【Day368】東日本大震災後のフクシマとコロナ禍
11月
1日
「たいぞー、後ろ! 後ろ!」
2011年3月11日14時46分、私は職場でデスク・ワークをしていた。
背後に設置された巨大な書庫が私に襲いかかってくる瞬間、社長の一声で、間一髪、机の下にもぐりこむことができたのだった。
その直後に書庫が倒れてきて、複数の机を強打した。あのままフリーズしていたら、窒息死していたかもしれない。
机の下から脱出するのも困難だったが、本当の試練はここからだった……。
1歳半の息子たちを保育園に預けていた。無事なのか?
駅前で働く妻は? 両親は大丈夫か? みんな生きていてくれるのか?
何度も何度も、携帯電話を鳴らしたが、電話自体が機能してくれない。
仕事はいったん解散となり、法定速度を無視して保育園まで車を走らせた。
そこには、笑顔の息子たちの姿があった。
うちが最後のお迎え。息子たちを抱っこして守ってくれていた保育士さん。
不安から開放されたせいか、私の目は涙でにじんだ。
その後、妻も両親も無事だとわかり、その日は妻の先輩の自宅に避難した。
福島県郡山市。福島県のちょうど真ん中の都市。
津波の心配は無かったが、それからは、目に見えぬ「放射能」との戦いが待ち受けていた。
テレビを付けると、天気予報のコーナー内に線量の数値が発表される。
明日が「雨」でも「晴れ」でもどっちでもいい。
とにかく、線量の数値だけが心配だった。
2歳になっても、子どもたちを外で遊ばせることができない不安。
フクシマの食べ物の安全性が問われるようになり、「この子たちは、元気な大人になれるのか?」、毎日そんなことばかりを考えていた気がする。
ある日、子どもたちを長時間、公園で遊ばせたことで、妻とケンカになった。
どちらも「子」を思ってこと。私も妻も間違ってはいなかったと思う。
陸の孤島での生活は、我々家族の心をじわじわとむしばんでいく……。
それでも少しずつ、元の生活ができるようになっていった。
「がんばろう、日本」
復興の力で、少しずつ町が元気になっていくのを感じた。息子たちも制限なく、外で遊ぶことができるようにもなっていった。
あれから9年。
今度は、あの震災後のフクシマと同じような「厄災」が世界を襲った。
「新型コロナウィルス」である。
震災後は、フクシマから離れていく人もいたが、今回は、全世界がターゲット。
小学生高学年になった息子たち。学校が休校になり、あの日と同じように、数週間、家で隔離生活をすることになった。震災後のフクシマを経験した者にとって、このコロナ禍の生活は「デジャヴ」でしかない。
ふと、「東日本大震災後」と「コロナ禍」の生活を比較してみたくなった。
いったい、どちらが大変なのだろうかと。
先週1週間、当時から福島に住んでいる職場の仲間を中心に話を聞いてみた。
計51名にインタビューしてみたのだ。
結果は、震災後25票、コロナ禍26票となった。
震災後の方が辛かったという方は、身近な人を亡くしたり、出産前で不安だったり、ライフラインが止まり、放射能という目に見えない不安の恐怖などがその理由だった。
コロナ禍が辛いと思った方の意見は、病気そのものの苦しさ、思いっきり人と関われない寂しさ、閉塞感を感じる、といった理由が大多数。
このインタビュー、過去や現在の辛い部分にフォーカスした質問になってしまい、はじめは後悔したのだが、最終的には、普段あまり話をしたことがない方や久しぶりに話す方々と震災後の苦労を分かち合ったり、今の苦しみを共感することができたりと、私にとっては非常に貴重な時間だったといえる。
インタビューしてわかったことは、当然なのだが、それぞれが置かれた状況によって答えは違ってくるし、その人の価値観や年代によってもまた変わってくるということだった。
20代に聞いたら、震災時は中学生だったとのこと。10年ひと昔とは、よく言ったものだ。
どちらも、辛い出来事には違いはない。意見が真っ二つに割れたのが、それを証明しているように思う。
さて、私個人としてはどう思っているのか?
私は「東日本大震災後」に一票を投じたい。
あの日の苦しみに比べたら、今は熱いお風呂に入れるし、ソーシャル・ディスタンスさえ取れば、外で思いっきり走ることもできる!
さらにコロナ禍では、オンラインを通じて距離の壁が無くなり、たくさんの友だちもできた。よく言われるように、3~5年、時代を押し進めてくれたのだ。良い面にも目を向けたい。
「未来は明るい」ということを私は信じる。
「戦争」が起こり、「不況」の足音が聞こえてきている今、世界は失速していくという風潮があるのもわかる。それでも世界は、前進していくと信じたいのだ。
これまでも、人類は発展を遂げてきた。移動の自由、職業選択の自由さえなかった時代を考えてみれば、今の生活の豊かさがどんなに素晴らしいことなのか、感謝しても感謝しきれないことばかりではないのか。
人の寿命が30歳だった時代もあったのだ。
明けない夜はない、やまない雨はない、終わらない感染はない。
世界を変えるのは、人類1人ひとりの「ムード」なのだ。
「未来」を信じる人が増えることで、世界はより良い方向に向かっていく!
1人ひとりが、明るい「未来」を信じて、「ムード」良く、自分の人生をより良くしていくことで、世界は変われるはずだ。
「困難」は乗り越えるためにある。
今の「困難」を乗り越えた先に待っている未来は、いったい、どんな世界なのだろうか?
楽しみでしかない。