンになると、その「期限切れ」というネガティブ・ワードに気持ちが引っ張られてしまうし、何よりも「期限切れ」にタスクがたまりすぎると、今日のタスクにたどり着くまでに、縦スクロールする手間が増えてしまいますから。
1つだけ注意点がありました。
毎日必ずやると決めたタスクについては、例外です。
この先延ばしをせず、せっかく決めた「日次タスク」なのですから、どんなに眠くてもトライしましょう!!
そうは言っても、1日の終わりには、予定のタスクはクリアできている状態が理想です。
タイムマネジメント力、作業効率化などで、
その理想に近づけてまいりましょう!!!
ついにDay365!
毎日1つずつ、記事をアップし続けることができました。
それだけ大きな病気も無かった証拠でしょう。
明日はDay366。
とりあえず、肩に力は入れず、等身大の投稿を継続していくつもりです。
引き続き、よろしくお願いいたします。
1年2ヵ月前から、毎月1,000円ずつ Suicaにチャージする自分用のサブスクをやっています。
そもそも地方に住んでいる私には、日常では電車は不要。
むしろ徒歩通勤です!
以前からずっと気になっていたのは、iPhoneを起動したつもりが、間違ってウォレットの画面が立ち上がってしまうこと。
そのウォレットの初期表示がSuicaでした。
そのSuicaの金額がいつも3桁の金額だったので、これではテンションが上がらないと思い、毎月1,000円ずつ入れるようにしたのです。
20ヵ月やり続ければ、上限の20,000円に到達できるでしょう!
毎回「315円」の金額を目にするより、5桁の10,000円以上の金額を目にした方が気分も良くなるはずという仮説。
実際にそうなっているように感じます。
このサブスクで貯まったお金は、東京への遠征費にする予定。
もう3年以上も関東には行けていませんからね。
12月にはこの積立を活用できそうなので、楽しみです!!!
昨日は、仕事で往復100kmを運転しました。
以前なら、まったく「苦」ではなかったのですが、どうやらコロナ以降、運転するのが苦痛になってきたようです。
その最大の理由は、「オンラインが便利過ぎる!」とカラダが知ってしまったからでしょう。
今回は、WiFi機器のリプレースもあったので、現地作業が必須だったとはいえ、約2~3時間をかけて運転する時間がもったいないと感じてしまいました。
とはいえ、せっかく行くわけですから、人のコミュニケーションの時間を大切できたとは思っています。
以前は、競馬場まで毎週のように運転して通っていたのに、不思議なもんですね。
ただ単に歳をとっただけなのでしょうか!?
ちなみに、運転時間は、溜まっていたPodcastやVoicyを聴きまくりました!
OKでございまーーす!!!
おととい、息子たちの通知表が返ってきました。
その通知表に、親が記入する欄があり、昨日、私が書いて息子に渡したのです。
家の廊下で、それを読んで息子が一言。
「お父さん、ありがとう!!」
何か、すごく嬉しかったんですね。
渡してすぐ読んでくれただけで嬉しいのに、すぐに感謝を言ってくれるなんて。
私のコメントは、彼らの美点をしっかり認めただけのこと。
う~ん、いいですね!
幸せは、こんな日常の中に転がっているもの。
これからも日常を大切にしていかなきゃですね!
枕元に置いたスマホに手を伸ばすと、時計は深夜2時を過ぎたところだった。「今寝られたとしても、○時間しか眠れないぞ!」という不安が襲ってくる。
マラソン大会前夜の私のワン・シーンである。
フルマラソン以上のレースの前夜、私は寝れたことがない。まるで、中森明菜さんの歌の歌詞のようだ。
一睡もできない、つまりすべてのレースを「完徹」で走ってきたことになる。
いったいなぜそうなってしまったのか?
過去のレースを振り返ってみたい。
初マラソンは、2017年の新潟シティマラソン大会。
レース前日には、友だちと群馬、長野観光をしてからの新潟入り。「上田城」「松本城」「善光寺」などを巡り、足はクタクタ。旅館ではすぐに休めると思ったが、枕が変わると眠れなくなるデリケートな一面が出てしまい、友人達のいびきのメロディーを聞きながら朝を迎えた。
レースはボロボロ……。
おそらく、しっかり睡眠が取れたとしても同じ結果だったと思う。
単純に「走力」が無かっただけのこと。初マラソンを完走はできたが、タイムは5時間30分。レース後半は、ほとんど歩いていた気がする。このとき、「二度とフルマラソンなんて走るものか!」という感想を持ったことを思い出す。
しかし、人間はすぐに忘れる生き物。「フルマラソンは苦しい」という記憶は薄れていき、「次は何とかなる!」という根拠の無い自信が生まれて、チャンレンジした次の大会が、2019年11月のぐんまマラソンであった。このとき、新たにレースを4時間以内で走り切るという目標を持っていた(通称:サブ4)。
この日は当日現地に向かうため、車で4時に出発することもあって、夜の8時前には布団に入ったのだが、この日も一睡もできず……。
スマホで気を紛らそうとしたのが逆効果になり、またも徹夜。
ギンギンな目で車を運転して、福島県から群馬県を目指した。
レースは、またも惨敗……。
前回と比べて序盤はいいペースでレースを運んだが、「30キロの壁」にぶつかり、後半5kmは、ほぼほぼ歩いた。
眠れていたらどうだったか? タラレバにはなるが、まだまだ「走力」が不足していたのは確かだ。
タイムは4時間33分。目標よりも33分もかかってしまう。
それでも初戦のレースから1時間近くタイムを短縮できたのは、嬉しかった。
コロナ禍に入り、次のレースは今年2022年の6月。
今度は、初のウルトラマラソン大会! 距離は100km!
妻の友人に誘われ、ノリでエントリーしてしまったのだ。
この時は、今まで以上の「睡眠障害」に陥った。
レース1週間前から徹夜が不規則に3回もやってきたのだ。もちろん、レース前日も完全徹夜。2時半出発だったので、この日は0時まで寝付けないとわかると、読書をして友人の迎えを待つことにした。
3度目の「寝ずRUN」であったが、結果は何と、完走できてしまった!
100キロRUNはペースも遅いこともあり、ゆったり自分の走りができたことで、うまく折り合うことができたのだ。「不眠」でも「走れる!」ということを学習できた。
そして今回、2022年10月16日。
3度目のフルマラソン「長井マラソン大会」。
このレースは、再度「サブ4」に挑戦する大事な一戦となる。
しかも世界的な厄災もあり、3年ぶりのチャンス。
そもそも、この3年間は、フルマラソンの大会自体が無かったから、挑戦権も得ることができない状況だった。「大切な戦いだからこそ、しっかり寝て、万全のコンディションでなければ達成できないぞ!」という焦りがあった。
案の定、レースの5日前、またも眠れなくなる。
「ついに来た! 来てしまった!」
また徹夜で走ることになるのか?
しかし、レース2日前くらいから、何故自分で立てた計画なのに、自分1人で苦しんでいるのか、滑稽に思えてきた。
あえて曲名を付けるならば、『勝手にしんどかった』となるだろう。
これまでの私は、「動物脳」で考えていた。「フルマラソンを走る」ことから連想していたのは、「恐怖」「不安」「不快感」。
そんな気持ちだったからこそ、本当は「逃走」したいのだが、自分を無理に鼓舞してしまい、「闘争」のスイッチを入れていたのだ。
本当の目的は何だったのか? 自分が掲げた目標をどうやって攻略するか、そのゲームをとことん楽しむことだったのではなかったか。
目標を1つひとつ達成していく中で自分に自信を付けながら、「自己基盤」を高めていくことだったはずである。
そう思ったら、一気に肩の力が抜けた!
いい意味で、明るく楽しい「未来」を想像することをやってみた。
当日は「試練」の日ではなく「小旅行」の日である。レースはトレースなのだから、練習通りの走りをすればいいだけのこと……。
まさに本来、人間だけが持っているポジティブな思考、「人間脳」を使うことができた感覚があった。
「3度目のフルマラソンのレース前夜、しっかりと熟睡できた男がいたんですよぉ~」
「な~に~!! やっちまったなぁ~!」(確かにやりきった!)
「サブ4」の行く手を阻む「ラスボス」をレース前に倒した私は、すでに成功を確信した。
結果、3時間57分42秒でゴール!
初めてフルマラソンに挑戦してから、丸5年の歳月が流れていた。
今回、「走りきること」と「眠ること」の2つを達成できたことは大きい。
きっとこの先も、見えないオバケに対して不安な夜を過ごすこともあるだろう。もしそんな日が来たときは、とことん「ポジティブ」に考えることを試したいと思う。ウソでもいい、とにかく脳をだましてみよう。
そのとき、私の表情は、きっと微笑みに満ちているはずである。
妻よ、いびきがうるさかったらごめんね。
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